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    • 2019.04.09 Tuesday
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    水嶋/澤村(オリジナル2008)

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      『よう、澤村。机まわりの片付けが終わったら、一杯呑みに行かないか?』
       電話越しに聞こえる陽気な声に、ちょうどぞうきんで机を拭いていた澤村朗は思わず吹き出してしまった。
      「伊藤さん、その台詞、今日でもう連続三日ですよ。だいたい、今日は仕事納めなんだし、せっかくなんだから伊藤さんも家族サービスで早めに帰ってあげたらいいじゃないですか」
       当然の言葉に電話の向こうにいる上司は唸っているが、やがてちいさなため息とともに、『ナイトシステムきっての遊び人と言われたおまえに説教を食らう日が来るとはなぁ』とぼやいている。
       数年前前までは、ゲームメーカーとして中堅どころをなかなか脱しきれなかったナイトシステムがこの数年でめざましい発展を遂げ、いまでは大御所とも言える位置づけにまでなった。伊藤は、ナイトシステムが送り出す多くのゲームの総監督を務める立場で、広報のチーフである澤村とも気心知れた仲だ。
      『まったく、世も末だ。去年、一昨年までのおまえときたら、年末ギリギリまで遊びほうけるメンバーの筆頭だったじゃないか』
      「人間、変わるときは変わるもんなんですよ」
      『ナマ言いやがって。なんだよ、いい相手でもできたのか?』
      「いい相手かどうかはべつとして、今年の俺はちょっとインドア派になろうかなと」
       鋭い突っ込みを軽くいなし、「ともかく、お疲れさまでした」と笑いながら締めくくった。
      「また年が明けたら、なんだかんだ言って、あちこちの出版社さんやメーカーさんと呑む機会があるんですから。伊藤さんもちょっと胃を休ませておいたほうがいいですよ」
      『わかったわかった、じゃあまたな。おまえはとっとと可愛い恋人のところへ行け』
       最後は半分拗ねたような声とともにガシャリと電話が切れたとたん、「澤村先輩、ホントに今夜の合コン、行かないんですかぁ?」と隣のブースから声がかかった。ぞうきんを折り畳んで振り向けば、同じようにワイシャツの袖をまくった後輩の瀬木が、まだ諦めきれないといった顔をしている。
      「あのなー、合コンはしばらく休むっつっただろ。だいたい、俺がいないほうがおまえとしても勝率が上がっていいじゃねえかよ」
      「そうなんですけどね。でも、ほらやっぱり、僕なりの誠実さっていうのは、澤村先輩のようないかにも遊んでます的なプレイボーイなタイプが隣にいないと霞んじゃうっていうか……ッいてっ、……グーで殴ることないじゃですかー!」
      「俺がいつ、おまえの引き立て役になったんだよ。バカも休み休み言え」
       ちっと舌打ちしたついでに綺麗になった机の隅に放ってあった煙草をくわえて火を点け、思いきり煙を吹きかけてやった。真っ白な煙をもろに浴びせられた瀬木は、わざとらしいまでにゴホゴホと咳き込む真似をする。
      「ま、俺がいなきゃおまえが埋もれちまうってのは真実だろうけどよ。とりあえず、しばらく俺を誘うのはナシ。女と呑むのは仕事の席だけだからな」
      「えー、澤村先輩に『実直』とか『勤勉』って言葉は似合いませんよ〜。ほどほどに遊んでおかないと、いい男のイメージが落ちますよ」
      「見かけ倒しのイメージなんかいらねえよ。んなメッキみたいなもんはすぐに剥がれるだろ」
       さらりと言い放つと、これまでともに、節操なしの女好きとして夜な夜な遊んできた瀬木が茫然とした表情で、「澤村先輩……」と呟く。
      「いつからそんな達観したこと言うようになったんですか……」
      「ちょっと前から」
       そう、ほんとうにちょっと前からなんだよな、と胸の裡で呟き、澤村はにやにやと笑う。口の悪い瀬木が言うように、少し前までの自分というのは仕事ができて顔もいい、一晩限りの女と遊ぶことに道徳観の欠片もなにもあったもんじゃない、プレイボーイと言えば聞こえはいいが、ひとでなしと呼ばれてもおかしくないほどのずる賢い遊び人だった。
       ――それが、たったひとりの相手に焦点を絞るようになっちまったんだから、俺も歳を取ったのか。それとも、相手のほうが上手なのかもしれない。
       自社作品をより多く売るために、大胆なアイデアでアドバンテージを取る澤村とは違い、慎重に慎重を期し、知識と経験を煮詰めた最後に、誰が見てもたまらなくなるようなひと匙の遊びごころを加えることを熟知している男の冷静な横顔を思い浮かべると、どうしたって笑いが浮かんでしまう。
       ゲームという、ある種、完成された箱庭を創り上げることに精魂傾けている水嶋弘貴はクラシカルに整った容姿と抜群の勘の良さを持ち合わせ、ゲーム業界のベストクリエイターとしてつねにトップスリーにランクインしている。
       彼の仕事ぶりをそばで見ていて、パーフェクトな作品というのは一発勝負ではなく、地味な作業の繰り返しの積み重ねの果てにあるものなのだと実感する。ある村の住人としてほのぼのとした暮らしを楽しむ『ぼくらのおやすみ』というシミュレーションゲームのシリーズで、水嶋は現在もヒットを飛ばし続けている。だが、売れているという現状に満足しないのが水嶋という男だ。『ぼくおや』に対する可能性をもっと深く探り続ける一方で、ここ最近では、新規作品の構想も練り始めているらしい。
       自分というのも結構なワーカホリックだが、水嶋はさらに上をいく。そのことをからかい、『たまには長期休暇とか取ったらどう?』と勧めたが、『一週間が限界だ』とあっさり返されてしまった。
      『うまく言えないんだけど、いつも、なにかを考えてないとだめになるんだ。まだまだ、俺はユーザーに楽しんでもらいたい。そういうしこりっていうか……過剰な自意識みたいなものがずっとあるんだ。それを解消するためゲームを創っているんだと思う』
       漠然としたたとえが、いかにも真面目な水嶋らしくて微笑んだものだ。
      「ま、今年はおまえが合コンのキングになれよ。俺はいまの恋人にふられるまで、とりあえずしばらく遊ぶのはやめとくわ」
      「えっ、こ、恋人って……」
       うっかり口をすべらせたことで、顔を強張らせた瀬木がすぐさま食いついてくる。
      「澤村先輩に恋人がいるらしいって噂、最近よく耳にしてたんですけど……ホントにいたんですか! どこで知り合ったんですか!? どんなひとなんですか!」
      「あー、まぁ、そのうち引き合わせる機会があったら会わせてやるよ。なんせ、かなりナイーブな奴なんでさ、俺としてもちょっと気を遣うんだよ」
      「うわ、なんか聞いてるだけでこっちが恥ずかしい……。デリカシーゼロだった澤村先輩にそこまで言わせるひとってどんだけスゴイんですか」
      「誰がデリカシーゼロだ。ひと言余計だ」
       ただただびっくりしている後輩の頭を小突くと、盛大なため息が返ってくる。
      「あーあ……、澤村先輩と張り合うのがおもしろかったのに……。先輩が参加しないんじゃ、つまんないですよ。グラフィッカーの北野くんでも誘って、つつましく忘年会でもやろっかな」
      「やっとけやっとけ。ま、新年会ぐらいはつき合ってやるからよ」
      「なんかヨユーの発言で軽く腹立つなぁ。いいですよ、もう。澤村先輩は可愛い恋人といちゃいちゃしててください。僕ら寂しい独身者と遊んでくれるのはまた来年、ってことですよね」
      「伊藤さんと似たようなこと言うなよ」
       伊藤も瀬木もそろって、判を押したように「可愛い恋人」と茶化す。実際の水嶋と向き合っていると可愛いというよりも手強いと感じることのほうが多いが、それでもやっぱり自分しか知らない一面があるのだ。
       まだぶつぶつ言っている瀬木に笑い出したところに、再び内線がかかってきた。
      「はい、企画部の澤村です」
      『お疲れさま、水嶋だけど。そっちは片付け、終わったか』
      「うん、だいたい。もうちょっとしたらそっちに行くよ」
      『いや、いい。俺のほうはもう終わったから、挨拶がてらおまえのところに寄るよ』
      「あ、そう? 悪いね、わざわざ」
       小声で言いながらそっと隣の様子を窺ってみると、瀬木もやっぱり内線をかけている。『どこの店に行く? もしかしたら、どこも混んでるかもしれないけど』という言葉から予想するに、どうやら彼も合コンには参加せず、仕事仲間の北野と呑みに行くことにしたようだ。
      「なんかさ、俺が合コンに行かないって言ったら瀬木の奴が拗ねちゃって。これから北野と呑みに行くことになったらしいから、あんたも一応ねぎらってやってよ」
      『どういう言いぐさだ。合コン、行きたかったら行ってもいいんだぞ』
      「なに言ってんの。ホントに行ったら、絶対に嫉妬するくせに」
      『しない』
      「するって」
      『絶対にしない』
       断言する男が、不敵な笑いついでに言ってきた。
      『俺が一緒に合コンに行けば、おまえのほうが嫉妬するはずだろ』
      「あんたねー……」
       痛いところを突かれて言葉に窮した。
       確かに、水嶋を連れていけばあっという間に女性が群がるのは目に見えている。同じ男としても、彼のプライベートをあますことなく知る恋人の立場としても、その場面を思い描いて知らずと渋面になってしまうのは、惚れた弱みか。はたまた、やはり彼よりも三つ年下のせいだろうか。
       水嶋が持つ硬質な色気を知るのは、自分だけでいい。生まれ持った品のある笑い方や仕草を少しつつくと、甘い蜜のようにとろりと蕩けていく顔を知るのは、自分だけだ。
      『どうする。合コン、行くか?』
      「行かない。さっさとこっちに来い。瀬木たちに挨拶するんだろ」
       むっとした声で答えると、電話の向こうで可笑しそうな笑い声があがった。それが憎めないのだから、恋の力は案外ばかにできないものだ。


      「ねえねえ水嶋さんも澤村さんも一緒に呑みに行きましょうよー」と懸命にねだる瀬木と北野を、「ハイハイーまた来年な」と適当に引き剥がし、吹き出す一歩手前の男と肩を並べて会社を出たのは、夜の八時過ぎだ。
      「ったく、一週間もすりゃまた仕事で会うっつうのに、あいつらもしつこい」
      「仕事の上司として、後輩に慕われているっていういい証拠じゃないか。そう冷たくあしらうなよ」
       質のいいカシミアでできたシングルコートを着た水嶋が、ふわりと夜風に舞い上がるマフラーの端を押さえながら笑いかけてきた。彼の端整な面差しに似合うそのマフラーは、クリスマスに澤村が贈ったものだ。細身の身体にしっくり馴染むコートをさらに映えさせる色合いのマフラーを水嶋もことのほか気に入っているようで、三日に一度は巻いている。
      「それ、気に入った?」
      「ん? ああ、うん」
       頷く水嶋が照れたようにマフラーをくるりと巻き直す。
      「肌触りがいいから」
      「俺が贈ったヤツだからとくにお気に入りなんだって素直に言えばいいじゃん」
      「……たまにどうしておまえを好きになったんだかわからなくなるよ」
       呆れた声でけちをつけられるのは、もう慣れっこだ。水嶋とて、こっちの図々しい物言いにはさすがにある程度の免疫ができているのだろう。仏頂面は長く続くことなく、澤村が差し向けた他愛ない話にふっと食いついてきて、そのままふたりが住むマンションの最寄り駅まで戻った。
       駅前には遅くまでやっているスーパーがある。そこに立ち寄ると、さすがに年の瀬らしく、多くの客でにぎわっていた。正月用のしめ飾りを手に取り、「こういうの、どうする? 買う?」と聞くと、「うん」と素直な声が返ってきたので、玄関に飾るもの、リビングに飾るものと、スーパーの黄色い籠に放り込んだ。
      「とりあえず、今日のところは鍋にするか。水炊きでいいか、澤村」
      「いいよ。あ、カセットコンロのボンベ、切れてなかった?」
      「切れてたかも。スペアを買っておくか」
      「大晦日まではまあ適当にやるとして、三が日はなに食う? せっかくの休みなんだし、できるだけ外食しないで、家でゆっくり食べようよ」
       澤村としてはなにげないつもりで言ったのだが、水嶋はちょっと驚いたようだ。
      「三が日まるまる、家で過ごすのか?」
      「たまにはそういうのもいいでしょ。普段、お互いに仕事漬けなんだから、年の始めぐらいのんびりしたって罰あたらねえだろ」
      「いや、……うん、そうだけど……」
       まだ不思議そうな顔をしている男が手にしている牛乳パックを取り上げ、「なんだよ。なんか文句あるの」と言うと、「そうじゃない」と水嶋はほんの少し首を傾げる。それから、ふいに可笑しそうに笑った。
      「おまえの口から、『のんびり』なんて聞くとは思わなかった」
      「あのね、俺も一応ひとの子なんだよ。当たり前に疲れて、当たり前に腹が減るんだよ」
      「だったら、三が日は全国各地のうまい雑煮をつくってやる」
      「水嶋さん、そんなもんつくれんの? 誰かに教わったの?」
       意外な言葉に、澤村のほうが驚いてしまった。水嶋が身の回りをきちんとこなす性格だということは前から知っていたが、まさか雑煮までつくれるとは恐れ入った。
      「前に、そういう料理本を買ったんだ。俺もおまえも東京生まれの東京育ちだろ。大根とにんじん、小松菜と鶏肉なんかが入って、醤油でさっぱり味つけしたものがお馴染みだよな。でも、新潟じゃ鮭とイクラが入ってたり、京都の丸餅と西京味噌でつくる雑煮も旨そうなんだ。何度か試しにつくったことがあるから、旨いと思う」
      「へえ、楽しみ。んじゃ、そのあたりの材料も買っておくか」
       ふたりでああだこうだと言いながら、黄色い籠ふたつぶんの買い物を終えて自宅に戻り、楽な部屋着に着替えたあとは手早く水炊きの準備に取りかかった。互いに無言なのは、腹が減っている証拠だと思うと、吹き出したくなる。水炊きに合わせてとっておきの日本酒を出し、ぬるめの燗にした。
       自由が丘にある水嶋のマンションは、トップクリエイターらしく広々とした間取りで豪華なものだが、今年はリビングにこたつが加わった。もともと床暖房のある部屋だからこたつは必要ないのだが、澤村が、「日本人らしい冬休みには、やっぱこたつでしょ」と言ったところ、水嶋も、「まあ、そうか」と悪くない顔をしていた。
      「おっ、煮えてきた煮えてきた」
       カセットコンロで煮え立つ鍋の蓋を開け、ふわっとした蒸気があがったところで水嶋がタイミングよくこたつに入ってきた。
      「ちょっと早いけど、今年も一年お疲れさま」
       水嶋の杯にとっくりを傾けてやれば、彼も同じことをしてくれる。それから、互いに笑って杯を軽く触れ合わせた。
      「お疲れさま。……うん、旨い」
       日本酒の香りを楽しむ水嶋が目元をうっすらと染めていくのを間近で見ているのは、楽しい。テレビを点けなくても、ぐつぐつ煮えた鍋をのぞき込みながら今年一年の出来事をつらつら話しているだけで、とても楽しい。
       ――たぶん、お互いの素顔を知ったからなんだろうな。
       あらかた食べ終えたところで満足そうに腹を撫で、煙草をくわえた水嶋にライターを向けてやると、安心しきった顔で彼も身体をすり寄せてくる。たった数時間前までは、瀬木や北野に、『来年もよろしく』とかしこまった表情で言っていたくせに、いまではすっかりくつろぎ、薄手のボタンダウンのシャツの胸元もゆるくはだけている。
       部屋にいるとき、気軽なスゥエット姿で過ごす澤村に対して、水嶋はシャツとパンツといった、わりあいきちんとしたスタイルが多い。その凜とした姿が少しずつ、少しずつ甘くほどけていくのは、杯を重ねたせいだけではないだろう。
      「あー……、一週間も休めるのか。こんなにのんびりした冬休みも久々だな。いつもはぎりぎりまで仕事してたから」
      「年末年始ぐらいは休んだほうがいいって。あんたみたいな仕事バカは一年に一回ぐらい、まとまった休みが必要なんだよ」
      「バカはよけいだ。明日は部屋の掃除をして、明後日はまあ適当にのんびりして……」
       指を折ってなにかを考えていたらしいが、酔いも手伝って、途中で面倒になったのだろう。水嶋が無言で杯を突き出してきたので、澤村は笑いながら、「あとちょっとだけな」と言ってとっくりに残った酒をついでやった。
       几帳面で、いつどんなときでも自分を厳しく律している水嶋がここまでゆるくなってくれるとは思っていなかったから可笑しい。
       いい仕事をするぶんだけ、つねに神経の糸をぎりぎりまで張り詰めさせているのだろう。作品に対して真摯に向き合う姿を、澤村もよく知っているから、いま、こんなふうに自分のそばで、少し眠たそうに瞼を擦っている姿がなんとも可愛く見えるのだ。
      「この休みのあいだぐらいは、なーんにも考えないで過ごしなよ。たまには頭、空っぽにするのって大事だよ」
      「なにも、考えない……」
       杯の縁をちらっと舐め、意味ありげな視線を向けてくる水嶋の頬のあたがやけに艶めかしい。さすがに呑ませすぎただろうかと思ったが、――まあいいか、明日も明後日も休みなんだし、と杯をあおったところで、いきなり手を掴まれた。
      「なに、どしたの」
      「……したい」
      「あ?」
       扇情的なまなざしが真正面に迫り、不覚にもどきりとしてしまった。切れ長の目元がほのかに潤み、くちびるが半開きだ。
      「朗、したい、……いますぐ」
      「なっ、ちょ、水嶋さ……」
      「違うだろ」
       両腕がするっと首に巻き付き、焦れったそうにこたつの布団をどけて、水嶋が膝の上に乗ってくる。
      「いつもみたいに、名前、呼べよ」
      「ひろ……」
       最後まで言い終えられないうちに、濡れたくちびるが重なってきた。はぁっ、とこぼれる吐息はただただ甘く、ぬるりと絡み付いてくる舌がひどく熱っぽい。そのままうずうずと舌の表面を擦り合わせて、もどかしい快感の切れ端を掴んだところで、勢いのついた澤村が水嶋のうなじを掴んでのけぞらせ、たっぷりとした唾液を伝わせると、こくりと喉の鳴る音がする。
      「ん――っ……ふ……」
       無防備な喉元に噛みついてやると、熱い弾力がじかに感じ取れてたまらない。力の加減を考えずに獰猛に食い散らかしたい気分と、水嶋が啜り泣き、しゃくり上げてせがむまで焦れさせたい気分がない交ぜになって、いつまでも舌をもつれ合わせていたくなる。
       全身を覆い尽くすような欲情をなだめるように背中を撫でてやっても、いまの水嶋には逆効果のようだ。苦しいぐらいに身体を押しつけてきて、制御のきかない昂ぶりがあることを無言のうちに伝えてくる。
      「なんだよ、あんた、もう硬くなってんじゃん」
       からかいながらそこをつつくと、無意識に腰をくねらせ、欲情に染まりきった視線が真っ向からぶつかってきた。
      「だって、……なにも考えなくて、いいんだろ……」
       こんな顔で、こんなことを言われたら、もうお手上げだ。
       水嶋から求めてくることはあまりないが、肌を重ねれば敏感な反応を見せる。セックスそのものは嫌いじゃないはずだ。ただ、スマートな誘い方を知らないだけで、いまもこっちの言葉に乗っかっているだけなのだろうが、それが逆に澤村を煽るのだ。
       巧みな誘い方を知らなくても、水嶋は素直な感情をいまだ大切に胸に持っている。そうとわかったら、よけいに乱れさせたくなる。
      「なに、したい? どうしたい? 弘貴の好きなようにしてみなよ」
      「……舐めたい。朗のここ、舐めて、いいか」
       火照る頬を擦りつけ、視線を絡める水嶋が、スゥエットパンツの上からゆるくそこを撫で回してくる。長い冬休みに入った嬉しさと、強い日本酒のせいで理性のたがが吹っ飛んだのだろう。くすくすと笑いながらこたつを軽くうしろに押しててやると、そのぶん、とぎれとぎれの吐息も下のほうへとずれていく。
       スゥエットパンツの中に手が入り込み、やんわりと握り込まれただけで、びくっと反応してしまった。
       そのことに水嶋がちいさく笑ったので、思わず彼の頭を両手で掴んでしまった。
       長い指が絡み付き、剥き出しにしていく。ぐうっと根元から勃ちあがった男根の張り出した先端のくぼみに、ぷくんと噴き出すとろみが竿を伝い落ちていくのを、水嶋は黙って見つめている。
       ひたと張りつく視線を感じるだけで身体中を炙られるようで、いたたまれない。
      「んなに……見んなって……はやく、舐めろよ……」
      「まだ。もう少し」
       ぽつんと呟く水嶋のさらさらした髪が太腿の付け根に触れては離れ、くすぐったい。
      「……おまえのここ……、こんなにいやらしい色になるんだ」
      「そりゃ、あんたに触られたら、いくら俺でもたまんねえっつうの」
       くそ、となじりながら、澤村はかすかに身じろぎした。あともう少しこのままの状態を続けられるのだったら、こっちが押し倒してやる。
       ふいに水嶋が楽しげな顔を近づけてきた。
      「朗、俺に夢中だろ」
      「……え?」
       思いがけない言葉に目を剥いている澤村に構わず、水嶋は身体の位置をずらし、突き立ったペニスをいきなり口の奥へと含む。
      「ん……ん……っ……っ」
      「バカ……いきなり、しゃぶるからだろ……」
       軽く咳き込んでいる男の背中をさすってやったが、腰から下に火が点いてしまった感覚に飲み込まれてしまってまともに思考が働かない。水嶋のほうも同じようだ。じゅるっ、じゅぽっ、とあからさまな音を立てながらくびれに吸い付いてきて、舌をくねり回してくる。ときどき、確信めいた目を向けられるのがたまらなくいい。
      「ヤバ……あんた、なにその顔……なんだよ、スゲエ、いい顔する……」
      「……朗の、舐めてる、から……」
       奥まで含んでいるせいでくぐもった声がどうしようもなく淫らで、潔癖な印象が強い水嶋がさらに深く胸に食い込んでくるようだった。両手で掴んだ澤村のそこをずるぅっと根元まで舌を這わせたあと、もう一度亀頭をねっとりとしゃぶる男の息遣いは浅く、せっぱ詰まっている。ひたむきな奉仕の仕方は最初の頃とまったく変わらなくて、それが澤村を微笑ませるのだ。
       けれど、毎日、少しずつ、変わっていく。一緒に過ごすなかで、互いに影響を及ぼし合う。そのことを熱く湿っていく肌で、指遣いで知る。スタイリッシュなインテリアの中にこたつなんていう和みのアイテムを採り入れたり、ふたりっきりの時間、空間ならば前よりも大胆に、奔放に求めたり。そうやって、自分の持っているものをひとつずつ共有していく楽しさは、水嶋だけに感じたものだ。
       くちゅ、とちいさな音を立てて先端からあふれ出すしずくを舐め取る男の赤く濡れた舌先を見ていたら、我慢できなくなってきた。
      「シャツ、脱いで」
      「……ん……」
       ぼうっとのぼせたような顔中にキスしているあいだ、水嶋が膝立ちして自分のシャツのボタンをひとつずつはずしていく。澤村のものを舐めているあいだに自分まで感じていたらしく、指先が細かに震えているのを知り、澤村は笑いながら一緒にボタンをはずしてやった。
      「乳首、弄っていい? 舐め回していい? あんたが痛がるほど噛んでもいい?」
       しばらくの間があったあと、こくん、と頷く男のシャツをはだけ、つぶらかな尖りが外気に触れて硬くしこるのを間近で見たら、頭で考えるよりも先にくちびるを押し当てていた。
      「あ、……あ……朗っ……」
       最初から思いきり噛んでやった。
       平らな胸にいやらしく突き出る両方の乳首をぐりぐりとこね回し、根元をきゅうっと噛むと、「あ」と声をあげて、水嶋が喉をのけぞらせる。ここを弄られることに水嶋はあまり積極的ではないことが、澤村をよけいに楽しませるのだ。
      「ホントはあんた、ここ、めちゃくちゃ感じるんだよな。乳首、ぬるぬるになるぐらい舐めまくってやると、うしろもスゲエ締まるし……」
      「ばか、なこと……言うな……っ」
      「じゃ、やめる?」
       淫猥に舐めしゃぶっていたそこからふいに顔を離すと、水嶋がぱっと表情を変える。困惑や羞恥、怒りを複雑に絡め合わせた最後に、抑えきれない快感に負けたらしい。
      「――して、……いい、から」
      「してほしい? 乳首をいっぱい弄って舐めて、って一度ぐらい言ってみなよ」
      「……ッ……!」
       凄絶な色気を交えた視線でぎらりと射抜かれた。そんなはしたないことを言うなら舌を噛んで死んだほうがましだとでもいうような顔で、思わず笑い出したくなる。
       土壇場に追い込まれてもなかなか崩れようとしない芯の強さこそ、彼に惹かれるゆえんだ。
      「あんたのそういう顔、大好きだよ。やらしいことをたくさんしてほしいくせに、いつまで経っても素直に言えねえんだよな」
      「……朗……っ」
       睨まれたところで、核心を突いているという自信があったから笑いかけてやった。
      「してあげるよ、たくさん」
       もう一度乳首に舌を這わせ、くちゅくちゅと舐め転がした。
      「あ……ぅ……っ……ん、ん……っ」
       真っ赤に腫れ上がった肉芽を執拗にいたぶられる水嶋の声は、もう掠れ気味だ。そのうち、快感に溺れて、無意識に胸をせり出すような格好にそそられる。膝をがくがく震わせて倒れ込みそうになる腰を支え、「もうちょっとこのまま」と命じると、肩を掴んできて必死にバランスを取ろうとするのが妙に健気だ。
       胸を弄りながら、スラックスのジッパーの上から何度も指で形をなぞると、泣き出しそうな感じの声が降ってきた。
      「……も、ぉ……いい、から……っ」
      「いいって、なにが。触っていいってこと?」
      「ん……ん、……」
       上手なねだり方をいつまで経っても覚えない男に微笑み、膝立ちにさせたまま、ジッパーをゆっくりと下ろした。金属のジリッと噛む音が水嶋にもよく聞こえるように、もったいをつけて下ろしてやり、下着ごと軽く揉み込むと、いきなり強くしがみつかれた。
      「へぇ……今日の弘貴、いつもより感じすぎ。下着まで滲んでるじゃん」
      「言う、な……っ……んっ、ぁ――あぁ……っ」
       窮屈な感じで下着の脇から硬く勃起したペニスをはみ出させて擦るだけで、ぬるっと濡れる感触が伝わってくる。
      「あ……朗、ろう、――ん……っく……っ……っや……っ」
       白いシャツは半端にはだけたまま、スラックスも膝までしか下ろしていなくて、ぬちゅぬちゅと澤村が性器を扱いてやるたびに下着がきつく食い込むのが鋭い快感になるらしい。
      「……もぉ、……い、やだ、……こんな、格好……」
      「そう? 俺はまだまだ見てたいけど。あんたが男の俺にいろんなことをされてよがりまくる顔、好きなんだよ」
       かっと顔を赤くする水嶋の指を素早く掴んで、自分の口に含ませた。
      「舐めて。しゃぶって。いっぱい。あんたのここ、ほぐすから」
      「……朗……」
       ひくひくとしなるペニスからうしろを辿り、きつく締まる窄まりを軽く押してやると、声がぐずぐずと蕩けていく。
       ――俺だけが知っている顔と、身体だ。お互いにいろんな過去を持っているけど、これから先、この顔と、この体温と、しなやかさを知るのは俺だけだ。
       隙さえあればいつでも食らいつきたくなるあんたを抱くのは同じ男の自分だと、何度でも言って、何度でも怒らせて、そのたびに求めさせたい。他の誰でもない、この快感を分かち合えるのは互いしかいないのだと、水嶋に徹底的にわからせてやりたい。
       口内をくちゅくちゅと動く指にたっぷりと唾液を絡ませるあいだ、自分の指を水嶋のくちびるに咥えさせた。
      「ん、ぅ、ん、ぁっ」
       濡れた場所を犯されることで、水嶋はもうひとつの繋がり方を覚えたのだろう。澤村の指の根元まで丁寧にしゃぶり、つぅっと垂れ落ちる唾液にも構わない。剥き出しにした性器を擦れ合わせ、ぬるつく快感に互いに掠れた吐息を漏らしたあと、ひくつく窄まりにゆっくりと指を挿れて拡げてやった。もちろん、彼の指も一緒に。
      「あ――あ……っあ、あぁ……っ」
      「ハハ、……中、マジで熱い。こんなぐずぐずになってるところに挿れたら、すぐイッちゃうんじゃん?」
      「う……」
       しがみついてくる男の指と一緒に、熱く狭い場所をぬちぬちと拡げてやると、水嶋が息を切らしてキスを求めてくる。
      「朗……ろう……っ」
       水嶋の身体はどこもかしこも火照っていて、唾液が甘くとろりと混ざり合い、奥のほうも淫猥に絡み付いてくる。
      「このまま……俺にまたがったまま、挿れてみて」
      「……っ……」
       騎乗位は水嶋がもっとも嫌がる体位で、澤村がもっとも好きな体位だ。
       みずから受け入れるところをすべて見られるのが、水嶋にとっては恥ずかしくてたまらないのだろう。むろん、澤村にとってはそれが快感で、軽く揺すってやるだけで、ぬくっ、と大きく張り出した亀頭を飲み込んでいく水嶋の表情の変化をひとつも見落とすことなく、好き勝手にあちこち弄れるのも楽しい。
      「あ……あ……ぁっ……」
      「もうちょい、奥……まで」
       長い時間をかけてようやく全部収めきったところで、はっ、と大きな息を吐いた。いつ、何度抱いても敏感な身体を、もっと追い詰めてやりたい。もっと狂わせてやりたい。もっともっと熱くさせてやりたい。
      「……おかしくしてやりたいよ、あんたのこと。俺とはめっぱなしでいないと気ぃ狂うぐらい」
      「……朗、……あ、……っ!」
       かすかに笑いながらぐっと腰をひねり入れると、悲鳴混じりの声があがる。
      「……いき、なり、うごく、な……っ」
      「だからって、いつまでもじっとしてろっていうの? んな生殺し、勘弁してよ」
       呟くあいだにも熱い襞がねっとりと絡み付いてきて、暴走しそうだ。
      「でも……、朗、……あっ……あぁっ」
       下から強く突き上げると、反論できなくなった水嶋が必死にしがみついてくる。その動きひとつで、もっと深く、もっと強い熱が待っている場所へ連れていかれる気分だ。
      「あっ、あっ、あぁっ」
       尻をきつく掴んで揺さぶり、奥まで怒張したものをねじ込んだ。ぬるりとしたしずくをまといつかせたそれで水嶋の身体の奥の奥まで犯し、肩にきつく食い込む指の強さに息を切らして笑った。それから、彼の背中を支えて一気に押し倒した。床にはやわらかなラグが敷いてあるから、水嶋が痛みに泣くこともない。
      「……朗……」
       伸ばしてきた指先に、くちづけた。
       暖かな灯りの下、清潔なシャツも髪もぐしゃぐしゃに乱して両脚を拡げる男の仕草のひとつひとつが、どうしてこうも鮮やかに、淫らに映るのだろう。
       冷めやらぬ熱を宿したくちびるを吸い取りながら、ずるく、ゆるく、きつく、腰を動かし始めた。根元までぐぷっと押し込み、互いのくさむらが擦れ合うぐらいの密着感に鼓動が駆け上がっていく。
      「ん、ん――……ぁっ……」
       ぐしゅぐしゅと音がこだまするほどに貫き、水嶋のそこが耐えきれずにひくついているのを見て扱いてやると、軽い呻き声とともに腕の中の身体が強くしなる。
      「ぁ……、あぁ、っいきた……い、く、っ……っ」
      「ん、……俺も」
       びゅくっと吐き出す白濁で自分の肌をはしたなく汚すことに泣きじゃくる寸前の男を抱きすくめ、激しく突いて奥まではめ込んだまま、溜めていたものをどっとほとばしらせた。
      「あ……あ……」
       達したばかりの水嶋の身体が艶めかしくひくつき、ぞくぞくするような快感がどこまでも尾を引くようだった。長く、終わらない射精で男の身体の隅々まで濡らし、もう一度でも、何度でも辱めてやりたくなる衝動に駆られる。
      「よかった?」
      「……うん……」
       ぼんやりと頷く水嶋の熱い頬をさすってやった。どうしても、どうしても笑いが抑えきれない。あんまりにも素直で、正直で、嘘がつけない男を抱いていて、さまざまな感情がふわりと煙のように浮かんでは消える。
       ――いつまで、一緒にいられるんだろう? あんたは俺に飽きたりしないのかな? 面倒なことが起きて、俺たちが離ればなれにならなきゃいけなくなったりするときが来るんだろうか?
       つかの間、胸に浮かんだ、名前のつけられない感情を悟ったかのように、水嶋が息を途切れさせながら、「朗」と呟いて手を掴んできた。その温もりに少し驚き、引き寄せられるままにした。たったいま、強烈な情欲を分かち合ったばかりなのに、その声はとてもやさしい。
      「ずっと、一緒にいるんだろ」
       言葉にしなくても、胸にある想いの方向は同じだ。そうとわかったら、やっぱり笑いたくなる。年齢も、キャリアも関係ないところでシンプルな想いを分かち合える相手が腕の中にいることに、心から微笑みたくなる。
      「そうだね。ずっと一緒にいるよ」
      「……うん」
       背中に回された手のやさしさに応えるように、澤村は自分と同じように目縁をゆるませている男の頬にそっとくちづけた。額やくちびるに繰り返しくちづけていると、水嶋の中で再びむくりと硬さが増していく。そのことにいち早く気づいたのは、どっちだろう。
      「いい?」
      「……いちいち聞かなくても、わかってるんだろ」
      「まあね」
       まなじりを赤くして睨み付けてくる男の耳たぶを甘く噛むと、とても熱い。一度達したあとのさらなる快感を、水嶋ももうよく知っているはずだ。
       形ばかりの抵抗を易々と抑え込み、「愛してるよ」と囁きながら動き出すと、「知ってる」と無愛想なふりをしようとして失敗し、掠れた声に、やっぱり笑ってしまった。


       そんなふうにして、毎日はいつになく穏やかに過ぎていく。
       澄みきった冬の晴れた日、ふたりが住む部屋の隅から隅までを掃除した最後には互いに盛大にくしゃみをしたところで笑い合い、風呂に入ってじゃれ、昂ぶる熱をいつまでも楽しんだ。時間も場所も気にせず、いたずらに触れ合うのは初めてかもしれない。何度抱き合っても、まだ知らない深みがある。そのことを指摘すると、はっきりとわかるぐらいに水嶋が顔を赤らめたので、からかうついでにキスをし、その先へと繋げていった。
      「あー、とうとう今年も終わりかぁ」
       大晦日の晩、すっかり綺麗に片付いたリビングで澤村はこたつにもぐり込み、のんびりとテレビを見ていた。右斜めに座る水嶋に、「お茶でも淹れようか」と聞くと、「うん」と返ってきたので、キッチンに立った。リビングにもキッチンにも、まだ、カレーのいい匂いが漂っている。一年の締めくくりに、「なに食べようか」と聞いたら、「おまえのつくるカレーが食べたい」と水嶋が言ったので、ひとつ腕をふるうことになったのだった。
       ――カレーもそうだけど、お茶もそう。これと目をつけた女はどこの誰よりも先に落とすと豪語していた俺が、今年は三つ年上の男のためだけにこまめに世話してやっているなんて。
       自分で考えてみても凄まじい変化に、苦笑いしてしまう。
       だけど、満たされるから構わない。
       精緻で美しく、誰も知らない楽しさをぎっしり詰め込んだゲームを生み出すことに精魂傾けている男の素顔をすぐそばで見られる冬休みは、まだまだ続く。
       ほわほわと白い湯気を立てるケトルのそばにいるあいだにも、テレビからはカウントダウンのにぎやかな声が聞こえてくる。仕事でパソコンにかじりついているときとは違い、キッチンカウンター越しに見える水嶋の横顔は安心しきったもので、思わず微笑んでしまう。
       彼の好みの温度で日本茶を淹れ、今日の日のために隠しておいたものを脇に挟んでリビングへと戻った。
      「はい、お茶」
      「ありがとう。……なんだ、これ」
       カタン、とこたつの上に置いた四角い紙包みに水嶋は不思議そうな顔を向けてくる。そういう顔がとても好きなのだと、いまさらながらに気づいた。なにも取りつくろうことなく、自然とあふれ出す感情をずっと隣で見ていたいから、「開けてみて」とうながした。
       お茶を一口飲んでから、水嶋がかさかさと紙包みを開け、やがて、声をあげて笑い出した。
      「これ、いつ作ったんだ」
      「休みに入る前。あとで飾ってもいい?」
      「うん。じゃあ、初詣に行く前に飾るか」
       四角いものを楽しげに弄りながら、水嶋は、ふふ、とまだ笑っている。
      「先、越された。俺が年明けにでも作ろうと思ってたのに」
      「せっかく新年を迎えるから、記念にと思ってさ。いまのと同じサイズで作ってもらったから、ちゃんとはまると思う」
       水嶋が手にしている長方形の白いプラスティックには、「水嶋/澤村」と黒く彫り込まれている。
       この部屋はもともと水嶋のもので、同居を始めたばかりのいまもまだ、表札は彼の名前だけだ。そこに自分の名前を加えてもらうことで、新しい年、新しい毎日を一緒に迎えたい。
       こんなふうに他愛ない毎日がずっと続くように。
       新しい年が来て、再び忙しい日々が始まっても、この表札がかかる部屋に戻ってくれば、ふたりきりの時間が待っていることを心から信じられるように。
      「ありがとう、朗」
       嬉しそうに表札をなぞる水嶋がもう一度礼を口にしたとき、ちょうどテレビでも新年の挨拶が始まったので、澤村は顔を引き締めて正座し、手をつく。水嶋も慌てて同じように手をついている。
      「あけまして、おめでとうございます」
      「今年も、どうぞよろしくお願いします」
       かしこまった挨拶に頭を深々と下げたあと、顔を見合わせて吹き出した。
       時間は昨日から今日へと滞りなく進んでいく。甘いキスをひとつしたら、互いに手を繋いで、寒い北風が夜空へと舞い上がる外へと出かけるのだ。
       毎年、少しだけなにかが新しくなる年の初めを祝うために。
       ふたりで紡いでいく時間の中に、いくつもの楽しさを見つけるために。
       しあわせなスタートは、もう始まっている。



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