「愛してるよ」(「チェックインで幕はあがる」番外編2006)

0

    「あんたを調べてほしいって、どういう意味だよ」
     花岡唯は訝しげな顔をして、眼鏡を押し上げながら訊ねた。
     世界的に名を知られたホテルグループのひとつ、クラヴィア横浜の総支配人である沖田恭一の職場を久しぶりに訪れたところ、思いがけない相談を持ちかけられて驚いていた。
    「そのままの意味だ。期間は一週間、俺の身辺をあまさずチェックして、周囲の人間が俺をどう思っているか徹底的に調べてほしい」
    「そんなこと言われても……俺はフリーライターで、探偵じゃないんだぞ」
    「とはいっても、隠密行動はお手のものだろう? 他人からそれとなく話を聞き出すのだって巧いじゃないか」
     そう言われてもな、と仏頂面をして花岡は熱いコーヒーをすする。
     沖田といえば、ホテル業界紙だけでなくビジネス誌の表紙を飾ることもあるほどの人物だ。赤字続きだったクラヴィア横浜を見事立て直した手腕に惚れ込む政治家とつながりを持つだけでなく、芸能界やスポーツ界、それに少々後ろめたい世界ともパイプラインを持つ実力派だ。
     そういう男が、『自分を調べてほしい』と思うこと自体はさほどおかしくない。立場上、さまざまな敵につけ狙われるだろうから、寝首をかかれる前に予防策を立てておけというのはトップに立つ者ならではの思考だろう。
    「……前に、加藤たちに策を練られたことをまだ気にしているのか」
     彼と知り合うきっかけになったクラヴィア内部分裂の件を持ち出すと、沖田は「いや、それとは関係ない」と肩をすくめる。
    「今回は純粋に俺自身がどんな評価を下されているか、知りたいだけだ」
    「沖田さん」
     ここに来て花岡の渋面は本物になった。
     どんな評価を下されているか知りたいなんて、彼らしくない言葉だと思ったからだ。
     沖田にまつわる黒い噂を暴き立て、スクープに仕立ててあげてやると意気込んだフリーライターの花岡がクラヴィアに潜入したのは、もう一年前のことになる。その最中、専属秘書だった加藤と副支配人の三浦が手を組み、卑劣なやり方で沖田をトップの座から引きずり下ろそうとした計画を聞きつけ、否応にも巻き込まれた。
     だが、結果的に沖田を守る形になった理由はただひとつ。彼の身辺を調べ回るうちに、その確かな力と自信に惚れ込んでいたからだ。
     ――でも、自分を調べてほしいと思うようになったらまずい。周囲を信じないばかりか、自分が今後なにをすべきかわからなくなっているんじゃないか。
     出会いのきっかけはどうあれ、恋人としてつき合うようになったいま、彼の力になってやりたいと思う。とはいっても、フリーライターの自分とホテル支配人の彼とでは、互いに忙しい日常に追われっぱなしで、甘い時間とはほぼ無縁だ。
     ――今日だって、このくそ忙しい年末に二週間ぶりに電話がかかってきて呼び出されたんだ。それでわざわざ横浜くんだりまで出てきてみれば身辺調査をしろと言われて、まったく、俺たちはいったいいつになったらのんびりした時間が過ごせるんだろう。
    「とにかく、頼んだからな。結果がまとまったらすぐに報告してくれ」
    「わかったよ」
     知らずと眉間に縦皺を刻んでいたのだろう。ふたりきりの総支配人室で、向かいのソファを離れて近づいてきた沖田が身軽な仕草でソファの手すりに座り、素早く顔を傾けてくる。
     あ、と声を出す暇もなかった。眼鏡を取り上げられ、ぼやけた視界に精悍な相貌が飛び込んできたと思ったら、次の瞬間にはうなじを掴まれてのけぞらされ、深くくちづけられていた。
    「……ッんぅ……」
     沖田のやり方はいつも唐突だ。男にも女にも慣れていると豪語しただけあって、ありきたりの経験しか積んでいない自分を翻弄するのなんかお手のものだ。
     顎を押し上げられて息苦しい。はッ、とひとつ息を吐いてくちびるを開いた隙に熱く濡れた舌を受け入れ、そのまま甘く吸われて強い快感に涙が滲んだ。
    「ん……んっ……」
    「久しぶりに会ったのにしかめ面ばかりしている罰だ」
     一瞬くちびるを離した沖田が笑い、「相変わらずネクタイの締め方が下手だな」と歪んだ結び目を引っ張ってくる。
    「しょうがない、だろ……、あんたに会うときぐらいしか締めないんだから……」
    「もったいない、おまえの顔にネクタイは似合うんだがな。生真面目な顔をしている奴がネクタイを締めていたらむしり取りたくなるじゃないか」
     それじゃ、なんのために締めているのかよくわからない。ばかばかしいと言い返そうとしても、喉をくすぐられ、伝ってくる唾液を飲むよううながされるのが悔しくて、たまらなく気持ちいい。
     だが、いま自分がいる場所を忘れきるほどの馬鹿でもない。いくらここがホテルだろうと、沖田はその頂点に立つ人物だ。男の自分相手に不埒なことをしている現場を誰かに見られたら、今度こそ大スキャンダルになってしまう。
     覆い被さってくる男を押しのけようと、必死にもがいた。
    「だめだって……誰か、来たら……」
    「夜の八時を過ぎているんだ。誰が来るわけでもないだろう。それともなんだ、花岡はここで止めてもいいのか?」
     くくっと低い笑い声が耳元で響き、身体の力が抜けていってしまう。オーダーメイドのスーツで包んだ沖田の鍛え上げた身体からかすかに香るすっきりしたトワレが、抑えていた官能を呼び覚ましてしまう。頻繁に会える仲じゃないから、少し触れられただけでもうだめだ。肌がざわめき、シャツをとおしても沖田の愛撫を欲しがっているのがひと目でわかるぐらい、胸の尖りが突き出してしまうのが恥ずかしくてしょうがない。
    「感じやすいのがおまえのいいところだよな」
     薄い生地を指でぴんと伸ばし、上から下へゆっくり撫でてくる沖田が視線を合わせてくることに内心歯噛みした。感じやすいなんて冗談じゃない。もともとセックスがそんなに好きだというわけじゃないと反論したくても、ボタンの隙間から忍び込んでくる長い指に硬くしこる乳首をつままれて転がされると、そこが熱く痺れてしまう。
    「くそ、……勝手に、触るな……っ」
     一方的に感じさせられるのが悔しくて小声で怒鳴ると、沖田も顔を引き締め、あろうことか胸ぐらを掴みあげてきた。厳しい顔を間近に見ると、その迫力に思わず呑まれてしまう。
    「二週間ぶりに会ったというのにずいぶんな言いようじゃないか。俺が勝手に触っちゃいけないっていうなら、他の誰に触らせるんだ」
    「――え……?」
     なにが彼の怒りに火を点けたのか、さっぱりわからない。快感の靄に取り巻かれてぼうっとしているのに、首根っこを掴まれるままに立ち上がらされた。
    「おまえが誰のものか、よくわかってないようだな。来い、ねんごろに可愛がってやる」
    「ちょっと待てよ、馬鹿……!」
    「馬鹿とはなんだ、馬鹿とは。仮にも俺はおまえより七つ上だぞ」
     ベッドルームに向かってずかずかと歩いていく沖田に力ずくで引っ張られ、ぎょっとしてしまった。
     うっかり忘れていたが、この支配人室は客室を転用したものだから、きちんとメーキングされたベッドルームが隣にあるのだ。
    「ごめん、さっきのは口がすべって……」
     ふわりとした灯りだけが点く室内でベッドに突き倒され、慌てて起きあがろうとする花岡を組み敷く男が鼻先でにやりと笑う。その骨っぽさに先ほどの愛撫を思い出し、じわりと腰が熱くなる。
    「その口も、なんのためにあるか思い出させてやるよ」
    「……ッ……」
     言い返す前にくちびるをふさがれ、あとはすべて沖田の言うとおりになった。

    「畜生……なんで俺がこんなことしなきゃいけないんだ」
     声が掠れるまで沖田に抱かれた翌日、花岡はぶつぶつ不平を呟きながらクラヴィア横浜のロビーを歩いていた。
     昨晩はほんとうに大変だった。沖田も三十六歳といういい大人なのだから、いちいちこっちの言うことに角を立てず、落ち着いた態度を見せてくれたっていいだろうに、あれで案外嫉妬深いところがある。そうとわかっていて、七つ下の自分もかわいげのないことを言ってしまうのだから、どっちもどっちといったところかもしれないが。
     とにかく、彼の頼みを聞かないことには穏便にすまなさそうだ。
    「どこからあたるかな……」
     身辺調査といっても、探偵が本業ではないのだから秘密裏に行動するのにも限界があるが、今回のケースは沖田本人の依頼という点が以前の潜入とはまったく違う。沖田自身が調査の依頼者だという点だけ伏せて、対象者からそれとなく話を聞き出すだけならさほど難しくない。
    「世間話につなげて聞いてみるか」
     ひとり呟きながら、十二月の忙しない雰囲気に包まれたロビーを突っ切り、コンシェルジュが控えているデスクに向かった。沖田の秘書として潜入していたときも、何度か顔を合わせたことのある男性コンシェルジュが笑顔で客と話している。
    「……それでは、気をつけて行ってらっしゃいませ。もし途中でおわかりにならないことがありましたら、お気軽にご連絡ください」
     横浜観光に出かけていくらしい客を送り出したあと、コンシェルジュが花岡を目に留め、「ああ」と顔をほころばせたのをきっかけに、そばに近づいた。
    「こんにちは、お久しぶりですね。お元気ですか?」
    「ええ、なんとかやってます」
    「沖田支配人の個人秘書になられたとか。さぞお忙しいでしょう」
     にこにこと話すコンシェルジュが言う「個人秘書」というのは、本来フリーライターという身分で潜入取材を行っていた花岡の過去を隠すために、沖田があてがってくれた肩書きだ。ホテル側の人間というより、公私ともにわたって沖田のスケジュールを管理するといった意味合いが強いだけに、日頃ホテルに顔をあまり出さなくても奇妙に思われることはない。
     ――一応、気を遣ってくれているんだよな、あれでも。
     そう思うとほんの少し胸が温まるが、実際こき使われている現状を思い返すとため息が出る。儲けにならない話には絶対に乗らない男だと思う、沖田というのは。
    「沖田支配人、最近はどうですか。ちゃんと現場を見て回っていますか?」
    「おっと、もしや抜き打ち検査ですか」
     ほがらかに笑うコンシェルジュは、ジャケットの胸ポケットに挿した銀色のペンをなにげなく引き抜き、「大丈夫ですよ」と頷く。
    「ああいう方が僕らのような現場の人間にいちいち声をかけて回るのは、大層めずらしいことなんですがね。支配人はその点、相当気を配られていると思います」
    「でも、逆に言えばいつも見張られている気がして落ち着かなかったりしません?緊張が続きすぎると疲れるじゃないですか」
    「答えにくいことを聞きますねえ。もしかしてこれ、支配人に頼まれての調査なんですか」
     核心を突かれたものの、花岡は鷹揚に「いえいえ」と笑った。
    「私個人の興味ですよ。……加藤秘書や三浦副支配人を糾弾したときもそうですけど、あれだけドラスティックな決断をされる方を周りは実際どう見ているのか、興味があるんですよ」
    「なるほど」
     見たところ、自分と同じ歳ぐらいのコンシェルジュは、「久坂」という名札をつけている。その久坂が、「もしよかったら、お茶でもいかがですか」と誘ってきた。
    「このあと、僕ちょうど休憩に入るんですよ。ラウンジでお茶でも飲みながら話しませんか」
    「いいですか? すみません」
     とんとん拍子に話が進んだことに気をよくしたものの、ちょっとうまく行き過ぎじゃないだろうかと案じる面がないわけじゃない。どんなことも、九十九パーセントまで物事を突き進めたとしても、あと一歩というところで気を抜くのがいちばん危険なのだ。
     ――残り一パーセントにくつがえされることはよくある。たとえば、いまはもういない加藤や三浦にとって、俺がその一パーセントだったんだ。
     クラヴィア横浜のスキャンダルを暴こうとした異分子のような自分がこのホテルにとって大きな梃子になったとまでは言わないが、沖田をトップに据え、現在の磐石の体制を築くまでの過程において、それなりに重要な位置を占めているというのもまた事実だ。
     油断することなく、かといって卑屈になることなく自分の信じるままに。それが沖田の胸にもあったはずなのに、なにを迷って身辺調査をしてほしいと言い出したのかがわからないだけに、不安は募る一方だ。


     雑誌の記事を書くという普段の仕事の合間に、久坂をはじめとした数人の人物へ接触し、必要な情報を集めたところでいよいよ一年の最後、大晦日となった今日、夕方過ぎに彼に電話をかけてみた。
     これから会えるか、という急な誘いに沖田は一瞬驚いた様子だが、「身辺調査がまとまった」と言うと、『すぐに行く』と返ってきた。年末年始、ホテルとしてはかき入れ時で総支配人としても休んでいる場合ではないらしいが、沖田は今日と明日の元旦の二日だけ休暇を取ったらしい。
     ――いつも忙しいから、正月ぐらいは家でのんびりするんだろうか。ひとりで? 家族と一緒に? そもそもあいつがどういう暮らしをしているか、そういえばはっきり聞いたことがないな。
     ふたりの関係に嫉妬という醜い感情を持ち込みたくないけれど、知っているようで知らないことも多い沖田の私生活を想像すると、疑いたくなってしまうのは自然な流れだ。巨大ホテルの総支配人という立場だけに、さまざまな出会いが沖田を待ち受けている。才能ばかりか、容姿にも優れた人物が多いだろうと思うと、自分らしくもなく落ち着かなくなるのだ。
     ――どうして俺と一緒にいるんだろう。それなりに役立つからだろうか。むろん、俺もそうありたいと思うけれど、それだけじゃないところでも求めてほしいと思うのは、我が儘かな。
     とりあえず、数時間だけでも一緒に過ごせるなら自分としても嬉しい。沖田を前にすると甘い言葉を言うのがどうしても照れくさいから黙り込んでしまうが、好きだから彼の無茶な願いも聞いてやりたいし、たとえ短い時間でもそばにいたい。そういうとき、べつに抱いてもらえなくても構わない。沖田がいまどんなふうに仕事にあたっているか、クラヴィア横浜の雰囲気はどうかという話が聞ければ、もう十分だ。
     ――彼とは仕事を介して知り合った。なにより、自分の才能を信じてあの大きなホテルを引っ張っていく強い骨に惚れたんだ。あんたは俺の憧れなんだよ、沖田さん。
     そんなことを正面切って言ったとしたら、どんな顔を見せてくれるのだろう。ひとり笑いしながら部屋を徹底的に掃除し、さっぱりしたところで風呂に入って汗を流したあとは、買い込んでおいた材料で水炊きをつくりはじめた。
     手料理をつくるなんてめったにないが、沖田がこのマンションを訪ねてくるのも久しぶりのことだ。味付けが多少心配だったが、そこは知り合いのシェフで、いまはクラヴィア横浜のメインシェフでもある倉下に頼み込んで、簡単においしくできるコツを教えてもらった。
     ――旨いものを食べ慣れているあいつが鍋なんて所帯じみたものを喜ぶかどうかわからないけど。
     沖田ほどの立場なら世界各国の旨い料理を制覇しているはずだが、こういうところで変に肩肘を張ってもしょうがないだろう。水炊きでもてなせるかどうか謎だが、精一杯こころを込めてつくれば、普段はなかなか言えない気持ちも通じるんじゃないかということにしておきたい。
    「鍋を食って好きだって気持ちが伝わるなんて変だよな」
     苦笑いしていると、インターフォンが鳴った。はっと壁の時計を見れば、電話をしてもう二時間近く経っている。急いで迎えに出ると、ぴしりとしたスーツにコートを引っかけた沖田が立っていた。
    「あ、……あの、……」
    「ただいま。エプロンが似合っているじゃないか」
     ちいさく笑い、沖田はワインボトルが入った紙袋を押しつけてさっさと部屋に上がってしまう。その後ろ姿を茫然と見送り、「……おかえり」と呟いたときには耳が火傷するぐらいに熱かった。シャツを汚さないようにとカフェエプロンを巻いていたことをすっかり忘れていたのも、痛恨の極みだ。
     一緒に暮らしているわけでもないのに、このしみったれた挨拶はどういうことだとぎりぎり歯ぎしりするのは、むろん恥ずかしいからだ。
    「今夜は鍋か。いいな、外も寒かったんだ」
    「あ、……いますぐ準備するよ。コート預かるから、こっちによこせ」
     リビングの真ん中に用意したこたつにもぐり込む沖田がコートを投げてくる。それを受け取り、寝室の壁にかけて再びリビングに戻ってみると、ジャケットを脱いで沖田はすっかりくつろいだ様子だ。
     今夜はこのまま泊まっていくのだろうか。それとも、数時間いるだけで、結局自分の家に帰ってしまうのだろうか。
     ――あと数時間で新しい年に切り替わろうとしている一年最後の日、一緒にいたいと子どもみたいなことを言って忙しい身の上のあんたを困らせるつもりはないけれど。
    「腹が減ってるんだ。早く食べたい」
    「わかったわかった。ちょっと待ってろ」
     家主よりも堂々とした態度には、どうしたって噴き出してしまう。一瞬の気まずさも忘れて花岡は鍋を置いたカセットコンロの火を点け、沖田が持ってきてくれたワインを開けた。
    「まずは乾杯といくか、今年もお疲れさん」
    「ああ、ぎりぎりまでお互い頑張ったよな。……あんたに頼まれた調査も終わってるよ」
     グラスを触れ合わせて芳醇な香りのワインを一気に流し込むと、沖田が嬉しそうな顔で、「そうか」と頷く。
    「結果はあとで聞かせてもらおう。それよりも早く食わせてくれ。これ、もう煮えてるのか? 食べてもいいのか?」
     腹が減っているというのは嘘じゃないらしい。そわそわしている沖田に笑いながら、花岡は機嫌よく菜箸を手に取った。


     慎重な顔つきで花岡が調査の話を持ち出したのは、鍋もすっかり平らげ、ワインボトルも残り少なくなったあたりだ。テレビでは大晦日恒例の紅白歌合戦をやっていて、沖田も満ち足りた顔をしている。
    「紅白歌合戦を見るのなんて何年ぶりかな……」
     ぼそりと呟く男に笑いを堪えながら、鍋やコンロを片付けた。
     超一流ホテルの支配人とふたり歌合戦を見ているというのも、なんだか変だ。思わず口元がほころんでしまいそうになるのを努めて引き締め、調査結果を切り出した。
    「あんたがどういうつもりでこの調査を依頼したのかわからないけど、おおむね、クラヴィアの人間は沖田支配人の経営に満足していたよ」
    「どのへんの人間に聞いたんだ」
     暖かい室内でシャツの袖をまくっている沖田がワインボトルを傾けたが、空になっていることに気付き、花岡はまだ封を切っていないブランデーを棚から出して渡してやった。もらい物だが、そこそこいい味のものだ。
    「現場クラスがメインだ。たとえばコンシェルジュの久坂さんとか、厨房のシェフとか。それからクリーニング部門のひとたちにも聞いたよ」
    「管理職には聞かなかったのか? ほら、加藤や三浦を追いつめるときには重役に話を聞いたんだろう」
    「あれは今回必要ないと思えたから省いた。逆に、現場のひとのほうがあんたを正しく判断するだろうと思ったんだ。管理職はさまざまな利害関係があって、本音を隠すことが往々にしてあるからな。……なあ沖田さん、あんた、なにが不安で自分がどう思われているかなんて知りたいんだ? 俺が話を聞いた誰もがあんたに強い信頼を抱いていたよ。クラヴィア横浜が今後どんなふうに変わっていくか期待しているとも言っていた。なのに、あんたはそういうスタッフを信用していないのか? 自分のやり方に迷いがあるのか?」
     周囲からどんなふうに思われているか、誰でも不安に思うことがあるだろう。だが、それがあまりに高じてこころを病んでしまうことがある。多くのスタッフを抱える立場にある者は、とくにその兆候があるのだろう。
     しかし、自分の印象なんてあやふやなものだ。百人に聞けば百人分の印象が返ってくるだろうし、たとえ「こう思ってほしい」と自分のいい面を全面に出したところで、みんなの目に同じように映るともかぎらない。
    「コンシェルジュの久坂さんと一緒にラウンジでお茶を飲んだけど、旨かったよ。俺が最初に飲んだ味気ない紅茶とは大違いだった。久坂さんはあんたの指示が細部まで行き渡っていることを、俺に一発でわからせてくれたんだよ。そういう部下を持って、あんたはしあわせじゃないか。いったい、なにが不安なんだよ」
    「誰が不安だと言った」
    「は?」
     思ってもみない切り返しに驚いて沖田を見やると、なぜだか苦笑いしている。
    「俺を心配してくれたのか? だったら悪かったな、勘違いさせて」
    「勘違いって……どういうことだよ」
    「俺を調べるうえで、いろんな奴から俺の印象を聞いたんだろう。それで? おまえはどう思ったんだ、花岡。多くの部下に慕われる俺という人間に惚れ直さなかったか?」
    「なに言ってんだ、あんた……」
     あんぐりと口を開ける花岡に、沖田は声をあげて笑い出した。
     なにが可笑しいのか、こっちはさっぱりわからない。すると沖田が素早く腕を掴み、強引に引きずり寄せてくる。
     むりやり背中から抱き込まれてしまった花岡としては恥ずかしさのあまり、肩越しに振り向いて目をつり上げた。
    「沖田さん、……ッ」
    「馬鹿だな、花岡は。どうしてそう頭が固いんだ。俺の評判を聞いて惚れ直させたいから、あの調査を依頼したんだろうが」
     そんな話があるか。一週間もかけた調査の依頼理由が、こんなに阿呆なものだなんて許し難い。
     ほんとうに冗談じゃない、一発怒鳴ってやると憤然と振り向くと、さも楽しげな目とぶつかった。
    「もし、おまえが俺に一ミリも興味を持っていなかったら、ギャラの発生しない仕事なんか引き受けなかったんじゃないのか? それでも調べてくれたってことは、多少なりとも俺を案じて――おまえのこころに俺が棲んでいるから、放っておけなかったんだろう?」
     自分で言うかと思ったが、真っ向から反論する気分でもない。
    「だからって、……俺を騙すようなやり方をしなくても……」
    「そもそも、おまえが俺にまったく甘えないのが悪いんだよ。電話してもちっともいないし、たまに捕まえても『忙しい』とあしらわれる身にもなれよ。俺が一方的に好きなのかと疑ってもしょうがないだろうが」
    「……ごめん」
     思わず謝ってしまった。だがよくよく考えれば、沖田だって時間に追われる身で、こっちが電話をかけることもある。
     なのに、いつもいつも、沖田は『もっと甘えろ』と言うのだ。
    「でも、あんただって忙しいし、俺もどう甘えればいいかなんてわからない。電話も邪魔になったらいけないからしないだけで……。しつこくして嫌われるのが嫌なんだよ……」
    「ほんとうは俺と一緒にいたいのか? だったらそう言えよ」
     うしろから抱きすくめられて耳朶を甘く噛まれると、意地を張りたい気分がぐずぐずととけてしまう。
     ここには自分と沖田しかいない。誰も見ていない。だったら今日ぐらい、甘えてもいいかもしれない。
     部屋は暖かいし、沖田もやさしい。頬をなぞってくれる指の感触に身体が火照り出してしまうのも、きっと彼にはばれてしまっているはずだ。
     じわじわと熱くなる頬をうつむけて、掠れた声で呟いた。
    「……一緒にいたいよ。俺だってあんたのことが好きだから、心配になってあの依頼を引き受けたんだ。今夜だってふたりで食べようと思って鍋をつくったんだし、部屋も掃除したんだよ。……ていうか、いまさらだけど、あんた、家で待っているひとがいるってことはないよな」
    「どういうことだ」
     奇妙な顔をする沖田に、ひとり暮らしなのか、それとも家族と暮らしているのかと訊ねてみると、ますます訝しそうな表情になる。
    「ひとりに決まっているだろう。それぐらい、どうしておまえが知らないんだよ。血のつながった家族ならともかく、俺がほかの奴と暮らしているなんて馬鹿なことを考えているのか?」
    「だって、はっきり言ってくれたことがないじゃないか」
    「はっきり聞いたこともないじゃないか」
    「でも、部屋に招待してもらったことがない。沖田さんは一方的に俺の部屋に来るけど、その逆はない」
     ああ言えばこう言う、の典型例になってしまった。勢いに任せた言葉が嫉妬混じりだったことに自己嫌悪してうつむくと、さも楽しげな笑い声が響く。
    「……悪かったよ。そういえばそうだ。忙しくて招いたことがなかったかもしれないな。明日でも明後日でも、おまえの好きな日に来ればいい。今度合い鍵もつくろう」
    「うん……」
     照れくさいけれど、胸が満たされていく。広い胸に頭を擦りつけると、首筋に軽くくちびるが押し当てられていく。その感触に胸の奥がとろけて、もう少し我が儘を言いたくなってしまう。
    「それから、あんたが今日と明日は休みを取っているって聞いたから、もしかしたら……」
    「泊まっていくかもしれないと考えたか?普通の恋人みたいに」
     とまどった末に頷くと、くすりと笑い声が聞こえる。
    「泊まっていけよ。せっかく、久しぶりに会ったんだから……」
     逞しい胸にもたれ、沖田の手がゆっくりとシャツを剥いで素肌に触れていくのを黙って許した。普通の恋人だったら、こんなふうにするのだろう。ふたりきりの部屋で身体を隙間なく密着させ、胸が疼くような熱と言葉をやり取りするのだ。
     うなじにくちびるが押し当てられ、ぞくぞくしてくる。
    「おまえは可愛いよ、唯。九十九パーセントは強情なのにな」
    「沖田さん……」
    「俺がいなくちゃ寂しくて眠れないぐらいのことを言ってみろ」
     そんなこと誰が言うかと思いながらも、胸の裡でなら言ってやる。
     ――そんなこと思いたくないのに、最近の俺はどうかしている。あんたともっと一緒にいたい。このまま帰したくない。
     両方の乳首をこりこりとねじる沖田の長い指を見ただけで、身体のどこかがしっとりと熱くとけていく。ちいさくても感度のいいそこは沖田の愛撫を敏感に受け止め、腫れぼったく尖って触りやすくしてしまう。
    「んッ――は……っ……」
     たまらずに首をねじってキスを求めると、鋭いまなざしがすぐそばにある。沖田の目元も赤く染まり、急速に乱れる花岡の姿に煽られているようだ。唾液がこぼれてしまうほどに深く舌を絡め合い、ときどき、悪戯っぽくくちびるの端を噛まれた。それでお返しに沖田に同じことをしてやると、低い笑い声と一緒に顔中にくちびるが押し当てられる。
     広い胸にすっぽりと収まり、とことん甘やかされるのが心地いい。いままで、誰にもこんなことをしてもらったことがない。それも当然だろう。男の自分を抱き締める余裕を持つ、まぎれもない男とつき合うのは沖田が初めてなのだ。
    「もう勃たせてるのか」
     ジーンズのジッパーがまっすぐ下りないことを指摘されたことで、羞恥に身悶えた。明るい部屋の中、羽交い締めにされているから、ボクサーパンツの縁を下ろして硬く勃起するペニスを引きずり出すところや、ぬるっとすべる亀頭のくびれを長い指がくすぐっていくところも、全部見えた。
     まるでオナニーを手伝ってもらっているような淫らな構図に、よけいに感じてしまうことに沖田も気付いたのだろう。びくんと跳ねるペニスをいやらしく扱きながら、「たまには我を忘れてみろ」と笑う。
    「眼鏡をかけてくそ真面目に仕事するだけがすべてじゃないだろう。俺だけに見せる顔があるんだろう?」
    「……冗談……ッそんなこと、したら、……呆れるくせに……」
    「それこそ冗談じゃない。いま以上におまえから目が離せなくなるだろうが」
     膝立ちするように命じられて、よろけながらこたつに手をついた。ついでに、やかましいテレビを消してしまえば、しんと静まり返った室内をふたりぶんの熱っぽい吐息だけが満たしていく。
     唾液で濡れた指に窮屈なそこを押し拡げられ、ひくんと喉を反らした。ゆっくり挿ってくる指に襞を丁寧に擦られ、信じられないほどに身体が熱くなっていく。
    「っ……あッ……」
     自分の部屋で、まさかこんな淫らな格好をさせられるとは思わなかった。しかも、相手は七つ上の男だ。過去に数度、リビングの隣にある寝室で抱き合ったことはあるけれど、場所を選ばずに求め合うなんて中学生のようながっついた真似をしたことはない。このあいだ、総支配人室で誘われたときだって最終的には寝室に連れていってもらった。
     だが、今日の沖田にはそのつもりがないらしい。ひくつく粘膜を押し分けていく獰猛なものを想像させるようにぐるりと指を動かし、抜き挿しする。
    「……そこ、……」
    「いいのか?」
     涙混じりに頷くとくるりと身体を返され、勃起したそこに噛みつくように沖田が顔を近づけてくる。
    「あぁ……ッ!」
     こたつの縁に座らされ、男に剥き出しのそこを咥えられて喘ぐ自分が信じられない。
     沖田の頭をどうにか押しのけようとしても、先端の敏感な割れ目を舌でくちゅくちゅとくすぐられると鮮烈な快感が意識を支配してしまう。
    「……ッいい……」
     どうしてこんなに自分の感じるところを知っているのだろう。濡れた舌がぬるぬると竿を伝い、いやらしくふくれた裏筋を吸われると眩暈がするほど気持ちいい。シャツの裾がひらひらとかすめるそばで、先端のくぼみを指でつつかれると、溜まっていたぬるみがつぅっと糸を引いてこぼれ落ちた。
     淫らな仕草を見せつけられて、おとなしくしていられるわけがない。
    「沖田さん――沖田、さん……」
    「ベッドに行くか?」
     聞かれたが、即座に首を横に振って沖田にしがみついた。
     震える指でスラックスのジッパーを硬く押し上げているそこに手のひらを這わせた。
    「……おかしくなりそうだよ、あんたのここ、触ってるだけで……」
     胸にある欲情を精一杯の言葉で言い表すと、沖田が目を瞠る。
    「――おまえにそういうことを言われる俺のほうがどうにかなりそうだ」
     沖田の両足のあいだにしゃがみ込んでジッパーを押し下げ、猛々しくそそり立つ男根を口いっぱいに頬張った。頬の裏側で亀頭を擦り、ぬちゅぬちゅと音を響かせてしゃぶるあいだ、頭上から艶っぽい吐息がいくつも落ちてくる。
     口に収まりきらないぐらいに大きくしたところで、沖田が腰骨をきつく掴んできた。
    「うしろを向け」
    「あ……」
     ぼうっとした頭で沖田に従い、こたつの天板にうつ伏せになって腰を上げた。
     指と舌でやわらかくなったそこに勃ちきったものがあてがわれ、息を吸い込んだ瞬間、ひと息にねじ込まれた。
    「――ん……っ」
     沖田にしか感じない硬い熱を待ちかねていたかのように、貪欲に絡みついてしまう浅ましさにくちびるを噛み締めた。
     もう何度も抱かれているのに、最初に感じる圧迫感は強烈だ。張り出した亀頭で狭いところを抉られ、擦られ、身体ばかりか頭の中までも熱くなっていく。
    「……唯、いいのか」
    「……うッ……う……」
     押し出されるように呻き、シャツをとおして伝わってくる沖田の吐息に身体を震わせた。
     男なら女を抱いて喘がせるのが普通だが、自分の場合は同性の沖田に骨が軋むほど抱き締められ、硬く太いものを身体のずっと奥に受け入れることまでする。涙を滲ませ、しだいに色濃い官能を混じらせていく喘ぎを漏らすことになるなんて、彼と出会った頃には想像もしていなかった。
     沖田と出会ったことで、さまざまなことを知った。
     自分の野望を押し進めるためならいくらでも非情になれる面や、異分子をばっさりと斬り捨てる潔い決断力に惚れたのはもちろんだが、その反面、彼なりに手に入れたものを慈しむことにも惹かれた。それが多少強引な方法であっても、沖田らしいなと思ってしまうのだから苦笑いしてしまう。
     たとえば、いまもそうだ。
     ――身体の隅々まで征服するような抱き方があんたにはよく似合っている。それにそう、俺もそのやり方に惹かれている。こうしているときだけ、あんたに屈服したふりをして、堂々としがみついてしまえるのが俺は嬉しいのかもしれない。
    「あぁ……沖田――さん……」
     突き動かされ、少しずつとろけていく襞をかき回すような動きに堪えられそうもなかった。夢中になって沖田の名前を呼ぶと、つながったままくるりと身体を返され、向き合った形で抱きかかえられた。うつむけば、互いに濡れた硬い毛が絡み合っている。少し腰を浮かせると、ぬちゅりと淫らな音とともに筋が浮き立った沖田のものが自分の身体の奥深くに挿っていくところがわずかに見えて、否応にも煽られてしまう。
    「このままいかせてやろうか? でも、後始末が大変だぞ」
    「……構わないよ」
     現実的なことを言われて思わず笑ってしまった。間近で見る沖田も男っぽい相貌に汗を滲ませ、シャツをとおして伝わる体温も高めだ。
     顔も名前も広く知られている彼のような男が、自分の前では自然に振る舞ってくれる。感じる顔を見せてくれる。そうとわかれば、忙しない日常の隙間にふっと生まれる密度の高い時間をもっと大事にしたいと思う。
     ――あんたを独り占めしたいよ。
     顔をほころばせてくちづけると、沖田はたまらなそうな顔をして腰をよじらせる。ちょっとした動きが、彼にも快感を刻むらしい。
    「泊まっていくんなら、……あんたに掃除させてやる」
    「ベッドメーキングならお手のものなんだがな。昔よくやらされたよ」
     くだらないことを言って笑い合い、キスを繰り返した。
     彼も自分もこころに決めた仕事に邁進する性格で、慌ただしい毎日を送っている。会えない時間が長引けば寂しさが募るのは当然で、ときどき大人げない喧嘩を繰り広げてしまうこともあるが、一年の締めくくりにこんなふうに抱き合えれば文句はない。
     そう思えるのなら、沖田が依頼してきたあの阿呆な調査もそれなりの意味があったのだろう。
     彼という人間をいま一度振り返り、さまざまな人間が抱く印象をつなぎ合わせた最後に、自分だけの純粋な想いをひとかけらつけ加えて惚れ直すという馬鹿馬鹿しい調査は、後にも先にも沖田にしかしてやるものか。
     誰よりも深い声で「唯」と呼んでくれる男を抱き締め、花岡は微笑みながら彼の耳に囁いた。
     仕事を愛し、それを理解しあえるパートナーにめぐり会えた嬉しさと、互いに心強い味方であるための勇気がずっと続くように。
     愛してるよ。


    コメント
    コメントする








       

    calendar

    S M T W T F S
         12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    24252627282930
    31      
    << December 2017 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    • 11/11お茶会レポ
      marilyn
    • 11/11お茶会レポ
      のぼりん
    • ドキドキです
    • ドキドキです
      のぼりん
    • 水嶋/澤村(オリジナル2008)
    • 水嶋/澤村(オリジナル2008)
      さえめい
    • もうすぐお茶会
    • もうすぐお茶会
      のぼりん
    • 求めたら最後(「愛執の鎖」原型2006)
    • 求めたら最後(「愛執の鎖」原型2006)
      のぼりん

    links

    profile

    書いた記事数:49 最後に更新した日:2017/12/08

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM