Secret214(「くちびるに銀の弾丸」2006)

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    「おっ、澤村、呑んでるか」
    「呑んでる呑んでる」
     ノックする音に続いて唐突に開いた扉にぎょっとして振り向くと、案の定、水嶋だ。
     切れ長の目元がいつになく赤らみ、普段なら口を閉ざしていることの多い男が今夜にかぎっては終始笑顔だ。ずかずかと室内に入ってくるなり隣にどかりと腰を下ろし、顔をのぞき込んでくる。
    「よし、じゃあ俺が酌をしてやるからグラスを寄こせ」
    「うわー……なんつう酔っぱらいだよ……」
     見慣れないものを見て、吹きだしていいのか困り果てるべきか。澤村の隣に座った水嶋は勢いよくグラスにビールをそそぎ、盛大に泡をぼたぼたこぼしたまま笑顔で、「ほら」と寄こしてきた。そういう男に、本気で怒れるはずがない。慌てておしぼりで濡れた手やスラックスを拭いてやり、わざとらしくため息をついてみせたのだが、水嶋はにこにこしているばかりだ。
    「しょうがねえな、もう。あんたのグラスもよこしな」
    「うん」
     こくりと頷く男からグラスをひったくってビールをついでやると、水嶋は一気に飲み干す。
     天井のスピーカーからははやりの曲が流れ、フロアのあちこちで笑い声が響いていた。
     ふたりの勤めるゲームメーカー、ナイトシステムが六本木の大規模なクラブを借り切った今夜、恒例の親睦会が開かれていた。毎年二月のバレンタインデーに開催されるパーティはナイトシステムの社員のみならず、つき合いのあるソフトメーカーや出版社、フリーのクリエイターが一挙に集まるため、大層華やかなものになる。つい少し前までは、海外旅行や大型液晶テレビが当たるビンゴ大会が開かれ、今日のために呼ばれたバニーガールたちが笑顔で当たり番号を読み上げるたびに、フロア中がにぎやかに揺れたものだ。
     昨年のナイトシステムは、水嶋が制作した『ぼくらのおやすみ』というソフトでミリオンヒットを飛ばしたおかげで、文句なしの業績だ。パーティも例年より大がかりなものになり、この春にも追加ボーナスが出る勢いだ。誰も彼もがはしゃいだ顔をしているのは当然というところだろう。
     水嶋もそのひとりなのかもしれないが、彼の場合は自身によるヒット作に浮かれているというよりも、今夜ここに集った客に次々に呑まされたせいかもしれない。
    「あー……呑まされた……」
     大きく伸びをする水嶋が身体をもたせかけてきたので、「頭、乗せなよ」と膝を貸してやると素直に寝そべり、気持ちよさそうにため息をつく。ストイックな印象の相貌に映えるシングルスーツに皺が寄るのにも構わず、ソファに乗り切らない片側の靴紐がほどけかかっていた。
     日頃の毅然とした態度はどこへいったのか。大勢のひとを逃れて、フロア三階にあるVIPルームにやっと逃げ込んできた水嶋に苦笑し、ネクタイの綺麗な結び目をゆるめてやっていると、「煙草、吸いたい」と聞こえてきた。
    「なんだよ、今夜はずいぶん甘えっ子じゃねえか」
    「悪いか」
     からかうように笑うと、水嶋も可笑しそうに口元をゆるめる。
    「しょうがないだろ。夕方から延々呑まされっぱなしなんだ。何回も乾杯の音頭を取らされるし、ステージで挨拶させられるし……ああいうの、恥ずかしいからいやなんだよ。……あ、サンキュ」
     くわえ煙草に火を点けてから水嶋のくちびるに挟んでやると、旨そうに深々と吸い込んでいる。
    「挨拶なんて慣れてるんじゃねえの? ゲームショウでもトークショーにはよく出てるじゃん。雑誌インタビューだって似たようなもんだし」
    「そうだけど、あれはなんていうか、あくまでも仕事の一環だろう。今夜みたいに見知った顔を前にした挨拶っていうのは妙に気恥ずかしい」
    「わかる気がするけどね。仲間を前にして改めて挨拶するってのも、ちょっと照れるよな」
    「なのに、おまえときたらさっさとVIPルームに逃げ込みやがって」
     じろりと睨まれ、「いやいやいや」と澤村も大げさに手を振った。
    「俺だってもう散々呑まされてんだよ。あのまま下のフロアに居続けたらそのうち絶対呑みすぎて倒れると思ってさ。あとは瀬木に任せてきた」
    「ずるい奴」
     くすくすと笑う水嶋と自分がいるのは、吹き抜けの円形フロアを見下ろすことができるVIPルームのひとつだ。はめ殺しのガラス窓から下をのぞけば、輝くライトを弾いてはしゃぐひとびとが見える。
     トップクリエイターとして名高い水嶋が次々に酒をつがれる側だとしたら、ナイトシステムのチーフ広報である澤村はやってきた客にどんどん挨拶してどんどん酒をつぐ側だ。広報という仕事柄、顔見知りの数は桁違いに多い。しょっちゅう会う出版社の人間やフリークリエイターなら名前も顔も完全に一致しているが、その連れの友人の知人といったところまで参加している状態では、愛想を振りまくのにも限界がある。それでもパーティ開始から三時間近くは広報としての役目を果たすべく奮闘し、知り合いに酒を呑まされ続けていい加減つらくなってきたところで、「おまえに任せたからな、次代のチーフを狙うんだろ」と瀬木の肩を思いきり叩いてこの部屋に駆け込んだというわけだ。
     部屋の灯りを落としたVIPルームは少人数用で、座り心地のいいゆったりしたソファの前には少し前にボーイに持ってきてもらったミネラルウォーターの入ったピッチャーとグラス、それにビールが並んでいた。
    「酒はもういい……」
     ぐったりした感じで呟く水嶋に、思わず笑い出してしまった。手元にあるリモコンで天井から流れ出す音楽のボリュームを絞ると、遠いところから喧噪が聞こえてくるだけになり、間接照明のやわらかい光で満たされる室内は静けさを取り戻す。
    「疲れただろう。パーティはまだ続きそうだから少し寝ておけば」
    「んー……」
     スーツ姿の水嶋は眠そうに瞼を擦り、澤村の膝に頭を乗せたままごろりと寝返りを打つ。フロアは違えど、仕事関係の人間が大勢いる場所でこんなふうに甘えてくるなんて、初めてじゃないだろうか。澤村の膝枕でうつらうつらしているところを見たら、あの瀬木でさえ腰を抜かすはずだ。
     ――よほど呑まされたんだろう。『ぼくおや』ヒットを祝う酒じゃ、このひとも断れないだろうし。
    『ぼくおや』は発売後、一年経っても未だ売れ続けており、ゲーム業界でも驚異的なロングセラーを放っていた。今日のこのパーティも、水嶋率いる『ぼくおや』チームをねぎらうためという側面がある。
     そういう場所で、水嶋も仏頂面を決め込むわけにはいかないのだろう。まめな対応と愛想の良さがウリの広報ならば、誰かに話しかけられてとっさに笑顔を取りつくろうこともできるが、水嶋にそういう器用さはない。
     広報はあくまでも、相手とのあいだに「仕事の話題」というものが挟まっているが、水嶋に近づくひとびとは皆、彼自身に興味を持っている。
     褒めそやされ、敬われ、注目を浴び続けることがどれほどのプレッシャーを呼ぶか、正直なところ恋人としても計りかねるというのが本音だ。笑顔で近づいてきても、内心は水嶋に対してねじくれた感情を抱いている者もいるだろう。
     ――このひとに近づくひとみんなが味方じゃないしな。
     実際、なかには「水嶋はもう終わった」と言い張る者が業界内外にいるのだ。
     ナイトシステムに来る以前、べつのメーカー在籍中に手がけたゴシックホラー・アクションアドベンチャーで、水嶋は一躍トップに躍り出た。そのときの印象が強いのだろう。『ぼくおや』のようなのんびりした世界観が受け入れられず、知ったような顔で「水嶋も日和見になっちゃって。子ども向けのものをつくり始めたらもうおしまいだよな」と冷笑する奴がいることを、澤村も知っている。
     だけど、あえて抗弁することもない。したり顔でああだこうだと言う奴がいる反面、『ぼくおや』の世界に存分に浸ってくれるユーザーもいるのだ。
     ――いまは大人も子どももゲームで遊ぶ時代だけど、このひとはそのへんの区別を意図的に大きくつけようとしているわけじゃない。誰でも、気に入ったらすぐに手に取れるような敷居の低さを目指しているんだ。楽しい世界を楽しく感じられる、そのことだけを頭に置いているんだ。
     自分の生み出した世界をより多くのひとに触れてもらえるよう、こころを砕く男をそばで見ていて、後押ししてやりたいと思う気持ちはいつの間にか自然とこの胸に根付いていた。
     水嶋とて、つまらないことを言って滅入らせようとするタイプの人間がいることを知らないわけではないだろう。昔、『ぼくおや』にバグを仕込もうとしたプログラマーの木内がいい例だ。かつての同級生に裏切られる気分というのは、どんなものなのか。
     澤村自身、未だなにかの折りに思い出すことがあるが、彼のほうはなにも言わない。
     あのときのことを忘れたわけではないだろうが、いまやるべきことに意識を集中している。そんなふうに感じられるのだ。
    「案外、あんたってしっかりしてるところはしっかりしてるよな」
     笑いながらやさしく髪を撫でると、水嶋は薄目を開けて、「なにが」と呟く。
    「俺がいなくても大丈夫なんじゃねえのって思ってたとこ」
    「当たり前だろ。澤村なんかいなくたって俺はちゃんとやっていける。ばかにするな。こう見えても俺は今年三十三で……」
     言っているそばから、はぁ、と熱っぽい時を漏らしながら腰に顔を押しつけてくる男の言うことなんか説得力ゼロだ。「はいはいわかったわかった」と笑い出すと水嶋はむっとした顔で起き上がり、「あのな」と斜な視線を向けてくる。
    「そうやっていつもからかうけど、俺がどれだけもてるか知らないだろう」
    「知らない。ぜーんぜん知りません」
     恐ろしいほどの酔っぱらいに、笑いを噛み殺すのがどれだけ難しいか。今夜の水嶋はめちゃくちゃだ。話があちこちに飛んでいることすら、自分で気づいていないんじゃないだろうか。
     ――からかったことと、もてるもてないってのがどうしてつながってんだか。
    「今日はバレンタインだっただろう。俺なんか死ぬほどチョコレートをもらった」
    「誰から」
    「パーティに来た女性全員から」
    「へーえ、スゲエな。水嶋さんってもてるんだぁ。ていうか、そんなこと言うなら俺だってめちゃくちゃもてるんだぜ。持って帰れないぐらいのチョコレート、クロークに預けてある」
    「どれぐらい」
    「んー、百個まではいかないかな」
     ばかばかしいやり取りに水嶋はふっと鼻で笑い、「俺なんかそれ以上だ」と胸をそらす。
     いまこの一瞬を携帯カメラで撮ってやれたら、どんなに楽しいだろう。あとで何度も繰り返しそれを本人に見せて、逆上するまでいたぶってやりたい。
     普段の水嶋からはまったくかけ離れた一面が可笑しくて可笑しくて、涙が滲みそうだ。
    「それ以上って、どれぐらい?」
    「段ボールで送られてきた」
    「マジかよ」
    「マジで」
     思わず乗ってしまった澤村に、水嶋は素直に頷く。そういうあたりが、どうにも可愛いと思わされるゆえんだ。膝枕してやっていたときに頭をぐりぐりと擦りつけていたせいか、髪の一部が撥ねているのを見ると撫でつけてやりたくなってしまう。
     どこからどう見ても大人の男が自分の前でだけだらしなくなったり、甘く崩れたりするのだ。そんなことのひとつひとつが最近、前にも増して嬉しく感じられるのだから自分でも困る。
     ――そういう顔を見られるのが恋人の特権だからな。
    「段ボールで送ってきた奴ってどんなのだ」
     訊ねてみると、水嶋の笑顔が本物になった。
    「『ぼくおや』のユーザーだよ。正確に言えば俺宛じゃなくて、『ぼくおや』のキャラクターたちに」
    「ああ、なるほどな」
     互いに吹きだした。あの世界に惚れ込んでくれている子どもたちが送ってきてくれたチョコレートなら、間違いなく純粋な愛情がこもっているはずだ。
    「あとで澤村にも分けてやるよ。食べきれないほどもらったんだ」
    「瀬木や北野たちにも振る舞ってやったら。俺はあんただけでいい」
     ぐっと肩を引き寄せたとたん、水嶋が大きく目を瞠る。澤村の切り込むような目つきに深い艶を見て取ったらしく、いま頃になって顔を引き締めようとしているが、もう遅い。あれだけ煽られて、黙っていられるかという心境だ。
    「待てよ、おまえ……こんなところで……」
    「あ、なに、いまさら酔いが覚めたとかふざけたこと言うんじゃねえだろうな。さっきあれだけ可愛く誘ってきたくせに」
    「誘ってない!」
    「誘っただろ」
     もがく男を押さえ込むのは、思っていた以上にたやすい。酒が浸透した身体で抗うのはつらいらしく、くちびるを重ねた瞬間、水嶋の目がじわっと潤むのがわかった。
    「ばか、まずいって……パーティの途中、だろ……」
    「だからなんなんだよ。俺に触ってきたのはあんたのほうだろ。俺はね、弘貴に触られておとなしくしているような男じゃねえんだよ。……とっくにわかってんだろうが、それぐらい」
    「ん、ん……っ」
     ソファに崩れ込む男に覆い被さり、両手で頭を鷲掴みにしてくちびるを甘く吸ってやった。蕩けてしまいそうに熱い吐息を飲み込み、口蓋をしつこく舐めしゃぶってやると、水嶋の四肢から力が抜けていく。
     ホテルや自宅以外で触れ合うことを頑なに拒む男でも、今夜ばかりは酒のせいで自制がきかないらしい。澤村が試すように舌をきつく吸い上げ、唾液をとろりと伝わせると、そのあとを追うように首に両腕を絡み付けてくる。
    「……朗……」
     せつなく掠れていく声を聞くだけで、こっちがおかしくなりそうだ。薄暗い照明の中、水嶋のシャツを剥ごうとすると思いのほか抵抗された。
    「いやだって、ここじゃ……!」
    「じゃ、どうすんの。いますぐ抜け出してホテルでも行く? でも三十分後にはあんた、もう一度挨拶しなきゃなんないだろ。だからって、このまま放っておいていいとは思えねえけど」
    「っ……」
     互いのスラックスの前を擦れ合わせるように抱き締めると、水嶋がひくんと喉をのけぞらせる。男にしてはきめの整った肌に歯を突き立ててやれば、腕の中の身体が一層火照るようだ。
     きつく閉じた瞼の縁が赤らんでいる。それを見ていたら、もっと強く揺さぶって泣かせてしまいたくなる衝動に駆られるが、ここでむりをしてもしょうがない。
     同じ男で、いまはもう同居もしている間柄だ。なのに、いつまで経っても水嶋の中の羞恥心は薄れず、それが澤村を夢中にさせるのだ。
     どんなに深く交わり合ったとしても、他人だからこそ崩せないものがある。水嶋の場合、それが羞恥心だったり、プライドだったりするのだろう。
     ――それでいいんだ。ずっと変わらないものを持ち続けるあんたは、俺を強く惹きつけるんだ。
     汗ばむ額をやさしく撫でて、澤村は「それじゃ」と彼の前にしゃがみ、大きく開かせた両足のあいだに身体を割り込ませた。
    「口でしてやる。残りは、パーティが終わったらな」
    「え、――……朗、待てよ、……ッあ、……あ!」
     阻まれる前にスラックスのジッパーを引き下ろし、とっくに昂ぶっていた水嶋のそこを下着の縁からのぞかせた。自分のものより少し細めで、先端のくぼみに透明なしずくを滲ませた男の反り返るものを見るだけで、頭の底が熱くなってくる。もう数えきれないぐらい愛撫してやったのに、感じやすい水嶋が必死に快感を堪えようとしている声を聞いただけで興奮してしまう。
    「感じさせてやるよ」
    「あ――……っ」
     細く尖らせた舌先でちろちろと割れ目をくすぐると、我慢できない感じでとろとろと愛液があふれ出す。淫猥な舌遣いに、水嶋は驚愕のあまり目を閉じることも忘れているらしい。頬をかっと赤らめて澤村の頭を押しのけようとして失敗し、掠れた声をあげてのけぞる。
    「っ……よせ……! 誰か、来たら……」
    「余裕あるじゃねえか」
     不敵に笑い、握り込んだそこをねっとりと舐った。とくにくびれのところはしつこく舌を這わせ、水嶋がすすり泣いてもやめなかった。うしろのくぼみにも指を這わせてやさしく擦ると、自然と腰が浮き上がって水嶋みずから口淫を求めているような格好になるのが、またいい。
    「ん、あ……」
     硬く勃起したものは欲情に先端を色濃くし、水嶋の端正に整った相貌とは不釣り合いなほどに淫猥だ。そういうところにも惹かれると言ったら、惚れすぎだと笑われるだろうか。
     シャツが少し乱れていても、ネクタイは締めたまま。だけど、スラックスのジッパーだけ下ろして、剥き出しにさせられたそこをいいように弄られて喘ぐなんて、いつもの水嶋だったら絶対に許していなかったはずだ。とすれば、たまには泥酔してくれるのもいいかもしれない。
     ほんの少し前までは、日めくりカレンダーのように女を取っ替え引っ替えしていたのに、いまじゃたったひとりの男に身もこころも奪われている。
     切れ味のいい仕事ぶりを見せてくれる反面、こんな場では超然と構えていることもできず、自分と同じように昂ぶり、感じることを言葉ではなく、身体そのもので教えてくれる男から一瞬たりとも目が離せない。
    「……い、きそう……朗……もう……」
    「もう少し感じなよ。パーティが終わるのが待ちきれなくなるぐらいにさ」
     言うなり、ぬるっと扱いてやると水嶋が身体を強く震わせた。
    「ん――ン……ッぁあ……っ!」
     口に含んだまま扱いてやると、熱いしずくがびゅくっと喉の奥に引っかかる。硬く脈打つものを澤村は丁寧に舐め回し、しつこくしずくを誘い出すように何度も先端の割れ目を舌先でつついた。
    「――朗、もう、……いい……」
     熱っぽく気怠い声で水嶋が呟くので、下肢を拭いて身なりを整えてやったあと、「満足した?」と顔をのぞき込んだ。
    「……おまえは……」
     乱れた髪を乱暴にかきあげる水嶋の目元は、一方的にいかされたことの悔しさのせいか、場所を選ばずに感じさせられた恥ずかしさのせいか、ひどく潤んでいる。
     その顔を見て、仏頂面でいられるか。
     なにも知らない男ならいまの行為だけで十分満足するだろうが、水嶋も、自分もそうじゃない。もう長いこと、互いの身体にひそむ深い熱の虜になっているのだ。ただ触れ合うだけじゃもの足りない身体になっていることがわかっていれば、こころの底から微笑んで、じわじわと熱く、赤くなっていく耳たぶを噛んでやればいい。
    「あんたがこれぐらいじゃ満足しないってこと、俺にはばれてるんだよ」
    「……それなら」
     欲情冷めやらぬ眼差しで射すくめてくる水嶋が、憤然と立ち上がる。それからおもむろにジャケットの内側から財布を取り出し、クレジットカードを投げつけてきた。
    「俺が挨拶してるあいだ、これで近くのホテルを押さえておけ。スイート以外許さないからな」
    「待てよ、バレンタインの今夜にスイートルームなんかどこも……」
     空いてねえだろ、という反論は、扉に行きかけていた水嶋が足早に戻ってきたことでかき消えた。ソファのうしろに立った男を振り返るや否やいきなり顎を掴まれ、ぐいっとねじられる。
    「弘貴」
    「……もの足りない。もっと朗としたい」
     甘く掠れた声に目を瞠るのが先か、くちびるをふさがれたのが先か。ただくちびるの表面が重なるだけのキスなのに、しっとりと濡れた感触がひどく疼くものをもたらしてくれる。
     水嶋らしからぬ挑発に目を見開いたままなのが、可笑しかったらしい。
     ネクタイを締め直した男が、ふと肩を揺らして笑い出す。しばし呆然としていた澤村も、やがて楽しげな声につられて笑ってしまった。
     これでこそ水嶋だ。やられっぱなしで黙っていないところが、同性ならではの醍醐味だ。つき合いだした当初は自分との恋に臆する面もあったが、いまでは日に日に力を増し、ときおり、こっちがびっくりするようなことをやってくれる。
     たとえば、いまのキスのように。
     軽く触れただけでも甘くみずみずしい熱を残すキスは、水嶋にしかできないものだ。
    「やるじゃねえか、あんたも。いま言ったこと、覚えとけよ。広報の意地に懸けて、東京じゅうのホテルをかっさらってでもスイートを探しておいてやる」
    「だったら、俺も早めに挨拶を終えてくる」
     現金なことを言いながら部屋を出ていこうとする男を捕まえて、澤村はそっと囁いた。
    「どれだけたくさんのひとからチョコレートを贈られても、あんたをいちばん好きなのは俺だよ」
    「……うん」
     いい大人が交わすには甘ったるい言葉だが、水嶋ははにかむように微笑んでいる。その顔にもう一度くちづけると、チョコレートよりも甘い疼きが身体じゅうに広がっていくようだ。
     ひとりきりでいたらけっして味わえなかったもどかしさを、楽しさを、せつなさを意識の隅々まで染み渡らせる今宵、パーティのざわめきが遠ざかったら、今度はふたりで終わらない熱を探しに行くのだ。


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