電子書籍のお取り扱いについて

0

    以下のサイトで、完売している同人誌のダウンロード販売を行っております。

    ぜひご利用くださいね。

     

    ☆ブックウォーカーさん

    「あなたのすべては俺のすべて」(「黒い愛情」番外編)400円

    準備中「FUNNY GAMES」(「共喰い-αの策略-」番外編)

     

    ☆ガールズマニアックさん

    「あなたのすべては俺のすべて」(「黒い愛情」番外編)400円

    準備中「FUNNY GAMES」(「共喰い-αの策略-」番外編)


    8/11夏コミと8/19インテについて

    0

      8/11夏コミと、8/19インテのお知らせです。

       

      8/11 夏コミ 西2あ-27b 「Cult7」(オリジナルJUNE)

      お疲れ様でした!

       

      8/19 インテ 6号館Dも-70a 「Cult7」(A3!)

      ☆インテには夏コミ新刊「FUNNY GAMES」少数、

      万至の新刊「妻になるひと、千ヶ崎至」

      既刊の万至「その気になったら屋上で」

      既刊の臣太「初めてのxxx」

      を入れます。

      今回オリジナルJUNEの既刊は搬入しません。

       

      ☆おねがい☆

       

      ※朝一番の高額紙幣はご遠慮下さいませ。

       

      ※すべて18禁ですので年齢確認をする場合があります。

       

      ※8/19大阪インテは搬出の箱数があらかじめ決まっているので、すべての差し入れをお受け取りできません。お気持ちだけありがたく受け取ります♥

       

      ※混雑時でなければサインをいたしますので、お気軽にお申し付け下さいね。

       

      両イベントとも、あまり暑くならないとよいですね……!

      お声がけしていただけるととても嬉しいので、ぜひスペースにいらして下さいませ。

      こころよりお待ちしております。

       

       

      ☆☆新刊「FUNNY GAMES」サンプルは記事の続きからどうぞ☆☆


      烈火の誓い(後編)

      0

        【烈火の誓い 前編】

         

         悶々とした熱が身体の奥にあることを忘れかけたのは、夕暮れどきだ。素晴らしい快晴で、沈んでいく太陽を邪魔する雲はひとつもなく、斎は高良と手を繋ぎ、荘厳な夕暮れをただただ見つめていた。
         人間がどんなに頑張っても、こんなにも胸に染み込む感動はつくれない。そう思うが、少なくとも、この光景の中に自分と高良がいられることは素直に嬉しかった。
         昼間の一瞬の情事が嘘のように思えるが、掴まれた手から伝わる熱が、――あれはほんとうにあったことなんだと教えてくれる。
        「夕食、どうしようか」
        「昼間、スーパーマーケットで買ってきた刺身があるだろ。あれ食おうぜ。俺が味噌汁をつくるから、斎はメシの用意をしてくれ」
        「うん、わかった」
         東京のように電気炊飯器を使うのではなく、プロパンガスしかないここでは、鍋で飯を炊く。焦げてしまわないかどうか心配だったが、運よくちゃんと炊くことができた。
         虫除けの蚊取り線香を縁側に置いて網戸を閉め、海に面した部屋で夕食を食べることにした。
        「いただきます」
        「いただきます、……うん、うまい、このメシ、よく焦がさなかったな」
        「ずっと鍋の前で見張ってた。光司がつくってくれた味噌汁も、おいしい。こっちの味噌汁って具が一杯入ってるんだよな」
        「これに慣れると、東京の味噌汁がもの足りねえんだよなあ」
        「刺身もおいしい。新鮮なのを買ってきてよかった」
         テレビがないから、ふたりだけの会話が唯一の音だ。それと、波音と静かな潮風。緊急用のラジオはあり、ちゃんと受信することを確かめたあとはスイッチを切り、自然の音に浸ることにした。
        「こういうの、いいな……。普段は必要以上にたくさんの音の中にいるんだってことが、よくわかるよ」
         夕食を食べ終え、斎はごろりと畳に寝そべる高良のそばに腰を下ろした。
         神に祝福された島に、いま、高良と自分のふたりしかいないということが不思議と怖くなかった。
        「おまえの……つがいになるって覚悟を決めたからかな。前に会社のひとたちと来たときは、自然の脅威に押されて怖い思いをすることが多かった。でも、いまは違う」
        「落ち着くか?」
        「うん。できれば、もうここに住んでしまいたいぐらい」
         そう言うと、寝返りを打ってこっちを向く高良が可笑しそうに肩を揺らす。
        「一週間もすりゃ飽き飽きして、都会に帰りたくなるぜ」
        「そうかな。俺は結構本気でここにいたいって思ってるんだけど」
        「まだ、いまは早いだろ。一日海を眺めて、拝所に水を供えて、また海を見るってえ生活は、隠居後にやれ」
        「この島出身のおまえがそんなこと言うのか?」
         くすくす笑うと、ひょいと身体を起こした高良が、「そうだ」と頷く。
        「ちっぽけな島で自然とだけ向き合って暮らしていきたいっていうのは、確かに憧れるよな。でも、台風が来たらひとたまりもねえし、助けも呼べない。まだ俺もおまえも達観できるような歳じゃないだろ。嫌になるぐらい、まだまだ大勢の人間の中で揉まれておいたほうがいいんだ」
        「俺と同じ歳なのに、光司ってたまに……」
        「なんだよ、年寄りじみてるって言いたいか?」
         近づく顔にどきりとして、「違う」と首を振った。
        「俺より、ちゃんと物事を見てるって感じがする。そういうところ、好きなんだ」
         するりとこぼれた本音に、高良はわざとらしいため息をつく。
        「……おまえ、天然だよなぁ。俺のほうが制御しなきゃいけねえのに、引きずられる」
        「光司?」
        「来い。拝所に行く」
        「え……」
         突然腕を掴まれて、とまどった。島の聖域である拝所は森の中にあり、ハブが出やすい夜になって出かける場所ではないことは高良も知っているはずだ。だが、長靴を履かされ、懐中電灯を持たされて、断れなかった。
        「こんな時間に拝所に行ってどうするんだ? ……あ、水をお供えするのか?」
         背丈ほどもある草むらをかき分けて先を歩く高良の背中に問いかけても、答えは返ってこない。
         森の中に入ると、浜辺とは違うひんやりした空気が広がっていた。夏の夜だが、ほんの少し寒さを覚えるほどだ。
         先を行く高良が手を繋いでいてくれたせいで、迷わずに拝所へとたどり着いた。
        「入れ」
         背中を押されて中に入ったとたん、足が竦む。
         室内は真っ暗だ。それよりもなによりも、初めてここで高良と契りを交わしたときの強烈な興奮がありありとよみがえってくる。
        「光司……まさか……」
        「昼間の続きだ。ただし、今度は最後までやる」
        「……最後、まで」
        「何度もおまえと交わる。朝までずっとだ」
         低い声に、ずくんと身体の奥が疼く。高良がろうそくに火を灯し、部屋の隅に置く。とろみのある小皿も布団のそばに用意され、疼きがますますひどくなっていく。
         ――あれは媚薬だ。この島だけに伝わる薬で、俺はあれを塗り込められると、たまらなく疼いて、いつまでも光司を欲しがってしまう。
         拝所の奥の部屋には、すでに一組の布団が敷かれていた。きっと、数日前にここに訪れた島の住民によって整えられたのだろう。彼らは、ここでなにが行われるのか、知っているのか。男同士で島の秘密を守るために身体を深々と繋げる行為は荒っぽさと生々しさに満ちていて、都心のホテルやマンションの一室でするようなスマートなものではない。冷房もない場所で、汗を拭うために用意されているのは水が入ったポリタンクと何枚かのタオルだけだ。
        「斎、俺の前に立て」
         真っ白な敷布でくるまれた布団の前で、斎はうろたえながらも命じられたとおり立った。同じように立った高良がシャツのボタンをはずしてきて、肌をつうっと舐めていく。
        「光司……なにして……」
        「いいから、おまえは立っていろ」
        「ん……」
         高良は丁寧な指遣いで服を脱がしていき、あらわになった斎の肌を舐め回す。
         昼間、無理やり抑え込んだ熱が一気に暴走してしまう。くすぐったい脇腹も、背中も舐められ、膝ががくがく震え出した。
        「ちゃんと立ってろ」
        「でも……!」
         つらい、と小声で頼み込むと、「俺の肩に捕まってろ」と言われたので、きつくしがみついた。高良は構わず、斎の臍を舐め、パンツと下着をゆっくりと引き下ろしていく。内腿の一番やわらかな部分を舐められ、びくんと性器が跳ね上がった。高良の舌は剥き出しになった尻の狭間にまで忍び込み、斎が啜り泣いても止めない。勃起した性器はそのままに、熱く濡れきった舌が尻から腿へ、膝へ、くるぶしへ、そして足の指にまで伝っていく。
        「あ……」
         裸にされ、高良の舌ですべてを舐め回されることに陶然となり、高良の名前を何度も呼んだ。きついほどに昂ぶる性器に触ってもらえないのが苦しい。
        「どうして、こんな、こと……」
        「俺のつがいを俺の舌で清めるのは、当たり前のことだろう?」
         全身、高良の唾液でぬめぬめと濡らされてどうしようもなく恥ずかしい。だが、高良にされるがままでいいのだろうか。前はしきたりに従って高良に抱かれる一方だったが、昼間、身体に灯された淫蕩な炎が力を増し、斎を奮い立たせる。
        「俺が……おまえのつがいで……花嫁だっていうなら、俺にも、……同じことをさせてほしい」
        「おまえにできるか? 俺を舐め回せるか?」
        「できる、――したいんだ」
         せっぱ詰まった声で頼み込むと、高良が薄く笑いながら立ち上がる。
         傲岸不遜に仁王立ちする男のどこから舐めようかと思い悩んだが、――同じようにしてみようと、シャツを脱がしたところから懸命に舌を這わせた。自分よりも逞しい身体の男を愛撫するのは、並大抵のことじゃない。強く出っ張った鎖骨の硬さを確かめるために噛み、灼けた肌、胸にもくちづけた。下着を脱がすと、ぶるっと大きく亀頭が跳ね出て思わず腰が引けそうだが、なんとか堪えてひざまずき、胸に溜まる熱い息を吐き出しながら腰骨を舐めた。尻にもつたなく舌を這わせて、地面に頭を擦りつけるような格好で足の指一本一本を丁寧にしゃぶった。
        「光司……」
        「なんだ」
         膝立ちで高良の腰にすがりつき、斎は狂おしい疼きを懸命に堪えながら言った。
        「光司のここ、……舐めても、いいか」
        「舐めたいのか? 俺はまだおまえにそこまでしてないが」
        「舐めたいんだ。なんでだか、わからない……。でも、おまえのここを見てると、頭がおかしくなりそうで……いいか? 俺から奉仕するのは掟にそむくのか?」
        「いいや」
         高良が口の端を吊り上げた。
        「それでこそ、俺のつがいだ。二度目の交わりでは、つがいから奉仕を求めるのが島の掟だ。……斎、俺を感じさせてくれ。あとで、おまえをうんと可愛がってやる」
        「ん……」
         高良を求めること以外、もう、なにも考えられなかった。男同士で交わることの異常さより、高良とまたひとつになれる嬉しさが勝ち、斎をのめり込ませた。
        「……っん……こう、じ……の、ここ、おっきくて、一度じゃ、はいらない……」
         極太の男根を両手で握り、先端からそっとくちづけて割れ目を丁寧に舐めた。熱く勃ち上がる高良のそれは筋が太く浮き立ち、濃い繁みにまでとろみが伝い落ちていく。自分のそこよりもずっと濃く生えた繁みを舌でかき回し、重たく引き締まる陰嚢にちろちろと舌を這わせていたが、しだいにその熱量をじかに確かめたくなってきて、思いきって口に頬張った。
        「ん……ぅ……」
         丸めた舌で陰嚢をくるみ込み、にちゅり、にちゅりと舐り回しながら、竿を両手で扱いた。
         こんなにも激しい口淫をしたのは、初めてだ。性欲が薄く、潔癖なほうだと斎は自認しているが、高良を相手にするとすべてが変わる。
         前にこの島に来たとき、一度だけ高良のほうから口淫を強いられたことがあったが、あのときと今夜はまったく違う。なかば無理強いをされたあのときとは違い、今夜は、自分の中の潜む淫蕩の塊を覆う硬い殻をみずからはがしていくような感覚だ。
        「光司……光司……っん……」
         呻きながら高良の肉棒を咥え込み、頭を前後に振りながら舐めしゃぶるあいだにも、ぎりぎりまで昂ぶった淫蕩が肌を突き破ってしまいそうだ。高良もそれに気づいているのだろう。
         全裸で仁王立ちしたまま斎の頭を鷲掴みにし、おのれの猛りで思う存分、口腔を犯してきた。
         ろうそくの灯りで浮かび上がる淫猥なふたりの姿はぼんやりと壁に映し出される。床に膝をついて男のものを口で愛する斎と、その様子をじっくり眺める高良の行為は、ほんとうの意味での交わりだった。戯れに他人の身体に触れて一瞬の熱に酔うのではなく、血を分け合うほどの濃さで求め合う姿はかぎりなく獣に近い。
         張り出した高良の亀頭で敏感な上顎の内側、頬の内側を擦られるたびに、性器がひくん、ひくんとしなり、濡れる感触がする。
        「ん――ん、……ぁ……っ!」
         精一杯口の奥まで含んだ瞬間、頭を掴まれて、引き離された。たったいままで、口の中一杯を大きな塊が占めていたのに。突然の空虚感に襲われてためらっていると、高良が布団に寝そべり、斎にまたがるよう命じてきた。
        「どう、すれば……」
        「そのまま、俺の顔まで近づけろ。しゃぶってやる」
        「こんな格好で……するのか?」
        「嫌か?」
         臍まで勃ち上がった性器をやんわりと掴まれてしまえば、拒めない。ああ、と熱っぽい吐息を漏らしながら、斎は恥じらいながらも高良の言うままに彼の顔の上にまたがった。
        「んっ、んっ……あぁ……っ」
         高良の愛撫は濃密で、的確に斎の感じる場所を押さえてくる。先端をねっとりと舐り、愛液を垂らし続ける先端をくりくりと擦られると、達してしまいそうだ。
         舌先と指だけで性器を際どく昂ぶらせ、斎は、我慢しろという命令も忘れて嬌声を上げていた。
        「や――……いい、あ、う、光司、……や、もぉ、いく――いきたい」
        「だめだ」
        「あ……? あ、あ、光司……!」
         どこに用意していたのか。細く白い布で性器の根元をぎっちりと縛られ、射精をせき止められてしまい、気が狂いそうだ。
        「やだ、いやだ、くるし……い……っ」
        「斎、大丈夫だ。この状態で挿れてやる。おまえは、射精しないで達することを覚えろ」
        「え……あ、あぁ……っ!」
         小皿に盛られた媚薬を指に移し取った高良が、尻の奥深くにまでもぐり込ませてきた。どんな成分なのか知らないが、限界まで高まっていた斎の身体をさらに沸騰させるような快感を生み出す媚薬を、尻の奥の柔肉に丹念に塗り込まれた。
         普通の男として生きていくなら、その場所で感じることはまずない。
         ――でも、俺は違う。高良のつがいになったから、身体の隅々まで分け合うことを許した。
        「やっぱり硬くなってるな」
        「ずっと、……してなかった、から……」
         きつい窄まりに秘薬を塗りながら抜き挿しされる指の感覚が、刻一刻とはっきりしていく。
        「自分でここに指を挿れたことはしてなかったか?」
        「しない、そんなの、してない……! もう……や、や、こうじ……ぃ……っ」
         じゅぽじゅぽと音が響くほどに指で犯され、斎はよがり狂った。まだ高良の顔の上にまたがったままだったから、根元を縛られて充血する性器も隠すことができなかった。
        「ああっ……!」
         尻の孔を指で犯されながら、性器を舐めしゃぶられ、もうどうにもならなかった。達しようにも達することができない苦しさと、いままでに味わったことのない強烈な快感が渦巻き、はっ、と大きく息を吸い込んだ瞬間、身体の奥のほうでふくれ上がっていた熱の塊がいきなり弾けた。
        「あ……あ……あ……」
         射精もしていないのに絶頂感を味わい、気が遠くなりそうだ。なのに、尻を犯す指の感触はやけにはっきりしているし、性器も硬度を保ったままだ。疼きっぱなしの胸をどうにかしてほしくて、息を荒らげながらせり出すようにすると、ぐるっと身体の位置を変えた高良が両脚を抱え上げ、膝頭を窮屈なまでに胸に押しつけてきた。
        「いい身体になったな、斎。おまえのここは、俺の指のかたちを覚えてまだひくついてる」
        「んんっ……!」
         ひくひくと開いては閉じて、高良を誘うような淫猥な孔の周りを指でそうっとやさしくなぞられ、気が変になりそうだ。さっき、あれだけの絶頂感を味わったばかりなのに、このあと高良自身を受け入れたらどうなってしまうのか。
         まだひくつきがおさまらない窄まりに、猛った屹立の先端がぴたりと押し当てられた。無意識に腰をずり上げたが、逃げることを許さない男のぬぷっと硬く熱い感触に息を飲んだ。
         高良の怒張が、恐ろしく、ゆっくりとねじり刺さって、挿ってきた。
        「あ……っ……あぁ……っ!」
         白い布で縛られたままの性器がびくんと蠢き、とろみをこぼす。底のないドライオーガズムを斎は味わっていた。高良のものは太く、長く、すべてがおさまるまでに時間がかかる。同じ人間の身体の一部とは思えないほどの熱と硬さを持ったものが脈打ちながら、自分の中へと挿ってくる一瞬一瞬が克明に記憶に刻まれる。こんな快感を一度でも味わったら最後、二度と他のものでは満足できなくなるだろう。経験が少ない斎でさえ、そうとわかった。
        「……おまえは、俺のつがいだ。永遠に繋ぎ止めてやる」
         言うなり、高良が激しく動き出した。斎の両手を掴んで押さえ込み、圧倒的な熱を誇る肉棒で乱暴に突き上げてきた。
        「あぁっ、あぁっ」
         乱暴に揺すり立てられることで、高良も懸命に我慢していたのだと斎は知った。肉と肉が蕩け合う。みっちり奥まではまった男根できつく抉られるほど、斎の粘膜はやわらかに蕩け、高良を引き留める。意識してやれることではない。ただもう、身体が高良に素直に反応しているだけだ。息するのが苦しい姿勢で高良を受け入れ、根元までぐっぷりと埋め込まれると、互いの繁みと陰嚢が軽く擦れる。
        「いい……光司……っんぁ……あぅ……っあっ……」
         無我夢中で繋がる部分を指で触れ、互いの繁みがもつれてしまうほどにかき回した。その仕返しだというのか、高良が胸に齧り付いてきて、熱を宿したままの乳首を吸う。
        「……っん、も……ぉ……だめ……こわれる……っ」
        「壊れろよ」
         獰猛な腰遣いを続ける高良がこのうえなく甘い声で囁き、性器の戒めをほどいてくれた。
        「ああ、いい、イく……っ」
         身体をしならせてどっと精液を噴きこぼす斎は、痴態を抑えられないことにしゃくり上げた。それでもまだ、高良が中にいる。斎自身も、一度味わったドライオーガズムが身体中に染み渡っていて、そう簡単には冷めることができなかった。
        「うしろを向け、斎」
        「ん――ぁ……っ」
         尻を高々と掲げる格好を強いられ、高良のものがずくんときつく背後から挿ってきた。そこでさらに媚薬が塗り込められ、熱くてたまらない。獣の交尾のように、敷布がよじれてぐしゃぐしゃになるほど突いて突いて突きまくられ、何度いったのかわからなかった。しまいには自分から尻をくねらせ、高良の感触を肉洞一杯に覚えようとしていた。
        「光司……」
         掠れた声で呼ぶと、高良に横抱きされて、微妙な角度で突き上げられた。
         正面には、最初の交わりのときにもあった、あの大きな鏡が飾られていた。あのときよりもずっと深く、ずっと奔放に乱れる今夜の自分の身体は想像以上の熱とやわらかさを持ちながらも、硬い骨で高良を支える。
         ろうそくの炎で炙られるような、強い疼きがさっきからずっと止まらない。
        「見ろよ……前よりずっといい顔だ。おまえの中が熱すぎて、俺に吸い付く」
        「ん……あぁ……」
         うながされた先の鏡に、片足を大きく広げさせられた自分が映っていた。横抱きにされ、高良のものを尻の奥までずっぷりと咥え込み、ずるぅっと抜かれそうになるたび、泣き声に近い喘ぎで引き留めてしまう。しつこく擦られまくってねっとり蕩けた粘膜が高良のものに巻き付き、もっと深いところへ、もっと奥までと誘う。
         ろうそくの灯りがふたりの身体を淫猥な赤に染め上げていた。横抱きのまま、顔を掴まれてくちづけられた。
        「ん――ふ……ぅ……っ」
         とろとろと唾液を交わし、舌を搦めてきつく吸い合う。くねる舌先を互いに見せ合いながらくちづけ、呼吸さえもひとつにしたいという高良の情欲に煽られ、斎はたまらずに口走った。
        「お願いだから――光司、俺の中で、……いって……俺の中に、出してほしい……」
        「斎……」
        「おまえのもので濡らしてほしい。……光司は、俺にしか欲情しないんだろう……?」
        「ああ、そうだ」
         息を吐き出した高良が再び正面から貫いてくる。ずぶずぶと根元まで埋め込み、おのれの猛々しさを斎に知らしめるような、容赦ない動きだ。
        「……だったら、……お願いだから、俺の中で……」
         自分のものとは思えない淫らすぎる言葉に、頬が熱くなった。
        「孕みたいか?」
        「……ん……」
         涙が滲む目元を、高良がくちづけてくれた。
         高良の尽きない愛情を、魂を、この身体の中に孕ませたい。「伝い手」にもしものことがあったら、なにもかも受け継ぐのが、「つがい」の役割だ。
         斎はこころに決めている。高良にもしものことがあったら――万が一、命を落とすようなことがあったら、歯を食いしばってやるべきことをやり、後の伝い手にすべてを託す。そして、高良のもとへと戻り、魂を捧げる――死まで添い遂げる覚悟ができていなかったら、こんなことはしていない。
         十八年前、手を繋ぎ合い、空高く立ち上る白い雲を見上げながら、海まで続く乾いた道を走り続けた。あのときから、こうなることは決まっていたのだ。高良の血と、自分の血が混じり合ったあのときから。
        「俺は……おまえとずっと一緒にいる、最期までそばにいる……、『次の世界』でも、また会えるって信じてる」
        「ああ、俺もそう信じてる」
        「だから、おまえのものにしてほしい。俺の中で……射精して……」
        「……バカ、煽るなよ」
        「いい、光司だったらなにをされても……、ッ……、……あ!」
         正直な斎の告白に苦笑いした高良が真剣な表情になったかと思ったら、そそり立つ肉棒で再び挿し貫いてきた。
        「く……っぁ……あぁっ」
         突きまくられてもう痛いぐらいなのに、それを上回る快感に意識がどろどろに蕩けていく。高良の雄のかたちがいつまでも残ってしまいそうな、激しい挿入だった。重く、狂おしい快感の中へ意識ごと叩き込まれるような獰猛な抜き挿しに耐えきれず、斎は高良の首にしがみついた。
        「んぁ……あ、あ、いく、ぅ……っ、光司、……一緒に、いきたい……っ」
        「わかってる」
         くちびるが触れ合った。ありふれた愛の言葉以上の熱情が、くちびるから、こころの中へとまっすぐなだれ込んだとき、斎は掠れた声を上げて達した。ほぼ同時に高良が舌を絡ませながらぶるっと頭を一度振り、おびただしい精液を斎の中へと放つ。
        「あ……、は……あっ……」
         どくどくとほとばしる高良の熱い精液で、身体中濡らされていくことがたまらなく嬉しい。
         まだ息が荒い高良の背中を撫で、「……ずっと」と呟いた。
        「ずっと、光司とこうしたかった……。やらしい意味じゃなくて、その……俺が、おまえのつがいだってことを、もう一度ちゃんと知りたかったんだ」
        「おまえの頭から足の爪先まで、俺のものだってわかったか?」
        「うん、わかった。……ありがとう、光司。俺をつがいにしてくれて、ありがとう。嬉しい。……光司?」
         高良が参ったとでも言うようなため息をついて、きつく抱き締めてくる。
        「おまえには心底惚れてるよ」
        「俺もだよ、光司」
        「じゃ、もう一度だ」
        「……え」
         まだそんなに時間が経ってないのに、身体の内側にある高良のものがむくりと跳ねて、斎の熟れきった粘膜を押し上げる。
        「朝までって……本気か?」
        「俺が嘘を言ったことがあるか?」
         目と目を合わせ、互いに笑った。それから、もう一度、深い熱に沈むためのくちづけを互いに求め合った。


        呪いの言葉

        0

          という話題で書いてみます。

          過去の話ですが、とっても自分語りです。

           

          以前、いじめられっ子でしたよと書いたことがありましたが、大人になってからの私は結構強気で(とくに雑誌ライター時代)、やりたいことをやれるうちにがんばろ!たのしも!みたいな精神で毎日うきうきでした。もちろん薄氷を踏むような日々もめちゃめちゃありますが、気持ち的には「毎日めっちゃ楽しい〜!」でした。

           

          仕事も私生活もきわどい感じで、お金もまったくなかったけど、やたらと楽しくて、なにを書いていてもわくわくしていた覚えがあります。夜中の吉野家すら嬉しかった。

          でも、そんな私を見て、ある日尊敬していた方から「あなたって自分を嫌いになったことはないの?」と聞かれました。

          私は愚かにも「はい!ありません」と答えたところ、「平和でいいね。そんなひといるんだ。私なんか私のこと大嫌いだけど」と言われて、どう返せばいいのか言葉に詰まりました。

           

           

           

          ここにはふたつの側面があります。

          ひとつは、ほんとうにほんとうに私が底なしのバカで、品性や知性のかけらもなく、その方含め他人様のご厚意によって生かされていただけのこと。いま思い出しても恥ずかしい時代です。それがわかっただけでもよかったのかもしれません。

          あの瞬間から、「自分が好きだって言ったらだめなんだ、自己嫌悪感がないと大人になれないんだ」と思い込むようになりました。

          もうひとつは真逆で、「自分のこと大好きだよ〜!いまのままで全然大丈夫〜!」って臆面もなく言えた私もいたあの頃です。まだ病にかかる前の話です。

           

          いまさらそんな昔の話を持ち出しても根深いなこいつという感じなのですが……たまにふっと思い出して、「なんで私こんなに自分のこと嫌いになったんだろ?」と思うと、やっぱり行き着く先はそこなのでした。

          初めて(というわけでもないけど)他人様から性格上のことを指摘されて戸惑い、面食らったこと。仕事の場でも叱られたりなじられたりしたことは数知れずですが、自分の人生に対してプラスしか考えてなかったので、ただもう衝撃を覚えるだけでした。

           

          でも、そういう変遷がなかったらいまに行き着いていないとも思います。

          くらげのように漂ってなにも深く考えることなく、あの刺のような言葉の意味を探ることもなく、「なにが気に障ったんだろう」と誰の顔色を窺うこともなかったら、もしかしたら小説を書く道は途中で終わっていたかもしれません。

           

          すべては過去のことだし、記憶も曖昧です。話を大きくしてる気がするな〜というところもあるのですが、わりとのんびりできた今日、つらつらといろんな本を読みながら、あの頃に戻りたいなーと私らしくもないことを考えました。

          過去に戻ってやり直せるなら、あのアホ剥き出しの私に戻りたい。

          いずれ落とし穴があるかもとは思っていたけど力一杯毎日楽しんでたな!という。

           

          この先、自己肯定力をちょっとずつ取り戻そうと思います。

          やっぱり楽しく過ごせたほうがしあわせだし、わくわくしていたいです。

          精神科医にさえ「あなたは年齢に見合わず幼稚ですよね」と言われた私なので、そこを伸ばしていきたいです笑

           

          過去にいつまでもこだわらず、のびのび生きていこうと思います!

          今後、ますますバカになっていくと思いますが、どうかよろしくお願いいたします。


          烈火の誓い(『烈火の契り』番外編)前編

          0

            「沖縄までの……チケット?」
            「そうだ。斎、来月頭から一週間ぐらい、少し遅めの夏休みが取れると言ってただろう。俺も夏休みを合わせたんだ。だから、一緒に沖縄に行こう」
            「だからって、また急な話だな」
             八月中旬を過ぎた都心は蜃気楼が見えるかと思うほどの暑さに見舞われ、午後二時を過ぎたいま、ティーラウンジの窓の外を歩くひとは少ない。皆、この猛暑にやられてどこか涼しい場所へと逃げ込んでいるのだろう。
             大里斎はいまさっき渡された沖縄行きの飛行機チケットを見つめたあと、向かい合わせに座る男にちらりと視線を流す。
             最初に出会ったのは、十八年前。東京からずっと離れた沖縄よりもっと先にある離島に住んでいたのが、高良光司という男だ。十歳のとき、斎は父親に連れられて神喜島というちいさな島に遊びに行った。ひとの手が入らない美しい珊瑚礁と青い海、空、力強い緑に恵まれた神喜島に一目で魅了されてしまったが、過疎化が進んでいた島には子どもが少なく、斎と同じ歳の子どもは光司ひとりだった。ふたりは最初の数分、互いを警戒し合っていたが、斎の目の中に島への魅力を感じ取ったのだろう。『遊ぼうぜ』と灼けた顔で笑いかけてきた光司が手を差し出してきたことで、夢のような一週間は始まった。
             ――父さんは、よそ者を拒む神喜島の出身だった。そのことを知ったのは、ほんとうにごく最近のことだ。
             仕事絡みで十八年ぶりに神喜島に渡ることになった不動産会社勤めの斎は、幼い頃の想い出が詰まった島をリゾート開発で豊かな自然環境を壊されたくないために、必死に同行者を説得した。高良も、島の出身者ということで案内役としてメンバーに加わっていたが、彼の左目の下にある泣きぼくろにまつわる謎や、せっかく再会できたのにつれない素振りのわけを追っているうちに、メンバーの不仲がピークに達し、同行者のひとりが毒殺されるという悲劇まで起きた。
             もう、ずいぶん昔のことにように思えるが、実際のところは一か月ちょっと前の出来事だ。
            「行くだろ? 斎」
             鷹揚に足を組み替え、ネクタイの結び目をゆるめる高良独特の骨っぽさは、大勢のひとで賑わうラウンジ内でもひときわ映える。そのことに、なんとも言えないもどかしさを感じて黙っていたが、テーブル下でコツンと靴の爪先をぶつけられ、思わず苦笑してしまった。
            「わかった。……行くよ」
            「さっきからなに緊張してんだ。それとも夏バテか?」
            「違う。光司のスーツ姿、初めて見るから……めずらしくてさ」
             島で再会したときは、Tシャツにゆったりしたドローストリングパンツというラフな格好だったのだ。あの格好は自然あふれる神喜島だからこそ似合うものだ。ほんとうの高良は環境省に勤めている。精悍な容姿をしっかりと包み込む紺のスーツがしっくりはまっているが、見慣れない姿だけに、やけに意識してしまう。糊のきいた白いワイシャツや、シックな色合いのネクタイは高良の男っぽさをますます強調させている。
             斎とて、男として端整な顔立ちと引き締まった身体をしており、不動産会社の社員としてスーツは当たり前に着こなしていた。だが、高良の野性味あふれる切れ長の目で射竦められると、ここが都心のティーラウンジではなく、ふたりだけで見つけた神喜島の隠れ場所にいるような錯覚に襲われる。
             軽く笑い、アイスコーヒーを飲み干した高良がぐっと身を乗り出してきた。
            「昼間からそういう目で俺を誘う気か?」
            「誘う? ……違う、そんなんじゃ!」
            「ふふ、おまえのそういうとこ、いつまでも変わらねえよな」
             からかわれるように額をつつかれ、恥ずかしさに慌てて身を引いた。
            「バカ、人前で……こういうことするな」
            「しょうがねえだろ。俺もおまえも仕事が忙しくて、しばらくぶりに会うんだ。隙があれば触りたくなるのが当然ってもんだろ」
             さらりと言う高良の言葉をいちいち真に受けていたら、身が持たない。恋人より深い繋がりを持つ自分たちは同じ東京に住んでいても互いに忙しく、たまに夕飯を一緒にすることぐらいが精一杯だった。正直なところ、肌を重ねる暇もなかった。
            「沖縄本島で一週間も遊ぶのか?」
            「ま、たまにはそういうのもいいだろ。途中で飽きたら、他の島に渡ってもいいし」
            「そうだな。うん、楽しみにしてる」
             笑顔を向けると、高良も「目一杯、楽しもうな」と微笑んだ。


            「うわあ……いいなあ、やっぱりこっちは太陽が容赦ない。光司、あのへんの浜でちょっと休まないか?」
            「オッケー。ちょうど昼時か。じゃ、ホテルでつくってもらった弁当、あそこで食べるか」
            「うん!」
             全開にしたレンタカーの窓から大自然を楽しんでいた斎は笑顔で大きく頷いた。
             九月頭の沖縄はまだまだ夏真っ盛りで、どこに行っても眩しい太陽が肌を熱くさせてくれる。それが、斎には嬉しい。オフィス街のこもった蒸し暑さとは違い、沖縄の空気はまっすぐ突き抜けるような暑さだ。いい具合に空気も乾いていて、木陰に入れば結構涼しい。
             本島のずっと北のほうはわりあいひとが少なく、浜辺も穏やかだ。近くの駐車場に車を停めた高良と一緒に、レンタカーの後部席に乗せていたクーラーバッグやシートを取り出し、サンダルをパタパタ言わせながら浜辺へと下りていった。
            「このへんなら直射日光を浴びなくてすむだろ」
            「そうだな、ここにするか」
             大きくせり出した樹木の下にシートを敷いて並んで座り、高良がホテルに用意させた昼飯が入った箱の蓋を開いたとたん、斎は声を上げて笑ってしまった。
            「わざわざ、おにぎりをつくってもらったのか?」
            「そうだ。おかかと、鮭と、梅干し。あと、こっちはおかずだ。唐揚げとたまごやき、あといろいろ」
             ふたりが沖縄本島で泊まっているのはハイクラスのホテルだ。だから、弁当と言ったらなんとなくサンドイッチのような洋食だろうかと想像していたのだが、いいほうに裏切られた。
            「こっちのポットには氷詰めの麦茶が入ってる」
            「準備いいな、光司。いつの間に注文したんだ?」
            「おまえが昨日、ホテルに着いて、俺に抱きつく余裕もなくいきなりベッドに倒れ込んだあと」
             日陰でいたずらっぽく笑う高良の言葉に、頬が熱くなってしまう。
            「しょうがないだろ。ギリギリまで仕事してたんだ。ホントはちゃんと余裕を持って仕事してたんだけど、せっぱ詰まったところでトラブルが起きたんで、出発直前はほとんど寝てなかったんだ」
            「ああ、いい、いい。とりあえずぐっすり眠れたか?」
            「おかげさまで。……朝、目が覚めたとき、波の音が聞こえてきたんで、まだ夢を見ているかと思った」
             おにぎりをぱくつく高良は、「なら、よかったな」と言っているが、斎は彼の隣にいるだけで胸が昂ぶる。自分では制御しようにも制御できない熱を身体の奥深くに高良に流し込まれたのは、神喜島のとき一度きりだ。男同士で都心でデートというわけにもいかず、彼の住んでいる部屋を何度か訪ねたが、運悪く不在が続いた。高良のほうもそうだったようだ。
            「おまえ、いつあの部屋に帰ってるんだよ。俺が訪ねてもいつもいないじゃないか」
            「光司だってそうだろ。俺は何度か連絡したし、会いたいって伝言も残したけど、お互い、仕事がぶつかってばかりだったじゃないか」
            「そうだよなあ……。でも、いまはやっとふたりきりだ」
             綺麗に弁当を平らげた高良がさりげなく手を掴んできたことで、どくんと鼓動が躍る。自分でもこの反応の早さはなんなんだとなじりたいが、高良の接触はいつだって唐突で、思いがけない重みと熱を残していくのだ。
            「……光司、おまえ、俺とふたりきりで過ごしたくて、この旅行を計画してくれたのか?」
            「当然。それ以外になんの理由がある?」
             周囲にひとがいないのをいいことに危ういまでに顔を近づけてくる高良のTシャツからは、からからに乾いた太陽のいい匂いがする。
             ――神喜島でも、なんの前触れもなく俺に触れてきた、そして最後にはひとつになった。俺は光司に性的な快感ばかりを求めているわけじゃないけど、でも、こんなふうにされるとどうしていいかわからなくなる。
             くちびるのラインを際どく人差し指でじんわりなぞられ、自然と誘うように開かされてしまう。「……あ」と斎は掠れた声を上げそうになり、とたんに恥ずかしくなって急いで顔をそらした。それで爆笑するのが、高良だ。
            「なんだよ、せっかくいい雰囲気だったのに。俺にキスもさせてくれねえのか?」
            「違う! ……まだ昼間だろ。誰がいつ来るかわからない場所でできるか」
            「じゃ、夜になったらおまえを貪ってもいいのか。先に言っておくが、俺は前におまえを抱いたあと、ずっと我慢してるんだ。一度お前が肌に触れさせることを俺に許したら、どうなるかわからねえぜ?」
            「……っ、そういうことは、夜になってから言え!」
             脱ぎ捨てたTシャツで思いきり高良を引っぱたき、斎は急いで波打ち際まで走った。高良も笑いながら後を追ってくる。サンダルを脱ぎ捨て、ハーフパンツも脱いで水着になったところでざぶんと勢いよく海にもぐった。
             塩辛い海水が、灼けた肌をゆるく冷やす。海中で、高良が「見ろ」と言うように指さすほうを見ると、真っ青な可愛らしい熱帯魚が群れをなして泳いでいた。少し先の珊瑚礁の陰からは思わず笑ってしまうほどの無愛想な顔をした大きな魚も出てくる。何度も海面に顔を出して息継ぎし、素潜りしては綺麗な海の世界をふたりして楽しんだ。
            「……すごいよなぁ……、海には海だけの世界があるんだ。陸にいる俺たちよりずっと自由な気がする」
            「そこが甘ちゃんだな、斎は。海だって弱肉強食の世界だぜ。ここらにはいないが、サメやくじらを目の当たりにしたら、こっちはあまりのちいささにびびるぐらいだ」
            「だよな。たまに、深海に棲む奇妙な大イカやタコが上がったってニュースを見る。ああいうのを見てると、なんていうか……自由っていうより、海には海独自のルールがあるって気がする」
            「そういうことだ」
             濡れた髪をぐいっとかき上げる高良が、大きな手を伸ばしてきて斎の額に張り付いた髪をやさしくときほぐしてくる。
            「少し休むか?」
            「うん、結構陽射しがきついもんな。無茶して遊んでると日射病になりそうだ」
             高良と連れ添って木陰に戻り、冷たい麦茶を飲み飲み、なにを話すでもなく青い海を眺める気分は至福のひと言に尽きる。たまに、うとうとしてしまうぐらいの心地よい風が吹き抜けていく。
             東京で暮らすのは嫌いじゃない。最新の情報がいっぺんに集まるところだし、次々に新しいおもしろさが体験できる場所だ。
             それでも、たまに四角いマンションから飛び出し、こんなふうに、なににも、誰にも繋がれない場所で、自分というものを解き放ちたい気分に駆られる。
            「東京にいると、そういうのが難しいよな。仕事があって、肩書きがあって、世間体があって……まあ、そういう社会的なものはどこにいっても必要だけど、一年に一回ぐらいはこういう場所で、抜け殻みたいな感覚になるのってすごく気持ちいい」
            「抜け殻? どんなのだ、それ」
             寝転がってうつ伏せになる高良の背中についた砂を軽く払ってやりながら、斎は笑った。
            「俺の身体はあくまでも器みたいなもんなんだよ。中に入ってるこころとか、……魂とか、そういうのが、こういうところに来ると、自然と抜け出て綺麗になる感じなんだ」
            「斎、おまえ、詩が書けるんじゃねえのか」
             笑っているが、高良も、「俺も同じ気分だ」と言う。
            「東京でずっと暮らしていくかどうかわからねえけど、たまにはふたりで、ここに来ようぜ。陽射しを浴びてると、東京での悩みとかストレスとか、吹っ飛ぶよな」
            「光司でも悩みがあるのか」
            「おまえ、少しは俺を人間扱いしろよな」
             冗談を言い合い、ほどよく休憩を取ったところでシートを片付け、車に戻った。五泊六日の旅は急ぐものじゃないし、行く先も勝手に変えることができる。高良は安全運転で絶景の夕陽が見られるというポイントまで車を走らせ、そこでもまたふたり、時間の流れを忘れてぼうっと暮れていく空と海を見つめた。
             沖縄に来てから、腕時計ははずした。時間に急かされるのは嫌だし、陽が昇り、沈むという当たり前の自然の中で、高良と過ごしたかったのだ。
             一応、レンタカーにはカーナビもラジオもついているから、時刻は確認できる。ただ、ここまで本島のはずれまでやってくると電灯というものはほとんどなく、暮れなずむ空に一番星が輝き、美しい満天の星空になる頃には、あたりはまっくらで、五十メートルも離れていない光司のシルエットがかろうじて見えるぐらいだ。
            「あ、流れ星だ」
            「違う、ありゃ人工衛星だろ」
            「……あ、そうか。なあ、光司、夏の星座に詳しいか?」
            「そこそこな」
            「俺、詳しくないんだ。教えてほしい」
            「授業料として、キス一回だ」
             バカなことを言いながらも、高良は丁寧に星座を教えてくれた。だが、あまりにも星の数が多すぎて、さっき教えてもらった星座をすぐに見失ってしまう。
            「そろそろ帰るか」
             車に再度乗り、ホテルへと戻る高良は落ち着いている。斎は久しぶりに陽に灼けたせいか、肌が火照り、なんだか落ち着かなかった。
             ――たぶん、光司とふたりきりだからだ。
             ぎこちない感覚を光司も勘づいていて笑っている気がする。
             ホテルに戻って交互に風呂に入り、後に風呂を使わせてもらった斎がベッドルームに戻ると、高良はとっくに寝ていた。
            「なんだよ……キス一回とか、言ったくせに」
             肩すかしを食らい、穏やかな寝息を立てている高良を恨めしい思いで睨んだ。
             べつになにかを期待していたわけではないが、せっかくふたりきりでいるのに、手を出さないなんてどういうことだと怒りたくなる。
             自分から求めることは、まだできない。羞恥心がどうしてもあるし、神喜島の古い掟を守る自分たち――高良は島に眠る財宝と伝承を受け継ぐ「伝い手」という存在で、彼に万が一のことがあった場合、すべての秘密を引き継ぐのが、「つがい」の役目を持っている自分たちが肌を重ねるというのは、ひょっとしたら、特別なときだけなのかもしれない。
             常識的な恋人より遥かに繋がりが深く、他人ながらも血を交わした関係だ。男だけがなれる「伝い手」と「つがい」は互いの関係を誰にも知られてはいけないという掟もある。神喜島の生き残りでさえ、いまの「伝い手」が誰なのか知らないはずだ。
             すう、と眠る高良のベッドに座り、頬をそっと撫でた。
             ――光司が伝い手になる前は、俺の父さんが伝い手だった。でも、父さんは古い島の因習を破って、島の外の女性――母さんと結婚し、俺を生んだ。だから、俺は神喜島にとって中途半端な存在だった。父さんは、「伝い手」の重責をよくわかっていたから、光司に「次の世界」に通じる扉と、財宝の在処を知る「伝い手」になることを頼んだ。
             ガンで早く死んだ父には生まれ育った島を飛び出した反面、神喜島を愛する気持ちは死ぬ間際まであったのだろう。だから、自分の幼馴染みの子どもである光司に、高良を継いでくれるように頼んだのだ。
             神喜島には、遠い昔、イギリスあたりから回ってきた海賊が残した財宝が眠っていると言われている。同時に、島で亡くなった者は「次の世界」と呼ばれる場所に行き、生き続けていく者たちを見守るといういわれもある。輪廻転生とは少し違うが、惹き合った魂がまた次の世界でも出会えるように、という、神喜島だけの伝承のようだ。「伝い手」は、「次の世界」に行った者の声が聞ける神子の役目も持っているので、神格化され、島内でひそかに行われる祭りの際にも、仮面と衣装をつけて素性を知られないようにするらしい。
            「おまえが……そんな重い役目を背負っている以上、俺はなんでもする。父さんの血を継いでいるんだから、俺だって神喜島の人間なんだ。つがいとして、おまえの役に立つなら……」
             身体をかがめ、高良のこめかみにやさしくくちづけた。
             交わることをしなくても、そばにいられるだけでいい。そんなふうに思えた。


             二日かけて沖縄本島をめぐり、「次はどこで遊ぼうか」と海沿いのカフェで話し合っているときだった。
            「島、行くか?」
             なんでもないような感じで高良が言うので、「え」と声を詰まらせた。
            「島って……、石垣とか、宮古とか?」
            「そこはもう観光客でいっぱいだろ」
            「じゃ、神喜島に?」
            「ああ、そうだ」
            「ほんとうか? ほんとうに神喜島に行けるのか?」
            「なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
             くくっと高良が可笑しそうに笑う。この二日間で高良は綺麗に日灼けし、島の男らしい強さを全身に滲ませていた。斎と触れ合うことはいっさいなく、ただ普通に海遊びを楽しみ、沖縄ならではの料理に舌鼓を打っていた。斎もそのことにはすっかり慣れ、――この休みはリフレッシュするためのものなんだ、と思っていた。もともと、性的なことに強いほうじゃないので、なにがなんでも高良が欲しいというわけではない。同じ時間を共有できるだけでも、十分嬉しかったのだ。
            「行きたかったんだ、もう一度。あの事件以来、次に行けるのはいつかわからなかったし……いつ行く?」
            「すぐに」
            「すぐに? え、でも、船はあるのか? あそこに行くには船をチャーターしないと……」
            「大丈夫だ。知り合いが小型クルーザーを貸してくれることになってる。ホテルに戻って荷造りしよう。残り三日は向こうで過ごすから、食料や飲み物なんかも買おう。斎、覚悟しとけよ」
            「……なにに」
             訝しく問うと、濃い色のサングラスを押し下げた高良がにやりと笑う。
            「島についたら目一杯働いてもらからな。もうすぐ、神喜島じゃ祭りがあるんだ。俺たちはその前準備をするために行くんだ」
            「……おまえ! 最初から俺をこき使うつもりで呼んだのか!」
            「当然だろ。おまえも島の人間なん。こういうときぐらいガンガン働け」
             神喜島の正統な血を引く光司には逆らえない。この旅行がふたりを甘く近づけてくれるものではなく、単に祭りを行う事前準備として島を綺麗にするためなのだとわかってがっくり肩を落としたが、――まあ、いいか、と苦笑した。
            「島に行きたかったのはほんとうだし、頑張って働くよ」
            「よし、いい返事だ。とりあえず、スーパーマーケットに寄って必要なものを買いそろえるか」
             高良の計画にまんまとはめられた、と愚痴を言っている暇があるなら、もういまは誰もいない神喜島がどうなっているかということに想いを馳せたほうがずっといい。
             島にもともと住んでいた人間は、いまはすべて沖縄本島に移り住んでおり、祭りのときだけ、島に渡る。
             ホテルをチェックアウトし、数日分の食料と飲み物を買い込んだらすぐにマリーナへと向かい、知り合いに貸してもらったというクルーザーに荷物を運び込んだ。
            「燃料や、掃除道具はあっちにあるものを使おう」
            「わかった。……ん、光司、この袋で最後だ」
            「よし、乗れ」
             高良の手に捕まって乗り込み、昼過ぎの沖へとクルーザーを走らせた。環境省の仕事上、高良は国内のあちこちに行く必要があり、さまざまな乗り物の免許を持っている。もちろん、船舶免許もある。
             幸い、波は穏やかで、あまり揺れずに船を進めることができた。
            「あ……、見えてきた!」
             嬉しさのあまり、クルーザーを運転する高良の隣ではしゃいだ声を上げてしまった。
             大小の島々が並ぶ一帯でも、神喜島は一目でわかる。こんもりと茂った緑の山の向こうには、夏らしい真っ白な入道雲が見えた。
             寂れた港にクルーザーを係留し、高良と交互に荷物を下ろしたあとは、並んで緑の頂と頭上一杯に広がる青空を見上げた。
            「また……戻ってこられたんだ」
            「ああ、俺たちが育った島だ」
             高良の声も感慨深げだった。この島には、たくさんの悲しい過去が眠っている。第二次世界大戦の攻撃をもろに浴び、一時は島のかたちさえ変わったと聞いている。
             目を閉じて深呼吸すると、十八年前、高良と初めて顔を合わせたときのことがいっぺんに蘇ってくる。緑に守られた清浄な空気も、潮の香りも、頬を撫でる熱い風も、あのときのままだ。
            「やっぱり、ここを開発しなくてよかった。いつかまた、島のひとたちが戻ってこられる日が来るといいよな」
            「……そうだな」
             目を合わせてにこりと笑ったあとは互いに真顔に戻り、「荷物、運ぶか」「だな」と頷き合った。以前、ここに来たときに使った大型の荷車がそのまま港に放置されていた。頑丈なつくりらしく、車輪に油を差すとスムーズに動いた。高良と一緒にハーフパンツから長ズボンに着替え、ぼうぼうに伸びた草を刈り取った。寝泊まりに使う集会所まで汗をかきかき荷車を押し、真っ赤なハイビスカスが咲き誇る浜辺についたときにはぐったりしていたが、パウダーのようなきめ細かい砂浜と、美しいグラデーションを誇る海を目にしたとたん、一気に疲れが吹っ飛んだ。
             ――帰ってきた。戻ってきた。
             遮るものがなにもない場所で斎は笑みを隠しきれず、歓声を上げながら浜辺を目がけて走ってうっかりつまずいたところを、「おい! こら!」と慌てて追ってきた高良に捕まえられ、一緒に転んだ。
            「ははっ、光司、砂まみれだ」
            「おまえのせいだろう。なに子どもみたいにはしゃいでんだよ」
             そう言う高良に脇腹をくすぐられて笑い、ふたりしてごろごろと砂浜を転がり、互いの砂まみれの格好に盛大に吹き出した。
            「くすぐるなんて卑怯だ。俺が脇腹弱いの、光司は知ってるくせに」
            「斎が隙ありまくりなんだよ」
             互いに肩をぶつけて笑う。くちびるが触れるほどの距離まで顔が近づいても、くちづけの気配はない。そのことに少し寂しさを覚えるが、そもそも高良とはここを掃除しにきたのだ。
            「どうしようか。まずは寝る場所を掃除して……拝所も掃除する?」
            「なにもしなくていい」
            「え?」
             髪やシャツについた砂を払っている高良の思いがけない言葉に目を瞠った。
            「だって、祭りの準備をするんだろ?」
            「じつはな、掃除はもうすんでるんだ。三日前、島の住人がこの集会所も、あの森の中の拝所も綺麗に掃除してくれている」
            「じゃあ……俺たちはなにをすればいいんだ? 観光、ってわけじゃないだろうし……」
             熱い高良の骨っぽい手に顎を掴まれたのは、そのときだ。
            「光司」
            「俺と交わるんだ、斎」
             振り向かされ、高良の炯々とした瞳の底にまぎれもない欲情を見てとった瞬間、身体中が沸騰した。
            「な……なにを、いきなり……」
            「祭りの下準備として、秘された交わりが必要なんだ。ここにいる三日間、つがいのおまえは、俺と何度も交わる。俺だけの精液を身体の奥までたっぷり注ぎ込まれて、俺だけしか求められない身体になるんだ」
            「な……っ! 光司!」
             真昼の太陽が照らす場所で淫らな言葉を囁かれ、頭までのぼせそうだ。
            「そんな話、聞いてない……」
            「当たり前だ。前に、拝所で俺と斎は契りを交わしただろう? あのときと同じ、伝い手とつがいがいつどこでどう交わるか、ちゃんと決まっているんだ」
            「だから、……東京じゃそういうことをしなかったのか?」
             鳩尾に力を込めないと、鼻先でくすりと蠱惑的に笑う高良の男らしい色香に負けそうだ。
            「場所は問題じゃない。時間だ。最初の交わりから一か月以上経たないと、次はできない」
            「なんで……」
            「俺のつがいが、ほんとうに俺だけを運命としているか。……俺だけに欲情できる身体になっているか、時間が必要だったから、東京にいるあいだはおまえを抱かなかった。許せよ、これでも結構我慢したんだぜ?」
             するっと頬を撫で上げる高良の指の感触にさえ甘い官能が忍んでいる。
            「俺は、おまえを性的な道具として扱ってるわけじゃない。俺たちの交わりは特別だ。そうだろ? 俺には、斎しかいない。斎だけが血を分けた運命の相手だ。俺はおまえにしか欲情しない。だからって、しょっちゅうやりたいって考えてるだけの男と思うなよ」
            「なにが、どう違うんだよ……!」
            「つがいは、伝い手のいわば花嫁だ。俺の花嫁として、おまえは俺の精液を受けて擬似的に孕むんだ。互いの精液を混じらせて……身体中に塗りたくって、島に命を捧げることを誓え」
            「……光司、こんなところで、するのか……?」
            「もう我慢させるな」
             砂浜に横たわらされ、大きな影がのしかかってくることに抗えない。シャツのボタンをはずされ、汗ばんだ肌をさらすのがたまらなく恥ずかしかった。
             まさか、島に来る目的が交わることだとは。こっちに来たときからほとんど触れられなかったから、それならそれでいいと自分をなだめていたはずだったが、そんなのは形ばかりだったのだと、いま、高良の舌が鎖骨の溝を這うことによる快感で知らされる。
            「我慢しろ、斎。最初のときの交わりを思い出せ。俺がいいと言うまで、ぎりぎりまで我慢するんだ」
            「ん……ぅ……!」
             ぬめった舌がとろっと唾液をこぼしながら胸を伝う。まだ、なだらかなままの乳首を高良はくちびるで挟み、ちゅくちゅくと噛みながら吸い上げる。その愛撫が起爆剤になった。胸を愛撫されて感じることを知ったのは、高良のせいだ。花嫁にするというのはあくまでもたとえで、女みたいに胸を弄られても感じるわけがないと思っていたのだが、ちいさな尖りの根元をきゅうっと噛まれ、きつく吸われるたびに全身が震えるほどの甘い痺れが走る。
            「あ……あ……こう、じ……っ」
             男の乳首にしてはあまりにいやらしい色を持ち、ふっくらと腫れたそこを高良は執拗に指で揉み込んでくる。男の平らな親指と人差し指でつままれ、ゆるやかに擦り立てられると、まるでそこが性器のひとつになってしまったかのような錯覚に襲われる。
            「……くぅ……っ」
             我慢しろ、と命じられたことを思い出し、必死にくちびるを噛んで堪えた。
             腕に、足にあたる陽射しが熱い。無人島とはいえ、真っ昼間の浜辺で高良と肌を重ねるとは思っていなかったから、斎の意思とは裏腹に身体は素早く昂ぶり、何度も吐息を殺さねばならなかった。
             乳首をたっぷり吸ってツキンといやらしく尖らせたことに満足した高良が、パンツの中に手をもぐり込ませてきた。
            「さすがに浜辺でおまえの中に挿れることはしねえよ。おまえのここはまだ硬い。前みたいに媚薬を塗り込めてからじゃないと、おまえに怪我させそうだ」
            「ん……っ」
             がちがちに張り詰めたペニスをやさしく扱かれ、「見ろよ」という声にそそのかされてぼうっとした視線を落とすと、パンツの縁から、とろんとした愛液をこぼして真っ赤に充血する亀頭がのぞいていた。先端の小穴がひくひくと開いては閉じ、とろみを垂らしていく。
            「や……! 光司、……これ以上、ここじゃ……っ」
            「そう焦るなよ……斎、三日間もあるんだぜ。達するのはぎりぎりになってからだ。それまで何度も何度も追い詰めてやる。おまえの身体が俺のかたちを覚えて――欲しくなって欲しくなってたまらなくなったとき、本音を聞かしてくれたら、いかせてやる」
            「本音、って……」
             朦朧とした意識で呟くあいだも高良の手でぬちゅぬちゅと扱かれ、羞恥に歯噛みしたくなるほど、ぐんと反り返ってしまう性器が自分でも恨めしい。
             ――でも、光司のはこんなものじゃない。あれを突然受け入れるのは、確かに無理がある。
             以前、口で味わった光司の性器の硬さや熱を思い出し、ごくりと息を飲んだのがわかったらしい。斎の昂ぶりを無理やりパンツに押し込めて、高良が笑う。
            「いまは、ここまでだ」
            「そんな……! こんな半端なところでやめるなんて……」
            「言っただろ? 時間はたっぷりある。俺がおまえの中に挿れて出すだけが交わりじゃねえだろ」
            「そう、だけど……」
             声が掠れてしまう。ずきずき痛む下肢から意識をそらすのが難しい。
            「……俺はどうすればいいんだよ!」
             中途でやめられてしまったことに怒ると、高良が肩をすくめ、「海で遊んで、熱を冷ますか?」と言った。冗談だろ、と思ったが、楽しげな高良は本気らしい。
             仕方なくよろけて立ち上がり、浅瀬へと入っていった。太陽に照らされた海水は温かで、急激に強められた快感をゆっくりとほぐしてくれる。
             何度も深呼吸し、遠い水平線を見つめることでいまさっき高良から与えられた快感を忘れようとした。
            「ほら、斎、やどかり」
             ――ひとの気も知らないで。
             可愛いやどかりを手のひらに載せて差し出してくれる高良を本気で睨み、斎は両手ですくった海水を彼の顔に思いきりぶちまけてやった。

             

            【烈火の誓い 後編】


            とりとめのない病について

            0

              ※内面的な話なので、作品と作家を別個にしたい方は読まないほうがいいです。

               

               

               

              以前も一度、自分の病について話したことがあります。

              私の病は大雑把に言うと、

              ・パニック障害

              ・不眠症

              ・双極性

              です。

               

              順番としては、仕事による挫折でパニック障害を発症したことで、ほぼ同時期に不眠と双極性を併発した感じです。

              結論から書いてしまうと、いまも病院には通っていて投薬治療を受けており、症状はだいぶ改善されました。

              1年のうちで、気持ち的に揺れやすい季節は仕事を入れないか、

              ゆるい組み方にするかというふうにしています。

               

              最近は早寝早起きになったので、24時頃に薬を飲んで耳栓をして就寝。

              朝5〜6時頃に起きて近くのジムに行き、身体を動かしています。

               

              どうしてパニック障害になったかは前にも書いたかもしれないので詳細は割愛しますが、仕事で抜き差しならない場面にぶつかったためです。自分ではコントロールできない困難を乗り越えることがそのときどうしてもできず、息抜きで行ったはずの温泉先で初めて発作を起こしました。

               

              で、これをきっかけに、明るいバカだった私がだんだんとこもりがちになり、しだいに疑心暗鬼になっていきます。

              他人様を妬む、うらやむ、自分への尽きない劣等感。

              なにをどう頑張っても報われた思いが得られないし、たとえ感じられたとしても一瞬です。

              安心という感覚から遠く離れてしまい、自信喪失がピークに達したとき、まったく眠れなくなりました。

              初めての発作から5年ほど経ってやっと病院へ行くことに。

              なかなか行かなかったのは、恥ずかしいからというのと、周囲の目を気にしたからです。

               

              でも眠れないつらさのほうが勝ってしまい、なんとか薬でなだめるように。

               

              数年かけて症状はいろいろと変わり、双極性も味わうことになったのですが、身体にきつい痛みが出る時間が長かったのも大変でした。首が痛いのは、いまでも変わりません。これはもう一生付き合うことになりそうなので、ときどき休みを意識して投入しつつ仕事しています。

               

              昔からいじめられっ子でした。

              目をつけられやすいというか。とくに秀でたところがないくせに目立ちたがりで、リーダー気取り。

              そりゃ鼻つまみものになることも多くなりますよね。

              中学生の頃のいじめがかなりひどくて、いまでもときどき思い出してつらいです。

              このへんは形を変え、表現を変え、小説に反映しているところもあります。

               

              大人になってからも結構トラブルがあります。

              一通りのハラスメント的なものは受けているので、いまは、「そうか〜、今回はつらかったよね」と自分をいたわり、こころの中だけではできるだけ自己肯定するようにしています。

              誰かのせいにするほうが早いし、後腐れないとは思うものの、それではいつまで経っても状況は変わりません。

              私が招くトラブルの一端は私の中にかならずあります。

              (いじめられる子にも原因がある論とはまったく違います。私には私だけの問題があるのはわかっています)

              それを相手が勘づいて、いつの間にか泥沼化するというパターンをあと何度経験すればいいのかと思い悩んだ結果、「こういう(冷たい)自分がいる」と認めることにしました。

               

              よく、「エネルギッシュですよね」とか「頑張ってますよね」と言って頂ける場面に当たるのですが、内心ははらはらしています。化けの皮が剥がれそうで。

              そう見られたいから、あえて「頑張ってます!」と言っている部分もあります。

              めっちゃ見栄っ張り。自信なさすぎ。他人様から影響受けすぎ。

              挙げるときりがない欠点がぼろぼろ出てきて、自己肯定からかけ離れてしまうのですが、そういうみっともない自分も自分。

               

              この辺はまだコントロールできる部分なので、「ああ〜〜〜いまメンタルやばすぎ〜〜〜」といういうときは勢いよくネットから離れて仕事に没頭するか、ODするぐらい薬に頼るか、筋トレです。

              あと、ひとと話します。

              とても一方的な会話の仕方であとからかなり悔やむのですが、いまのところ、この3つの方法でしのいでいます。

               

              妬む意識はどうでもいいところにあると自分でもわかっています。

              わりと早い時期に親を続けて亡くしているので、後戻りがきかない、頼れる場所がないという葛藤がつねにありました。

              だから、毎年母の日、父の日が来ると憂鬱になります。

              もう私はなにも贈れないのに、他人様にはまだ親がいる。そのことが羨ましいです。

               

              ただ、いまはパートナーがいるので、母の日、父の日部分は「毎年の恒例行事」としてあえて薄目で見ています。

              やっぱりいいなあとは思うけど。

               

              嫌われることが怖いし、にこにこされながら陰口をたたかれているかと思うともっと怖い。

              だから、ひとりでいたいと思うこともあります。

              なのに、パニック障害が起きかけるときは信頼している誰かの手を握っていると安心できます。

              自分はひとりじゃないし、ひとりにされない。

              こう書いていてなんと幼稚なことかと顔から火が出そうですが、自分の中の「平均」がわからないままいままで来てしまったので、当たって砕けろ精神しかありません。

               

              他人様との縁は偶然も強いですが、努力も必要。

              ただ、過剰なまでのサービスをすることがあるので、「それは友だちとして対等じゃないのでは?」と諭されたことがあり、はっとなった過去があります。

              対等ってなんだろう、といまでも考えます。たぶん一生考えます。

              離れたところにいてもこころは繋がっていて、たまに会えたときに「わーい!」てなれたらほんとうに最高ですよね。

               

              パートナーとは同じ住居の中にいても別々の部屋で別々のことをしています。

              その感覚がありがたいし、なにか困ったことがあれば言う。

              ただ、こういう話をしても全部「ふーん」で流すパートナーなので、必然的に小説では聞き上手な攻めが多くなります笑

               

              心地好い関係って、ひとそれぞれ。

              たいていのことはひとりで切り抜けられるひと。

              好きなひとと一緒に過ごしたいひと。

              家族とともに乗り越えていくひと。

               

              私はどれにも当てはまらないところがあるので、つねにこころの中にちょっとした暗礁があります。

              誰かのこころに近づきたいし、知ってみたい。

              でもそれは同時に自分をも明け渡すことになるので、嫌われる確率も高くなる。

              いくつになってもこういう悩みって、根っこのところは変わらないと思います。

               

              よかったなと思うのは、小説を書くことを仕事にできたこと。

              現実では叶えられなかったことでも小説の中では成立する。夢があります。

              ちゃんとオチもあるし、たいていはハッピーエンドです。そういうところに心底ほっとし、安らぎを感じます。

               

              一方、カニバリズムに通じる暴力ものや陰惨なものも大好きで、

              日頃好んで観ているのはホラー映画か胸くそ悪いドラマ、映画です。

              キャラが私の代わりに「ギャー!!!」と叫んでくれているのが爽快で、よくホラーは観ています。

               

              いまはわかりやすいぐらい躁のターンなので、こんなことも恥じらいなく書いております。

              めっちゃ後悔する日が来そうですが仕方がない。

              黙れない性分なので、もう、ここだけはしょうもない自分を受け止めて、「いっぱい喋ってしまってごめんね」ということにします。圧をかけてしまうところもあるので、ほんとうにどうにかしたいんだけど。

               

              嫌われたっていいのにね。と思います。

              好きになれない&なってもらえないひとにも必死にすがっている自分が過去にもいて、さすがにかわいそうです。

              ある意味、使ってもらう、利用されることをよしとするというか……根深い。

               

              ひとりで(というふうに見える)行動し、判断し、ちゃんと自分の言葉でいまの考えを伝えられるひとを尊敬しています。

              私はどうしても自分の本音を伝えるまでに時間がかかり、

              何度も何度もいやな気持ちを咀嚼して、どんよりしつつこうやっていきなり書くタイプです。

              め、迷惑だな! 自分でも面倒な手合いだな!

               

              なんかほんとうにとりとめのない話になってしまいましたが、双極性にならなかったら書けなかった作品もたくさんあります。

              自分の中を探るってほんとうに面倒だし、正直いやだし、あまりしあわせじゃないなと思います。

              でも、なにかのきっかけを自分の中に掴んで形にする作業がやっぱり好きです。

              夢はあったほうがいいし、叶えられるよう努力もしたいし、もし叶わなかったとしても思いを馳せる時間を持てるのはいいことだよなと。

               

              この先どうなるか全然わからないのですが、できれば楽しく仕事していきたいです。

              そのために、今年は旅好きになります。

              知らなかったことをたくさん吸収したい。そして、それを誰かと分かち合えるように磨きをかけたいです。

               

              言うことは立派ですが、結果がともなうかどうか笑

              おこがましいですが、どこかの誰かに寄り添える小説が書けたらいいなと思いつつ今日はこのへんで。

               

              病も個性です(*´◒`*)

              読んでくださってありがとうございました〜!

              そして、もし重い気持ちにさせてしまったらごめんなさい!


              お財布を落とした話

              0

                今日、生まれて初めてお財布を落としました。

                地元の駅前ATMでお金を下ろしたあと、目的地に向かっている最中、

                スポドリを飲もうと思ってお財布を探したところ、バッグの中に見つからず。

                 

                落とした!

                すられた!?

                いや落とした!!!

                 

                暑いしパニックになるしで慌てて来た道を駆け足で戻るものの、見つからず……。

                免許証も保険証もクレカもキャッシュカードも入っているお財布。

                なによりエーステのチケットが入っているお財布。

                 

                最悪の事態を考えてまずはクレカを止めないと、と思いつつ、すがるように駅前交番に入り、

                「お財布を落としました」と言ったところ、おまわりさんが「まずは落ち着いて、この書類に必要事項を書いてね」ときびきび指示してくださいました。

                もう慌ててるので字が汚いし、間違うしうぐぐぐぐ……。

                 

                半分ほど書き終えたところでおまわりさんが、「秀さん?(実際は本名)」と聞かれたので、

                「はい」と答えたら、なんとその手には免許証が。

                えっ?

                ええーーーっ。

                もう届いてる……!!??

                 

                とにかく最後まで書き終わり、中身の確認もしました。その間べつのおまわりさんが所轄に電話して、「財布の持ち主来たから」的なことを言っていて、私の財布を出してくれました。

                「中身を確認してください。一回全部取り出しているので中ぐちゃぐちゃだけど、全部あります?」

                と聞かれ、急いで確認。

                ありました。ショップのポイントカードもクリーニングの引換証もありました。

                 

                安堵感が襲ってきてへなへなしてしまった私に、おまわりさんが、

                「よかったね。もし今度あなたが誰かのお財布を拾ったら交番に届けてくださいね」

                とおっしゃってくださいました。

                 

                拾ってくださった方には所持金から一律のお礼をする、というルールがあるのですが、

                ご本人はそれを断ったようで、

                「名前は明かせませんけど、確かに届けてくれましたよ」

                とのこと。

                 

                感謝しかなかった……。

                拾ってすぐ届けてくださったんだろうなあと……。

                書類を書く手間もあったかもしれないし。

                 

                ほんとうにほんとうに感謝しかありません。

                じつはこのお財布、もう替えようかな?と思っていたところなんだけど、

                このご縁を大事にしてまだまだ遣います。

                 

                おまわりさんも落ち着いて対応してくださったことで、私はふにゃふにゃでした。

                おまわりさんにも感謝感謝です。

                交番の中は冷房が効いていて涼しかった!

                私が書類を書いている間も落とし物の方がいらしていて、お仕事お疲れ様です……!

                という気持ちでいっぱいでした。

                 

                拾ってくださった方、おまわりさん、ほんとうにありがとうございました。

                この文面がご本人に届くことはないかもしれないけど、

                あなた様にたくさんの素敵な出来事が訪れることをこころより願っています。

                 

                同時に、私自身の振るまいについても考えました。

                今日はちょっとぼうっとしていて気が抜けてました。

                お財布はちゃんと確認して肌身離さず。

                 

                そしてここ最近(というかずっとかも)、

                自分には甘いくせに他人様には厳しい&冷たい自分がいることにも薄々気づいていて

                悩んでいたので、これを機に、いろいろ見直します。

                自分なりに、今日与えてもらえた感謝を形にしたいと思います。

                まずはできることから!

                 

                原稿頑張ります!

                 

                お財布戻ってきてほんとうにほんとうによかったよという話でした。

                拾い主さんには美味しい焼き肉をごちそうしたい……!


                岡本さんったら、もう!(『真夏の夜の御伽噺』番外編)

                0

                  「なんだよ、正。ボーッとした顔して。昨日、ちゃんと寝たか?」
                  「……勝一さんが明け方まで寝かせてくれなかったんじゃないですか」
                   眠たい目を擦り擦りテーブルにつくと、ハハ、と楽しげな笑い声がキッチンカウンターの向こうで上がる。
                  「ほらよ。おまえ好みの半熟目玉焼きとトースト。はちみつ、かけといたからな」
                  「ありがとうございます。あ……サラダ、トマトが入ってる」
                   ベビーリーフやキュウリで彩られた器に鮮やかな赤のみじん切りが混ざっていることに、旗野正は思わず顔をしかめてしまった。トマトはどうも苦手なのだ。
                  「食え。小さく切ってわからないようにしてあるから食え。フルーツトマトだから、甘くておいしいぞ」
                  「でも……」
                  「食わず嫌いの子はもう抱かねえぞ」
                  「朝っぱらからバカ言わないでください! 昨夜だって、やだって言ったのに散々したくせに」
                  「正がして欲しそうな顔ですり寄ってくるからだろ? 俺のサービス精神をなんだと思ってるんだ」
                   十歳も上となると、相当の口達者だ。言い合いも、ベッドの中でも攻防戦も、いまのところ岡本勝一のほうが断然有利だということに、旗野はむっとしながらもサラダを口に運んだ。
                  「……あ、ホントだ。このトマト、甘くておいしい」
                  「だろ? 酸味が苦手だって言ってたから、特別に甘いヤツ、探してきたんだよ」
                  「そうなんだ……、うん、おいしいです。ありがとう、勝一さん」
                   素直に礼を言って、はちみつをたっぷり塗ったトーストを囓った。春先のきらきらした陽射しが楽しげにテーブルを踊るここは、岡本のマンションだ。
                   つい二週間頃前、ようやく同居することが決まり、旗野は荷物をまとめてやってきた。岡本と恋に落ちるきっかけとなったキャンドルポットも、自分らしさに気づく鍵となったクローバーの絵も、もちろん一緒に運び入れた。
                   以前住んでいたアパートと同じ2DKの間取りだが、岡本のマンションのほうが全体的にゆったりした造りだ。リビング兼キッチンも広いし、寝室もワイドダブルベッドが入っているのにまだ余裕がある。もう一部屋はあまり使っていないようなので、旗野が以前使っていたシングルベッドを入れてもらった。
                   銀座の一角にある、『quest』というアンティークショップ兼喫茶店を構える立場上、多くの客を出迎える岡本はいくら剛胆に見えても、家に帰ったらひとりのんびり寝たい夜もあるのじゃないかと思う。そんなときは、離れて眠ろうと思って、自分用のベッドを持ち込んだのだ。だが、いまのところ、岡本のほうはシングルベッドを使わせるつもりはないらしく、深夜、もしくは明け方になって店から帰ってきてダブルベッドに旗野がいないと無性に機嫌が悪い。
                  『俺をひとりで寝かせる気か、おまえは』
                   そう言ってダブルベッドに引きずり込み、起きなければいけない時間ぎりぎりまで旗野を抱き締めてくるのだから、たちが悪い。自分の店を切り盛りする岡本と違い、旗野は老舗おもちゃ会社に勤めるサラリーマンだ。朝九時には出社しなければいけないし、営業部所属ということもあって、夜も取引先の接待に回ることが多い。
                   ――でも、もうひとりじゃない。
                   仕事で呑んだあとは酔い覚ましに、questに立ち寄る。そこで岡本の淹れてくれるおいしいコーヒーを飲み、ぽつぽつやってくる常連客と言葉を交わす楽しみを覚えた。旗野が先に帰ることもあれば、早めに店じまいして岡本と一緒に帰ることもある。
                   どちらにせよ、最終的には同じ場所に帰れるという事実がなによりもしあわせだ。
                   ただ、恐ろしく精力的な岡本につき合っていると、どうしても寝不足になりがちだ。昨晩も早めに帰ってきた岡本に抱かれて抗えず、二度もいかされ、腰のあたりがいまだにじんわりと熱を孕んでいる。
                   ――このひとのほうがよっぽど子どもみたいだ。
                   ちらりと睨むと、岡本はにやにや笑い返してくる。それが気に食わず、テーブル下で軽く足を蹴ると、相手も同じことを仕返ししてくる。何度か蹴り合い、自分たちのやっていることのバカバカしさにふっと笑ってしまった。
                  「勝一さん、……なんであんなに歯止めが利かないんですか」
                  「しょうがねえだろ? 寝ぼけてるときのおまえってめちゃくちゃ可愛いんだよ。抱いてやるとすぐにぐずぐずに蕩けて俺にしがみついてくるときの顔がたまらん。あのよがり顔を一度でも見たら、さあ今日も張り切って犯すかと思うだろうが」
                   露骨すぎる言葉に、思わずコーヒーを吹き出すところだった。
                   言われっぱなしで黙っている性分ではない。言いたいことがあるなら、はっきり口にする。それも、岡本とのつき合いで覚えたことだ。
                   さっきよりもぐっと力を込めて睨み返した。
                  「……まったく子どもっぽいんだから。言っておきますけど、俺はそんなにがっついてませんからね」
                  「へえ、そう? いまの俺が子どもっぽいっていうなら、十年前のおまえとかってどうなんだろうなぁ。もっとギャーギャー喚いて、へりくつばっかこねてたんじゃねえの」
                  「そんなことありませんよ。十年前だと……十四歳ですから、真面目に勉強してました」
                  「どうだかなー。高尚な理想を追っかけていても、頭の中は妄想でパンパンだったかもしれねえじゃん」
                  「違います!」
                  「あっそ、だったらよ」
                   顔を赤くしながら否定する旗野に、小さく笑う岡本が濃紺のシャツの袖をまくり上げながら、テーブルを離れる。それから出窓に飾っているたくさんの時計の中からひとつ、小型の目覚まし時計を取り上げて押しつけてきた。
                  「なんですか、これ」
                  「今晩、寝る前にこの時計のねじを巻いてみな。時間が逆戻りして、若い頃の自分に戻れるって言い伝えがあるんだ」
                  「また、もう……」
                   過去二度にわたる岡本の不思議ワールドにつき合わされて慣れていたはずだが、三度目ともなると呆れたため息しか出てこない。
                  「まあ、実際には若い頃に戻った夢が見られるって代物なんだけどよ。意識はいまのままで、そりゃもう、好き放題できるらしいぜ。正がほんとうにくそ真面目な十代を送っていたかどうか、自分でちゃんと確認してみろよ」
                  「……マジで言ってるんですか?」
                  「おまえを愛してるってのと同じぐらい、マジ」
                   疑り深い顔をしている旗野の顎を掴み、岡本が笑いながらキスしてきた。朝のキスにしては甘く、濃密に吸われて、嫌でも反応してしまう。昨晩、とろりと身体の奥に流し込まれた蜜がまだ冷えて固まっていないのを知っているかのように、岡本は長い舌で口腔をまさぐってくる。
                  「……ん……っ……」
                   我慢できずに喉奥でくぐもった声を上げると、頭をくしゃくしゃと撫でながら岡本が顔を離し、「よし、上出来」と微笑む。
                  「いい顔になった。今日も頑張って仕事してこい」
                  「……勝一さんったら、もう!」
                   耳たぶまで熱くてたまらない。
                   たかがキスひとつで踊らされるなんて、子どもっぽいのはやっぱり自分かもしれない。


                   岡本とつき合うようになってから、周囲には、「どうしたの、ずいぶん色気が出てきたじゃない」とか、「とうとう恋人、できた?」とか、からかわれるようになった。けれど、けっして嫌な気分じゃない。洗練された容姿をさらに際だたせるふわふわした長い巻き毛の岡本の隣に並んで立ったとき、少しでも見劣りしないようにと、一応、自分なりに気遣っている。
                   ネクタイの色柄も洒落たものを選ぶようになったし、なにより、背中をまっすぐにして歩くようにするだけでも、営業部の人間らしく、自然と笑顔がほころぶ。
                   いまはまだ付け焼き刃かもしれないが、ずっと忘れずに続けていけば、いつかは本物になるはずだ。
                  「それじゃ、来週また打ち合わせに伺いますね。あ、主任、これ、職場の皆さんとご家族でどうぞ。ちょっと早めだけど、桜の花びらを練り込んだおいしい大福、買ってきたんですよ」
                  「うわ、ありがとうございます。最近の旗野さんのオススメスイーツ、ほんと、ハズレがないんですよね。じつはみんな、旗野さんのスイーツ目当てでうちに来てくださるのを期待してるところもあって。うちの娘も桜が大好きだし、喜びますよ」
                   甘いものが大好きな銀座のデパートのおもちゃ売り場主任は、旗野が営業部のド新人だった頃から根気よくつき合ってくれているひとりだ。あの岡本よりさらに年上だけに、最初はほんとうになにをきっかけに喋ればいいのか、悩みすぎてしまっていた時期がある。
                   だが、岡本が売ってくれた魔法のキャンドルが見せてくれた夢の中で、岡本自身が、『同じ人間なんだから、共通点のひとつぐらいあるだろ。探してみろよ』とアドバイスしてくれたことで、現実の主任とも一気に距離が縮まった。以後、旗野はこのデパートに関するいくつかの企画を手がけ、主任と一緒におもちゃ売り場を活性化させるために尽力している。
                   知らないひとの、知らない部分を知る。それが以前は煩わしいだけだったのに、いまはとても楽しい。少しずつ心の中の抽斗を増やし、他人とのつき合いを深めていくことで世界観が広がる新鮮さは、岡本が教えてくれたものだ。
                  「じゃあ、また」
                  「今度は僕がごちそうしますよ。職場のみんなも、旗野さんを囲んで一緒に食事したいって」
                  「わかりました。是非、楽しみにしています」
                   笑顔でデパートを出ると、銀座の街はもうすっかり艶やかなネオンで彩られている。今夜もきっと、岡本は店に出ているだろうから、少しだけ寄ってコーヒーを飲もうかなと思ったが、今朝方渡されたおかしな時計のことがどうも気になる。それに、ここ数日、睡眠不足だ。仕事と岡本のダブル攻撃で、ぐっすり眠れていない。
                   ――たいがいバカバカしくて幸せな不眠なんだろうけど。
                   苦笑いしながら、岡本の店に寄るのは止めて、マンションに戻るために地下鉄の駅へと向かった。
                   岡本のマンションでひとり過ごすのも、慣れてきた。喫茶店を経営しているだけあって、料理の腕は岡本のほうが抜群だ。だから、同居を始めたときに、旗野は部屋の掃除を買って出た。
                   部屋に戻ってすぐに風呂を磨き、ベッドのシーツを取り替えて洗濯機を回す。リビングのテーブルには、岡本の書いたメモが残されていた。
                  『カレーをつくったから、温めて食べろ。サラダも冷やしてある。トマトも残さず食え』
                  「はいはい」
                   笑いながら冷蔵庫を開け、カレーの入ったタッパーを取り出した。ごはんも冷凍してある。同居しているとはいえ、基本的な生活時間帯が異なるので、夕食をともにすることはまれだ。なにも気にせず一緒に過ごせるのは、questの休店日ぐらいだろうか。
                  「ん、おいしい」
                   温めたカレーは、しっかりこくが出ていてとてもおいしい。旗野も簡単な料理はつくれるが、岡本の腕にはまだまだ至らない。
                   気さくで、話し上手で、コーヒーの味も料理も抜群で、思わず同性でも目を惹く精悍な相貌となると、神様もずいぶんえこひいきだと思うが、そんな男を恋人にできた自分も相当ラッキーだ。
                   自分の考えていることの甘ったるさに笑い、きちんとカレーを食べ終えた後は食器を片付け、新しい湯を張った風呂に入った。
                   岡本と一緒に風呂に入るときは、長風呂だ。のぼせないようにぬるめの湯にして、色とりどりのボディシャンプーの中から今日の気分の色を選び、互いに泡まみれになってじゃれつく時間が、旗野は好きだ。けっして言葉に出して言ったことはないけれど、膨らんで弾ける泡だらけの裸の身体を擦り寄せていると、言葉にできない安堵感を覚える。無心になれる気がする。それこそ子どもに返れる気がするのだが、最後にはやっぱり互いに熱が昂ぶり、抱き合ってしまう。
                   ベッドでも風呂場でも、岡本はさまざまなことを要求し、淫らな言葉を囁きながら、旗野でさえ触れられない場所に深く押し挿ってくる。
                   そのひとつひとつを思い出していると、妙な気分になりそうだったから、慌てて頭と身体を洗って風呂を出た。
                  「ホント、子どもなのは俺なのかも」
                   ブレーキが利かないのは、岡本なのか、自分なのか。ひとり顔を赤らめてビールを呑み、アンティークな目覚まし時計を手にして静まり返った寝室に入った。
                   大きなベッドにうつ伏せになり、目の前に置いた時計とにらめっこしてみた。この時計の裏側についているねじを回せば、時間が逆戻りして、意識はいまのまま、それでいて若い頃の自分に帰れる夢が見られるという。時計の円盤は綺麗な貝殻を使っているのだろうか。ベッドランプを弾いて七色に変化する。
                   魔法のキャンドルも、幸運をもたらす四つ葉が隠れていたクローバーの絵も、最初はうさんくさいとしか思っていなかった。けれど、どちらもほんとうの魔法の力を持っていた。だから、いま、自分はこうして、岡本のベッドにいるのだ。
                  「……だったら、これも本物なのかな」
                   呟きながら時計を手にし、表、裏と何度もひっくり返した挙げ句に、ようやくねじをきりきりと逆に回してみた。目一杯回しきったところで時計の表を見ると、ほんとうに針が逆に回っている。
                  「どんな仕掛けになってるんだ……?」
                   まじまじと時計を見つめているうちに、ゆっくりと逆回転する時計の針が眠気を誘う。
                   ――戻る、戻る、若い頃の自分に戻る、五年前、十年前の俺は、いったい、どんなだったんだろう。もうよく思い出せないあの頃、なにを考えていたんだろう。
                   どんどん瞼が重くなってくる。頭に霞がかかり、なにかを集中して考えるのが難しくなってくる。それでも、疑問は次々に浮かんだ。
                   ――若い頃に戻る、戻っていく、戻る戻る戻る――若い頃の岡本さんは、どんなだったんだろう? 十年前、いまの俺と同じ歳の岡本さんはどんなふうだったんだろう? なにを考えて、どんな毎日を過ごしていたんだろう? あのひとの若い頃を、もし知ることができたら。
                   そこで、旗野はことんと深い眠りに落ちた。強い願いの最後に、岡本の笑顔を思い浮かべながら。


                  「……なあ、ちょっと、あんた、起きろよ」
                  「ん……」
                  「起きろって。こら、おい」
                   がくがくと肩を揺さぶられ、嫌々旗野は目を覚ました。なんだかとても長い夢を見ていた気がする。まだ蕩けそうな瞼を擦って顔を上げると、逆光を浴びた大きなシルエットが眼前に立ちふさがっていた。
                  「なにしてんだよ、ひとんちの前で」
                  「……は?」
                   男の声に聞き覚えがあるものの、よく知っているものとは若干違う。
                   慌てて瞼を強く擦り、もう一度目の前の男を見た。相手もしゃがみ込み、顔をのぞき込んでくる。
                  「どうしたんだよ。誰かの部屋と間違って来たのか?」
                  「……勝一さん……」
                  「なんだ、俺の知り合いか?」
                  「……しょ、勝一さん!? ホントに!?」
                   若い男は旗野の大声にびっくりしているが、ややあって、「そうだけど」と平然と返してきた。それで呆然とするのは旗野のほうだ。
                   自分の前にいるのは、間違いなく岡本だ。それも、十年ほど若い頃の。半袖のTシャツ姿にジーンズというラフな格好で、よく履き込んだコンバースは靴紐の先がほどけかかっている。
                   現実で知り合った岡本は三十四歳で、逞しい体躯にロングのウエーブヘアというインパクトあるスタイルだが、目の前にいるのは、現実よりもやや細身で、髪も短めだ。目元の鋭さや、口元の色っぽさはいまとまったく変わらない。かたわらには大きなバックパックが置かれていた。
                  「あの……すみません、唐突なことをお聞きしますけど、あの……勝一さん、いま、いくつなんですか?」
                  「二十四」
                   さらっと返ってきた言葉に頭がくらくらしてきた。夢とはいえ、どうして岡本のほうが若返っているのだろう。一瞬、身体がぐらりと傾いだのを、自称二十四歳の岡本が慌てて支えてくれた。
                  「大丈夫か? ちょっと中で休むか?」
                  「いえ、あの、……いや、ちょっと混乱してるだけで……」
                  「だったら、部屋に入れよ。冷たいものでも飲めば少しは頭がすっきりするだろ」
                   張りのある若い声に引っ張られるままに、旗野は部屋に引きずり込まれた。それでやっと理解した。どうやら、ここは岡本の住んでいる部屋で、自分は玄関前に座り込んで眠っていたらしい。
                  「あー、久しぶりだな、この部屋に戻ってくるのも。おい、あんた、ちょっと待ってろよ。いますぐ、冷たい飲み物買ってくる。アイスコーヒーでいいか?」
                  「あの、気にしないでください、大丈夫だから」
                  「いいって。俺が飲みたいんだよ。第一、この部屋には飲み物ひとつねえし。ちょっと行ってくるから、のんびりしてな」
                   部屋の窓を開けて風を通し、岡本はさっさと出かけてしまった。
                   ぽつんと取り残された旗野は思ってもみない展開にただただ呆然としていたが、ようやく気を取り直して、室内を見回した。
                   一間しかない、なんとも簡素な部屋だ。トイレと風呂はついているようだが、台所もコンロがひとつしかない、典型的な若い独身男の住まいだ。目立つものといえばテレビと、年季の入ったいい色合いのチェスト、それにちゃぶ台が畳んで壁に掛けられている。押し入れがあることに興味を覚えてそっと開けてみると、一組の布団と、冬場に使うらしい電気ストーブだけが入っていた。
                  「……ほんとうに、若い頃の勝一さんの部屋なんだ……二十四歳だって言ってた……」
                   そこではっと思い出し、洗面所の鏡に自分を映してみた。
                   鏡の中には、二十四歳の自分がいる。昨日、風呂から上がったときの顔とちっとも変わっていない。
                   やっぱり、岡本だけが若返る世界に来てしまったのだ。
                   ――なんで、どうしてなんだ?
                   玄関の扉が開く気配に振り返ると、「お、もう大丈夫なのか?」と岡本が缶コーヒーを放り投げてきた。
                  「あ、ありがとう、ございます」
                  「気にすんなよ」
                   くだけた調子の岡本が勧めてくれたことで、一間しかない床に腰を下ろした。
                  「悪いな、座布団もなにもなくて。ちょっと旅に出てたもんで、ここに帰ってきたのは俺自身も久しぶりなんだ」
                  「いえ、こちらこそ、勝手にお邪魔してすみません」
                   夢とはわかっていながらも、相手が岡本だと思うと胸の昂ぶりが収まらない。彼がいままで渡してくれたアイテムはどれも本物の魔力を持っていた。だとしたら、この夢でも、なにか大きなことがありそうだ。
                   恐縮することしきりの旗野をおもしろそうに眺め、壁にもたれて座る岡本が、「煙草、吸っていいか?」と言う。
                  「どうぞどうぞ」
                  「サンキュ」
                   顔を傾けてマッチを擦る堂に入った仕草が、胸を甘く疼かせる。見た目も声もずっと若いけれど、岡本たる片鱗は十年前から備わっていたのだ。
                  「それで、あんた、なに? 誰? どうして俺んちの前にいたわけ? 名前は?」
                  「は……、旗野、正と申します」
                   頭を下げるなり、爆笑が返ってきた。
                  「そんなに緊張しなくていいって。取って食うわけじゃないだろ」
                  「そうですけど……すみません、慣れてなくて……こういうの」
                   額を拭うと、じわりと汗が浮かんでいた。
                   どんなことにも、三度目の正直という言葉があるが、まさか岡本の不思議ワールドで若い頃の彼に遭遇するとは思っていなかった。
                   だが、岡本のほうはやっぱり肝が据わっている。可笑しそうに笑うだけだ。
                  「歳は……俺とだいたい、同じぐらいか? 仕事は?」
                  「おもちゃ会社の営業、やってます」
                  「へぇ、真面目そうなのにおもちゃつくってんだ。どんなの?」
                   興味津々なところも、やっぱりいまとまったく変わらない。問われるままに答えているうちに、旗野も腹が決まり、「――あの」と身を乗り出した。
                  「あの、……勝一さん、俺に見覚え、ありません?」
                  「ない」
                   潔いほどに斬り捨てられて、がっくり肩を落とした。
                   ――そりゃそうだろう。十年前の岡本さんが、いまの俺を知ってるわけない。彼がくれるアイテムには魔力があっても、岡本さん自身が超能力者ってわけじゃないんだから。
                  「でも、嫌いなタイプじゃない」
                  「ホントですか?」
                   思わず食いつく旗野に、二十四歳の岡本はくくっと笑いを噛み殺すのに必死らしい。
                  「性格柄、世界中のあちこちを回ってきたけどよ。あんたみたいなのは初めて見るよ」
                  「……どういう意味ですか」
                  「目一杯意地張りまくって、真面目で頑固でお堅そうに見えるのに、ちょっと触るとなんか変わりそうなトコ」
                   艶っぽい言葉をさらりと言われて、頬が熱くなった。
                   ――やっぱり、絶対に勝一さんだ。若い頃から、こうだったんだ。
                  「旅してたって言ってましたけど、どこに行ってたんですか」
                  「んー、インドを含むアジア方面。もう少ししたらヨーロッパにも足を伸ばそうかと思ってる」
                  「凄いですね……」
                   同じ歳なのにこうも違うのかということを夢の中でもまざまざと見せつけられ、驚くばかりだ。大胆な気質と行動力は、生まれ持っての性質なのだろう。
                  「でさ、スゲエ聞きたいんだけど。なんで俺んちの前にいたわけ? 今日帰ってくるって誰にも言ってなかったのによ。偶然? それとも押し入り強盗するつもりだったか?」
                  「違います。……信じてもらえないかもしれないけど……俺、あの……、あなたの、恋人です」
                  「は?」
                  「俺、勝一さんの十年後の恋人です」
                   突拍子もない言葉に、岡本は煙草を吸うのも忘れている。そんな顔を見たのは初めてだったから、旗野も気が抜けたように笑い、「……信じられませんよね、いきなりこんな話しても」とうつむいた。
                   岡本がこれからまだまだ世界中を放浪し、落ち着いた頃に銀座の一角に店を構え、そこで互いに出会ったのだ、と話したところで、相手はまるっきり信じられないだろう。それにもし、あの時計の魔力が本物だとしたら、岡本の先々のことを明らかにするのはよくないかもしれない。たとえ、これが自分だけの見ている夢だとしても。
                   以前のキャンドルは、互いに夢を共通し、運命を結びつけるという途方もない力を持っていたのだ。今回の時計がどこまでの影響力を及ぼすかわからないから、恋人だという発言も冗談に終わらせてしまったほうがいい。
                  「……なんて、冗談です。嘘です、嘘ですよ。ここに来たのは、隣室の友だちを訪ねてきただけで、ただ部屋を間違ってしまって」
                  「隣室はもう半年前から空っぽだ」
                  「あ、じゃあ、逆の部屋」
                  「そこは一年前から空だ」
                  「じゃあ、あの、……あの、下の部屋と間違えました」
                  「バカ、ここが一階だ。二階もこの間引っ越したばっかだよ。取り壊し寸前のボロアパートなんだよ、ここは」
                   問いつめられてぐうの音も出ない旗野に、岡本がぐっと真面目な顔を突きつけてくる。
                  「俺の十年後の恋人ってホントか?」
                  「嘘ですってば」
                  「じゃ、なんでそんなに顔真っ赤にしてうつむいてんだよ。俺の名前を呼び慣れてるじゃねえか」
                  「それは練習の成果で」
                  「なんのだよ」
                  「……なんの、でしょう……」
                   自分でも、もう支離滅裂だ。
                   詰め寄られて、呼吸もろくにできない。どん、と響く音に驚いて顔を上げると、壁に両手をついて岡本が迫ってくる。逞しい両腕に挟まれて、逃げようにも逃げられない。
                  「勝一さん……」
                  「十年後に、またあんたと会えるか?」
                   思いがけない言葉が胸をひどくせつなく揺らす。
                   どうして疑わないのだろう。普通、いきなりこんな展開にぶつかったら、頭がおかしい奴だと放り出すはずなのに。
                   不思議な物、出来事、新しい出会いをすんなりと受け入れる岡本の度量の広さに、不覚にも涙してしまいそうだ。
                   ――目を覚ませば、ちゃんと『いま』の勝一さんに会えるってわかってる。俺がよく知っている、大人の勝一さん、三十四歳の勝一さんに。でも、十年若い勝一さんも、やっぱり好きだ。根本的に変わらないものを持っているこのひとが好きなんだ。これが夢だってわかってても、嬉しい。魔法の時計で時間をさかのぼって、若い頃の勝一さんに出会えて、もっともっと好きになる。
                   もっともっと、この恋を深めていく。衝き上げる感情にそそのかされて、旗野は鼻先まで近づいていた岡本のくちびるにそっとくちづけた。熱っぽい弾力は、『いま』と変わらない。岡本は少し驚いたようだが、すぐにうなじを掴んで、やさしく、甘く吸い取ってくれる。舌を搦め合い、ちゅく、くちゅりと舐めしゃぶる感覚は『いま』よりもう少し性急だ。余裕のある大人の岡本とは違い、勢いに任せるあたりが十歳若い証拠だろう。
                  「ん……っ……」
                   とろっとこぼれ落ちるほどの唾液を伝わせてきて、岡本に顎を押し上げられた。その頃にはもう、身体中が汗ばみ、シャツは肌に張りついて鬱陶しかった。それを確かめるように、岡本が淫猥に身体を擦りつけてくる。早くも勃ち上がってる性器にジーンズの上から触れてきて、口の端を吊り上げた。
                  「スゲエ、いい反応。俺の未来の恋人だけあるよな。十年後の俺に、あんたは満足してるか?」
                  「して、ます。毎日みたいに、俺のこと抱くから……頭、おかしくなりそう」
                  「そっか。俺、十年後もがっついてんのか。そりゃそうだよな、あんたみたいに可愛い奴、俺の好みのど真ん中だもんな」
                   楽しげに笑った岡本に、釣られて笑ってしまった。そのまま床に組み敷かれても、抵抗しなかった。夢でも嘘でもいい。若い頃の岡本をもっと知りたいという欲求に勝てない。
                  「また十年後に会えるんだとしても、いま、抱いてもいいか?」
                  「……いいです。俺もそのつもりだったから」
                  「十年後に会えるまで、ちょっと忘れてても許せよ。再会したら、あんたがヤダって言うほど愛してやるからさ」
                  「もう、とっくに何度もやだって言ってます」
                  「めんこくねえな、こら」
                   聞き慣れた言葉にふと微笑み、もう一度くちびるをふさがれた。今度は最初からきつく舌を吸われて甘く噛まれ、身体の深いところに一気に火を点ける。シャツを脱がされ、胸を執拗に弄る手つきはやっぱり『いま』の岡本と比べるといささか乱暴だが、その力強さがたまらなくいい。
                  「んっ……あ、……あ……」
                  「へえ、あんた、ココで感じるのか。ますます俺好みじゃねえか」
                   根元からぴんとそそり立つまで乳首をこね回し、親指の腹で押し潰し、旗野が我慢できずに悲鳴混じりの喘ぎを上げると、やっと口に含んでくれた。
                  「……っく……ぅ……っ」
                   大人になってからの岡本も胸を愛撫するのがことのほか好きらしく、いつも念入りに探り、舐め回してくる。
                   真っ赤に腫れ上がった乳首を軽く噛まれると、じぃんと頭の底が痺れるような刺激が走る。若い頃の岡本に抱かれているというあり得ない展開に身体も過敏になりすぎているようだ。両方の乳首をしつこくつまみ、くちゅくちゅと音が響くほど吸われると、せき止めなければいけない快感がどっとほとばしりそうだ。
                  「ん、や、……っだ、……や、しょう、いち、さん……っそれ、以上……っ」
                  「なんだよ、気持ちいいんだろ? 乳首を弄られて感じてんだろ?」
                   のしかかってくる岡本が、意地悪く笑いながら囁いてくる。
                  「イけよ。乳首を触られるだけでイくようなやらしい男なら、間違いなく十年後の俺の恋人だ」
                  「あぁっ、……ぁっ……!」
                   唾液でたっぷり濡らされた乳首を痛いぐらいにひねられ、背中が強くたわむほどの絶頂感に襲われて、岡本の背中にしがみつきながら射精してしまった。
                  「あっ、あっ、あっ……」
                  「あー……マジであんた、可愛いな。ジーンズも下着もぐしょぐしょだ」
                   べったりと濡れた下着ごと引き剥がされ、いまさらながらに羞恥心がこみ上げてきて泣きそうだ。達した直後で、まだひくついている性器の先端を岡本が指で開いてきて、小孔からとろっと精液がこぼれる様を楽しんでいる。
                   濡れた指が尻の狭間にすべり込んできて、窮屈に締まるアナルをゆっくりと蕩かしていく。
                  「俺にも触れ」
                  「……はい」
                  「ふふ、ホント可愛いな。十年後って言わずに、このまま俺の恋人になれよ」
                   ぼうっとのぼせた頭で、服を脱いだ岡本の下肢に手を伸ばした。ぐんと根元から勃ちあがるそれは逞しく漲っていて、先走りにしては多い滴を垂らしている。
                   不思議な時計で十年前にさかのぼり、旅帰りの岡本と出会い、明るい部屋で抱き合っている。
                   これから先、いくつの夢を見たとしても、率直に求めてくれたこの岡本を忘れることはけっしてない。目を覚まして、いつもの岡本に会ったら、もっと深い想いを抱きそうだ。
                   互いに性器を触れ合わせ、ぬちゅっと淫猥な音を響かせた。岡本のものを受け入れるために窄まりもやわらかにほどけ、漲った肉棒の先端をゆるく押し当てられただけで、ひくっ、と微弱に震えて岡本を悦ばせてしまう。
                  「抜群の身体だ。十年後の俺より感じさせてやる」
                  「……あ、……っあ、勝一、さん……っ!」
                   両脚を大きく割られて、ずん、と脳天まで突き刺さるような感覚に嬌声を上げた。若い岡本の攻め方は容赦なく、最初から深々と貫いてくる。極太の男根で蕩けた肉襞をせり上げ、激しく擦られることでどうしようもない疼きを感じ、泣きじゃくった。汗に濡れた繁みが互いの肌をちくちくと刺すのも気持ちいい。
                  「感じるか?」
                  「いい、すごい、……いい……っ、もっと、奥まで、挿れて、して、勝一さんの……奥まで、欲しい……」
                   とぎれとぎれに呟くと、いきなり抱き上げられて、彼の膝の上に座らされた。それからもう一度、下からぐぅっとねじ込まれる。
                  「あ――……あ、……ん……っ」
                   自分の重みで、前よりもっと深いところまで岡本が挿ってくる。
                  「自分で動いてみろよ」
                   誘発するような視線をどうにか弾き返したが、このままじっとしていることもできない。
                   彼の肩にしがみつき、ぎこちなく動き出すと、ざっと肌が粟立つような快感が広がる。ぬぽっ、ぐちゅっ、と肉洞を熟れさせる音が響くほどに、岡本が激しく挿入してくるのに合わせて、旗野も腰を揺らした。
                   みずから尻を拡げて男を咥え込み、前を勃たせている姿がどれだけ岡本の目に淫らに映るか、旗野は意識できない。
                  「あ、あっ、しょう、い……っさ、……!」
                  「くっそ、なんでこんなにいい身体なんだよ……」
                   ぎりぎりまで抜かれると、岡本の形を覚えたそこが奥までざわつき、次の波を浅ましく求めてしまう。汗ばんだ胸にくちづけてくる岡本が大きく腰を揺らしてきて、ぎらりときわどく狙い澄ましてくる。
                  「……出したい、あんたの中でイきたい。ダメだ、なんか止まんねえ……こんなの、初めてだ」
                  「勝一さん……」
                   うわずった岡本の声に、無意識にきゅうっと奥のほうで締めつけてしまう。岡本のものがむくりと跳ね上がるのを感じて、意識がさらに甘く蕩けていく。
                  「……俺の中で、イって。十年後も、そうして。俺だけを愛して」
                  「ん」
                   目と目を合わせたのを合図に、岡本が尻をきつく掴んでがむしゃらに突き上げてきた。抉り、くり抜くよう獰猛な動きに、旗野はもうついていけない。彼の首にしがみつくので精一杯だ。
                  「あ、――っ、あん、っん、ん、イく、……っイっちゃう……っ」
                  「……っ……」
                   岡本の手で扱かれた性器から白濁が噴きこぼれるのと同時に、ねっとりと深みのある熱がこもる最奥でどくっと脈が強く打つ。
                  「あ――あ、あ……あ……」
                   たっぷりとした精液を放ち続ける岡本のも息も荒い。淫猥に爛れた肉襞を隅々まで濡らすようにゆるく出し挿れしてきて、それでもまだ飽きたらずにキスしてくる。
                   激しい求め方が岡本らしくて、やっぱりどこか若さが残っている。
                  「なあ、俺、十年後もこの調子であんたのこと抱いてるのか?」
                  「……うん、あんまり変わりませんよ」
                  「マジか。ここまでタガがはずれたのって初めてだぜ。これから十年、あんたなしで我慢できるのか、俺?」
                   胸を満たす言葉に笑い、旗野はぎゅっと彼の頭ごとかき抱いた。胸からあふれ出しそうな愛情が、途切れない鼓動と一緒になって彼に届くようにと願いながら。
                  「我慢してください。十年後の勝一さんは、もっと凄いことになってます」
                  「あんたもか? あんたももっとエロくなって可愛くなって、俺を求め続けてくれるのか?」
                  「はい」
                   笑い崩れて頷いた。
                  「ふぅん……、じゃ、もう一度しとくか。次に会うのは十年後だもんな」
                  「そんなの、たった一瞬ですよ」
                   それこそ、まばたきする速さで時間は流れていくものだ。ほんとうだったら、この夢では自分が十年若返るはずだったのに、なぜか岡本を若返らせてしまうことになってしまったけれど、それでよかったのだといまは思える。
                   こんな素敵な魔法には、二目とお目にかかれるものではない。
                   心から大好きなひとの若い頃をかいま見て、キスしてもらえた。抱き締めてもらえた。それだけでもう、十分にしあわせだ。
                   再び身体の中で岡本が雄々しくなっていくのを感じて、旗野は恥じらいながら彼の頬にくちづけた。
                  「……また、十年後に会いましょう」


                  「――おい、正、おい、こら、どうしたんだよ」
                  「……ん、……んん? あ? ……しょ、勝一さんっ!?」
                  「うなされてたぞ、怖い夢でも見てたのか?」
                   揺り起こされてはっと飛び起きれば、見慣れたいつもの岡本が眉根を寄せてベッドの縁に座っている。悪夢にうなされていたと勘違いしたらしく、髪をくしゃくしゃと撫でてくれる。
                   くるくると跳ね飛ぶ巻き毛に、ざっくりとしたシャツ姿に目を瞠った。店から帰ってきたばかりなのだろう。寝室のカーテンは引かれたままで、ベッドランプがぽつんと点いているきりだ。
                  「勝一さん……」
                  「なんだ」
                  「……勝一さん……」
                  「なんだ、どうしたんだ? まだ寝ぼけてんのか?」
                   可笑しそうに笑ってこつんと額をあててくる男に、思わずしがみついた。彼だけの香りを胸一杯に吸い込み、彼だけの感触を確かめ、安堵のため息をついた。夢の中に出てきた岡本になかった、包容力がいまの彼にはある。
                  「……夢、見てました」
                  「どんな。……あ、おまえ、あの時計使ったのか? 若い頃の自分が見られたか?」
                  「いいえ」
                  「なんだよ、ハッタリじゃねえぞ、これ」
                   枕元に転がる、不思議な力を持つ時計を訝しく見つめている男の横顔に何度も頬を擦りつけ、――やっぱり、このひとがいい、と微笑んだ。
                   十年前もいまも、岡本だけがいい。
                  「夢に、勝一さんが出てきました」
                  「俺?」
                  「はい。十年前の、若い頃の勝一さん。いまの俺と同じ歳の勝一さん。アジアの旅から帰ってきたばかりだって言ってた。勝一さん、……凄く格好良かった」
                  「ふふ、まあそりゃそうだろうな」
                   自信たっぷりに肩を揺らして笑う岡本を見つめ、言おうか言うまいか、ちょっとの間だけ楽しい真実を舌の上で転がしてから、旗野は甘く囁いた。
                  「……俺ね、二十四歳の勝一さんとやらしいことをしてしまいました」
                  「なにい!?」
                   岡本の声が跳ね上がり、普段の余裕を剥ぎ取った顔が迫ってくる。強い熱を予感させるようにがっしりと両肩を掴まれて、どうしても笑いが抑えきれない。
                   こういう顔が、見たかったのだ。ずっとずっと、これから先も、ずっと。
                   時計を巻き戻さない現実で、岡本のこんな顔を見られるのは、この世界中で、自分ひとりきりだ。


                  世界はチカでできている

                  0

                    前編:世界はセンちゃんでできている

                     

                     凍える風に首を竦めて、南千宗はコートの襟をかき合わせた。十二月に入ったとたん、ぐっと冷え込むようになった気がする。
                     今年は暖冬だと予報が出ていたはずなのに、どういうことだろう。
                     気象庁に文句を言ってやりたいところだが、鬱々とした自分をよそに、年の瀬の街を急ぐひとびとはなにかと楽しいイベントが目白押しのこの季節、寒さに頬を上気させながら笑顔であちこちへと散らばっていく。
                     ――もしかしたら、寒いのは俺だけかもしれないな。
                     一昨年のボーナスで奮発したコートも、昨年買ったマフラーも、忍び込んでくる寒さを防いでくれない。だけど唯一、両手だけは暖かかった。
                     シープスキンでできたやわらかな手袋をはめている右手を見下ろし、南は気弱に微笑む。
                     昨年のクリスマスプレゼントにこの手袋を買ってくれた男は、いまごろ、なにをしているのだろう。
                    「チカ……元気かな」
                     無意識に口をついて出た言葉は、白い息とともにゆるゆると冬の夜空に消えていく。
                     高校時代の親友にしてただひとりの恋人である羽沢誓史、通称チカと喧嘩をしたのは、今年の夏のことだ。まだ暑い盛りに、彼の元・奴隷だった橘美散を自宅に引き取り、しばし様子を見がてら調教するというとんでもない計画に南は心底激怒し、一緒に暮らしていた彼のマンションを飛び出したのだった。
                     チカのもとを離れて一週間はビジネスホテルに仮住まいしていたが、すぐにこのままでは生活が破綻すると気づき、実家に戻ろうか、それとももっと安いホテルを探そうかどうしようか考えあぐねた結果、ひとまず会社近くのウィークリーマンションを借りることにした。
                     実家との関係は良好だけれど、いまいきなり帰ったら『どうしたの』と不審がられるに決まっている。チカとの同居は、両親も妹も知るところだ。恋人としての同居ということはもちろん伏せているが、なにかと金のかかる都会暮らし、『高校時代の同級生とシェアしているんだ』という南の言い分はなんの疑いもなく受け入れられたのだ。
                     だが、そのすみかが六本木のど真ん中にある超高級マンションだと知ったら、物わかりのいい両親も腰を抜かすだろうけれど。
                     一週間ごとに家賃を払うウィークリーマンションなら、ホテルよりも割安だ。家具や調理道具もひとそろいあるから、無駄な出費が抑えられるのは助かる。
                     とはいえ、ここもやはり仮の住まいであることには変わりない。きちんとした家捜しをしたほうがいいとこころの片隅で思いながらも、仕事が忙しいことを理由に先延ばしにしていた。
                     スポーツ雑誌の編集者である南の日常は、多忙を極めていた。チカと再会した頃は箸にも棒にもかからないような原稿ばかり書き、連日、先輩の吉田にどやされていたが、ここ最近ではひとりで特集ページを担当することもある。しかも、長らく担当してきた「柔の道」という柔道コーナーをまとめた小冊子を、新年号の付録としてつけるという大役まで来たのだから気が抜けない。
                     そこでまた、南は苦笑いする。
                     ――チカにも、相談したかった。あのコーナーがたとえ付録でも、一冊にまとまると知ったら、あいつも喜んでくれただろうに。
                     いつも笑顔で、南のすることならどんな些細なことでも気に懸けて応援してくれた男のことを思い出すと、会いたくてたまらなくなる。
                     会いたい。声が聞きたい。
                     だけど、いまはだめだ。橘の一件にけりがつかないかぎりは、絶対に会うものか。
                     会社から歩いて十分ほどのところに、仮住まいしているウィークリーマンションがある。三階の角部屋の扉を開け、ビジネスホテルと似たような白っぽい壁に手をつきながら靴を脱いだ。
                    「ただいま」
                     ちいさな呟きに応えてくれる者はいない。ただ、暗い部屋の片隅で、赤いランプがちかちかと点滅していた。誰かが電話をかけてきて、メッセージを残したらしい。
                     コートも脱がず、ベッドに腰を下ろして留守番電話のメッセージを再生してみた。ピー、と甲高い音の次に、『もしもし……』とやわらかな声が聞こえる。
                    『センちゃん、僕です。チカです。元気ですか、風邪なんかひいてませんか?』
                     録音された声に知らずと微笑み、南はベッドに寝そべった。暗い部屋の中、こうして目を閉じていると、チカがすぐそばで囁いてくれているような錯覚を覚える。
                    『毎日、センちゃんのことを考えてるよ。センちゃんは、どうしてる?……僕のこと、忘れてない?』
                    「……忘れるわけねえだろ……」
                     目のあたりを腕で覆い、ごろりと寝返りを打った。
                     こんなにやさしく囁いてくれる男をどうして忘れられるというのだろう。だが、彼は橘を調教すると言ったのだ。それだけはどうしても許せない。
                     チカがSMという趣味をおおいに楽しんでいることそのものは、南としてもなんとか理解しているつもりだった。男専門のSMクラブ・ゼルダにおいて、スタープレイヤーとして君臨し続けることも飲み込んでいたつもりだ。
                     あれは、あくまでも仕事だと思っていたからだ。
                     性癖というのは、一朝一夕で変わるものではない。チカの場合も、長い時間をかけて主人としての素質を鍛えてきたのだろうし、それを自分のために一切合切捨てろというのはいくらなんでもやり過ぎかという気がするのだ。
                     チカの犬になることはできなくても、少しばかり彼の色に染まっていることを楽しんでいる節がないわけでもない。
                     ――でも、それでも橘を自宅に入れることだけはだめだ。許せなかったんだ。あのマンションは俺とチカだけの場所じゃないか。奴隷を鍛えるのは外で、ということだったからいままで許せていたのに、家にまで持ち込まれたらなにもかもめちゃくちゃになるだろうが。
                     だから、チカの制止を振り切って飛び出した。直後の二週間はまったく連絡を入れず放置し、ようよう電話をする気になったのは彼のもとを離れて一か月過ぎた頃だ。その頃もまだ怒りがとけているわけではなかったが、チカがどうしているのか気になって電話をしてみたところ、気が狂ったような反応が返ってきたっけ。
                    『どこにいるの、いまどこ? 元気なの? 僕がほんとうに悪かったよ。許してください。もう二度ときみの嫌がることはしないよ。お願いだから戻ってきて』
                     企み上手なチカのことだから、興信所でも使って自分の居場所を調べさせているんじゃないかと考えていたこともあったが、さしもの彼でにそこまで気が回らなかったらしい。
                     動転した声に南もほだされかけ、――いや、ここで手をゆるめたらまたいつか同じことが起きると思い直し、『いますぐ帰ってきてよ、お願いだから』という切々とした声を断腸の思いで遮った。
                    『おまえがいまの生活を悔い改めなかったら、俺との今後はないと思ってくれ』
                    『センちゃん……』
                     呆然とした声が、いまでも耳の奥にこびりついている。
                     つねに余裕に満ちていたチカの、あれほど途方に暮れた声を聞くのは、初めてだった。
                     言い過ぎたかと一瞬胸を押さえたけれども、いつも土壇場で気弱になるのがだめなんじゃないかと歯を食いしばり、前言を撤回することはしなかった。
                    『とにかく、いまは戻る気はないし、おまえに会うつもりもないんだ。じゃあな』
                     素っ気なく電話を切った直後に、胸がひどく疼いて思わずうつむいてしまった。
                     思い返せば、強引な誘いに弱い自分にもいけないところがたくさんあるのではないだろうか。チカのやることなすことが常識の範疇を超えているからと言って、今回のように思いきった決断を取ってしまったら、彼だって傷つくに違いない。
                     ――どうしていままで黙ってたの。文句があるなら、もっと前に言えばよかったのに。
                     そう言われてもおかしくなかったのに、チカは反論しなかった。
                     ――思い当たる節がいろいろありすぎて、言い返せなかったんだろう。
                     意地悪に考えることもできるが、自分らしくない。
                    「やっぱり、俺が悪いのかな……」
                     またも寝返りを打ち、窮屈な感触にコートも脱いでいなかったことに気づいてため息をついた。チカと暮らしていた頃、こういうだらしなさはなかったのに。
                     留守番電話のメッセージはいつの間にか終わっていた。伝言内容は、たいしたものではない。
                     なにかあったときのためにここの電話番号は伝えてあり、チカは二、三日置きにちょっとしたメッセージを残してくれるようになった。『会うつもりはない』という南の気持ちを尊重して、無理強いをしないでいてくれるのだろう。
                     それがよけいに寂しさをかき立てると言ったら、勝手すぎるだろうか。
                     チカのマンションに置いてあった冬服も、きちんと包まれてこのマンションに送られてきていた。会社勤めの南が困らないようにという配慮なのだろうが、その細やかな気遣いがいまとなっては恨めしく思える。
                     ――チカなら、もっと強引に押しかけてくると思ったのに。
                    「あーあ、……ホントに俺らしくもない」
                     苦々しく笑いながら、弾みを付けて起き上がった。チカに対して悪意を持つのも、うじうじと弱気になるのも、どっちも自分らしくない。
                     いま、知りたいのは、チカがどうしているかということだ。殊勝なメッセージを残しながらも、夜な夜なゼルダに出勤して多くの奴隷に夢を見せているのだろうか。それとも、南がいないマンションでひとり寂しく膝を抱えているのか。
                    「そりゃあり得ないか」
                     自嘲気味に笑い、風呂場に向かう。チカと暮らしていたときは、黙っていたって風呂が沸き、旨い食事が食べられたものだったが、ひとりで暮らしているいま、なにもかも自分でやらなければいけない。
                     ――あいつ自身が忙しいのに、いつも俺の身の回りをきちんとしてくれていたっけ。ワイシャツだって忘れずにクリーニングに出してくれていたし、ハンカチもしっかり角までアイロンがかかってた。毎日を気持ちよく過ごすためのひとつひとつをあいつは自然とこなしていたから、俺はいつの間にか感謝するってことを忘れていたのかもしれない。些細な出来事に思えることほど、とても手間が掛かるのに。
                     バスタブに少しずつ湯が溜まっていくのを眺めながら、明日、勇気を出して電話をしてみようかと思う。ひとりで悩んでいるのも、そろそろ限界だ。
                     電話をかける相手はチカではないが、この状況を誰よりも冷静に判断してくれるだろう男であることには間違いない。
                     財務省に勤務するエリートにして、クラブ・ゼルダにおいて、あのチカと唯一肩を並べるという凄腕のプレイヤーと称される真柴俊介ならば、かならず的確なアドバイスをくれるはずだ。

                    「だからって、どうして俺を呼び出すんだ。このくそ忙しいときに、おまえはほんとうに頭が悪い犬だな」
                     のっけから不機嫌に罵られたところで、チカと離ればなれになっているつらさに比べたら屁でもない。仏頂面の真柴に向かってビール瓶を傾け、「そう怒らないでくださいよ」と取りなした。
                     思い立ったが吉日ということで、以前彼からもらった名刺を探し出して早速電話をかけてみたところ、こうして直接会うことを了承してくれたわけだが、どうやら虫の居所が悪いらしい。
                    「お忙しいところ、ほんとうにすみません。でも、真柴さんぐらいしか話せる相手が見つからなかったんですよ」
                     本音を漏らすと真柴も肩をすくめ、口の端にくわえた煙草に火を点ける。顔を傾げ、マッチの火がシャープな頬の線を照らし出す様子は、独特の美形であるチカを見慣れている自分でもちょっと目を瞠るほどの骨っぽさだ。
                    「直接連絡を取るのは気が進まないから、俺からチカの様子を聞き出そうってわけか」
                    「……まあ、ぶっちゃけて言えばそうです。あいつ、元気ですか。ゼルダには出てるんでしょう?」
                     真柴を招いたのは、麻布の広東料理の店だ。
                     古びた一軒家を改装し、広い土間に真っ赤なテーブルが並び、連日大勢の客でにぎわっている。ただ、真柴との話は他人に聞かれるとまずい範囲に及びそうだから、二階にある個室に通してもらった。
                     大柄で、鋭い目を持つ真柴とふたりきりで狭い部屋に通された直後は多少なりとも緊張したが、それよりもチカがどうしているのか聞きたいという好奇心のほうが勝った。
                     怖じけずに、空になった真柴のグラスにビールをついで、「教えてください」と頼む込むと、冷ややかな印象の眼鏡の下の目がふっと可笑しそうに笑う。
                    「あいにくだが、最近あいつとはまったく会ってないんだ。ゼルダにも出てきていない。ずいぶん前にしばらく休むと電話があったきりだ」
                    「ほんとうですか?」
                    「おまえがチカのマンションを出たのはいつだ?」
                    「夏、頃です」
                     思わぬ話にとまどい、声もつまる。
                    「ちょうどその頃からだな、ゼルダを休んでいるのは」
                    「なんで。どうしてなんですか。休む理由は?」
                    「そいつは俺が聞きたい。この時期はゼルダでもイベントが山ほどあるんだ。クリスマスには毎年恒例の公開調教があるっていうのに、あいつときたら出るか出ないかの返事もしないんだ。まさか失踪したんじゃないだろうな」
                    「そんな!」
                     目を瞠ったのが可笑しかったのだろう。真柴は「冗談だ」と笑い出し、ついでに、「呑めよ」とビールをついでくれた。
                     SMという趣味を抜いて語るなら、彼もそう悪い男ではないようだ。
                    「あいつはいまでも六本木のマンションにいるぜ。それは確かだ。ついこのあいだも、ゼルダのボーイが心配して様子を見に行ったばかりだ。そういうおまえは、家を出てから一度も会ってないのか?」
                     こくりと頷き、ビールを飲み干した。やけに苦みばかりが際だち、舌を刺す。
                    「案外おまえも冷たい奴だな。チカの犬じゃなかったのか」
                    「俺は――犬じゃありません。あいつの恋人ですよ」
                    「恋人なら、どうして俺と会ってるんだ。どんなふうに過ごしているか、本人に確かめたほうがよほど正確で早いんじゃないのか」
                     痛いところを突かれて返す言葉もない。
                     畳の部屋で真っ赤な座布団にあぐらをかく真柴はネクタイをゆるめ、柱に寄りかかる。ジャケットとベスト、それにスラックスとそろいの生地を使ったスリーピースはどこかの老舗で誂えたものに違いない。引き締まったダークグレイのスーツは、真柴の端正な相貌に似合っていた。
                    「そもそも、あいつが橘くんを引き取るなんて言うから……」
                    「なにを言ってるんだ。美散なら俺が監視中だ」
                    「え……でも、……だけど、あなたが面倒を見きれないからって、一時的にチカに橘を預けるという話なんじゃなかったですか」
                    「なるほど。その一件でおまえらはとっちらかったのか。……それごときでばかばかしい……」
                     深くため息をつく男を睨み据えたものの、たいして堪えているふうでもない。ほかほかと湯気を立てて運ばれてきた麻婆豆腐を皿に取り分け、「ほら、冷めないうちに食べろ」と言う男は、思いのほか世話焼きなのかもしれない。
                    「確かに美散を預けようかという話は一時的にあった。だけど、直後にチカのほうから断ってきたんだ。どうしてもだめだってな。それで、美散は未だに俺の手元で我が儘を言いたい放題だ。今日もおまえと会うから遅くなると電話をしただけで、散々わめきやがった。あんなに手のかかる奴隷も初めてだ」
                     だから今日、ずっと苦い顔をしていたのか。真柴の不機嫌な理由がわかったことで思わず笑い出してしまい、逆に睨まれた。
                     橘を引き取る件を断っていたとは知らなかった。きっと、喧嘩別れしたあとに、チカなりにできることをしようとしてくれていたのだろう。
                    「橘くんも元気なんですね」
                    「元気すぎて困る。俺はこれまでに数えきれないほどの奴隷を躾けて、次の主人へ引き渡すことをしてきたんだがな。今回ばかりは音を上げそうだ」
                     苦笑する真柴が新しい煙草に火を点け、「それで」と言い足す。
                    「チカについて、俺が知っているのはいま話したことだけだ。ゼルダには出てきていない」
                    「そうですか……」
                    「ああ、そういえばこのあいだボーイが訪ねたとき、ちょっと様子が変だったと言ってたな。玄関先にいくつも段ボールが積んであったって言ってたっけ」
                    「段ボール?」
                    「おまえの荷物を処分するのかもな。言うことを聞かない犬の持ち物をいつまでも置いておくような気前のいい主人は、そうそういないぞ」
                     笑い混じりの声にからかわれているのだとわかっても、顔が強張ってしまう。
                     やはり、真柴は自分とは違う世界に属する人間だ。あくまでも犬は犬として扱うという思考は、主人ならば当たり前なのだろう。
                     ――でも、チカは違うはずだ。俺とチカはそういう関係じゃない。
                    「どこかに引っ越すつもりなのかな……」
                    「そうかもしれんな。でもま、おまえにはいまさらどうでもいいことなんじゃないのか。あいつの性癖が受け入れられないから、同居を解消したんだろう。だったら、早いところべつの男を見つけろよ」
                    「俺は根っからのゲイじゃありませんよ」
                    「じゃ、適当に女を捕まえればいい」
                     退屈そうにあくびをしている真柴に怒ったところで、現状がどうにかなるわけでもない。
                     ――いまさらどうでもいいことなんじゃないのか。
                     真柴の言葉が胸に突き刺さって離れない。そう思えたら、どんなにいいだろう。
                     チカの性癖をわかっていて同居することに頷いたのは、自分だ。なのに、いまになってそれをはねつけるのは、やはり勝手なんだろうか。勢いのありすぎるチカにたまに追いつけないと思ってしまう自分が悪いのだろうか。
                    「SMっていうのはな、幅広くある性癖のなかでもかなり極まった部類にあるほうなんだ。おまえも知っているとおり、人間が抱く性癖というのは数かぎりなくある。覗き趣味に女装に男装、獣姦にスワッピングに露出狂」
                     健啖家ぶりを見せつけた真柴はどの皿も綺麗に片付けたあと、満足そうな顔で煙草を吸いながら扇情的な言葉をずらずらと並べる。
                     聞き慣れない性癖の数々にくらくらと眩暈を覚える南など知ったことかという顔だ。
                    「そういう性癖のなかでも、痛みとスリルと羞恥心を同時に味わうSMという性癖が受け入れられるか否かというのは、先天的なものが大きいんだ。もともと素養のない奴が好奇心で試してみたとしても、たいてい途中で我に返ることが多い。おまえもそうなのかもしれないな。チカのことは好きでもSMの世界が理解できないのだとしたら、いまのうちに別れたほうがいい。そうじゃなきゃ、また同じことの繰り返しになる」
                    「同じことの、繰り返し……」
                    「ああ。あいつや俺にとって、犬を辱めることは呼吸をするのと同じぐらい自然なことだ。もう少しわかりやすく言ってやろうか。べつに俺たちはセックスなんかしなくたっていいんだよ。犬を痛めつけるってこと自体、射精するのと同じぐらいの快感だと言えばおまえにもわかるか」
                    「わ、わ、わかりましたから、もういいです」
                     平然とした顔でとんでもないことを滔々と喋り倒すあたり、チカとそっくりだ。
                     個室を押さえておいて、ほんとうによかった。チカと正面から張り合うだけあって、真柴も凄まじいことこのうえない。
                     そういえば、前に橘も似たようなことを言っていたっけ。
                     ――チカは直接的な行為を好まないと言っていた。だから、奴隷をいたぶるのも言葉主体だと。でも、俺に触れているときのあいつがむりをしていたはずはない。本気で触りたくないと思っていたら、俺でもわかったはずだ。本気で嫌だったら――俺に触れるのが嫌で嫌でしょうがなかったら。
                     そこまで考えて、いかに自分が鬱屈しているかよくよく悟り、ため息しか出てこなかった。
                     いったい、いつから暗いことばかり考えるようになったのだろう。自分の取り柄と言ったら、前向きでへこたれないことぐらいではないか。
                     高校時代に柔道で鍛えた身体は、いまでも隅々まで引き締まっているが、チカや真柴のように人目を惹きつけるような容姿ではないし、頭の中身だってまあまあ社会に適応しているという程度だ。
                     ――そういう俺から前向きさを抜いたら、なにがあとに残るんだ。ガタイばかりよくて気の弱い男なんか、俺だって嫌だ。
                     チカは、こんな自分をどう思っているのだろう。ほんとうに真柴の言うとおり、同居させてもらっている恩も忘れて飛び出してしまった自分の荷物をまとめて、処分しようとしているのだろうか。
                     洋服や本は、捨てられてもいい。もったいないけれど、諦めようと思えば諦められる。 だけど、チカ自身には捨てられたくない。絶対に。
                    「どうするか、決まったか」
                     勘がいいらしい真柴に水を向けられ、しばしためらったあと頷いた。
                     彼の言うように、SMという性癖は後天的に養えるものではないのだろう。それでも、相手がチカなら理解したいと思ったことは嘘じゃない。
                    「……とにかく、もう一度会って、ちゃんと話してみます。チカからSMを取り上げたらチカじゃなくなる気がしますよ」
                    「確かにな。銀色の頭をした、普通のいい男ってだけだ」
                     遠慮のない真柴に、「そんなことはありませんよ」と南は笑いながら頭を振る。
                    「俺にとっては、やっぱり誰よりも大事な男です。でも、こっちにも譲れない線があるんですよ。あいつがどんなにSM好きでも、家に持ち込まれるのはごめんです。橘くんを引き取るのは言語道断。ほかの奴隷についても、俺以上に大切にするのは許せません」
                    「わかったわかった。そいつは俺じゃなくて、チカに言えよ。まったく、最近の犬ときたらどうなってんだ。たとえほかの主人相手でも、口のききかたには十分注意するってのが犬として最低限の礼儀だと思うんだが」
                    「だから、俺は犬じゃありませんってば」
                     ぶつぶつ言う真柴に負けじと言い返すついでに、暗い窓の外を見た。
                     いまごろ、チカはなにをしているのだろう。この夜空の下、どこかで自分のことを思い出してくれているだろうか。
                     二十六近くにもなれば、さまざまな困難に立ち向かったときの対処法がそれなりに身に付いているものだ。
                     だが、チカにかぎってはどう頑張っても意地を張ることができない。
                     どれだけ真柴と話したところで、胸に空いた穴を埋めることはできない。この寂しさをわかってくれるのは、チカだけなのだ。

                     真柴との会食後、すぐにもチカに連絡をしようと思っていたが、あいにく時期が悪かった。
                     出版業界に属する者なら、誰もが息つく暇もなく馬車馬のように働く年末時期だ。
                     南ももれなく年末進行の波に飲み込まれ、会社に泊まり込んでの仕事を必死にこなすうちに一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、あっという間にクリスマス・イブを迎えてしまった。
                     十代の頃ならいざ知らず、二十代も後半に差し掛かろうとしているいま、クリスマスだなんだと騒ぐつもりはこれっぽっちもない。
                     だけど、今年のクリスマスはチカとふたりで食事をしようと夏前から約束していたのだ。
                     ――あんなふうに喧嘩さえしてなかったら、いまごろ楽しく過ごしていたのに。わざわざレストランで食事をしなくてもいい。チカといられれば、それでよかったんだ。
                     男の恋人とクリスマスに食事することを楽しみにしていたなんて、誰にも言えない。
                     黙々と仕事に専念したおかげで、クリスマス・イブ当日には年内に片付けなければいけない作業もほとんど終わっていた。
                    「クリスマスだってのに、なーにシケた顔してんだ。今夜は可愛い彼女と食事でも行くんじゃないのか」
                     しばらく前から南に女の恋人がいると勘違いしているらしい先輩の吉田が声をかけてきて、帰り支度を調えていた南は「いや、まあ」と曖昧に笑う。
                     どんなに仕事が忙しくても、電話の一本ぐらい入れることはできたはずだと自分でもわかっていた。なぜ、そうしなかったのかということもよくわかっている。
                     ――電話をかけて会いたいと言っても、『いまさらどういうつもり』と返されたらと思うと、怖くてかけられなかったんだ。
                     真柴と会った直後の勢いは仕事に忙殺される日々のなかで少しずつ衰え、気づけばまたも自分のしたことを悔やんでいる始末だ。
                     チカがどう思っているのか、会って話してみないことにはわからない。だが、はねつけられるのも怖いときたら、もうお手上げだ。
                     ここまできたら、どういう結末になろうが会うしかない。チカが怒っていようがどうしようが、納得するまで話すべきだ。
                    「俺、帰りますね」
                    「お疲れ。彼女と喧嘩してるなら、今夜中に仲直りしろよ」
                     年上らしい吉田の気遣いに片手を挙げて応え、会社を出たあとはまっすぐ六本木へと向かった。
                     クリスマス・イブだけあって、六本木の大通りは多くのひとでごった返していた。正面に見える東京タワーも凍える夜気の中で真っ赤だ。
                     あのふもとを目指していけば、チカの住むマンションはすぐそばだ。
                     しばらくぶりの坂道をゆっくりとのぼっていく途中、すれ違うひとびとは皆、笑顔だ。
                     これから、どこかのパーティに向かうらしい女性は右手にちいさな紙袋を提げている。きっと、中に誰かへのプレゼントが入っているのだろう。そのうしろからやってくるカップルは、買ったばかりらしい明るい色彩の花束を手にしていた。
                     ビルというビルのネオンは冴え冴えと輝き、吐く息は白かった。だけど、両手だけはチカが贈ってくれた手袋で暖かい。
                     鼻の頭が赤くなる頃、やっと東京タワーに着いた。いつもならもっと早くにたどり着くのだが、今夜はひとの出が多いこともあって時間がかかってしまった。
                     マンションはもう目と鼻の先だが、東京タワーの真下で少し休んでいくことにした。チカに会う前に、もう一度こころを落ち着けておきたかったのだ。
                     周りはカップルだらけで、男の独り身はかなり浮く気がするが、そこはあえて鈍感になってベンチに堂々と腰を下ろしてしまえばいい。
                     ――家にいるかどうか確認していないけれど、きっといるはずだ。
                     ゼルダには出ていないと真柴も言っていたし、もともとチカはひとりでふらふらと呑みに出るほうではない。慣れ親しんだバー・鍵も、最近では縁遠くなっていた。
                     ――チカが変わっていなければ。俺と暮らしていた頃のチカのままなら、きっといまも家にいるはずだ。
                     ふわりと息を吐き出しながら見上げるタワーは、東京全体を美しく照らし出すクリスマスツリーみたいだ。
                     深紅に光り輝くおもちゃのような鉄塔に、――チカも部屋からこの景色を見ているだろうかと微笑んだときだった。
                     キィッと車のタイヤが派手に鳴る音にはっと振り向くと、ちょうど正面の道路にばかでかいリムジンが停まったところだ。
                     ごちゃごちゃした東京の景色にまったく似つかわしくない車をそこらの通りで見かけただけなら、――こんなデカイ車に乗っているのはいったいどんな奴だと好奇心をそそられただろうが、まるで自分を狙うように明るいライトが照らしていることに鼓動が駆け出す。
                    、まさか、と腰を浮かしたのと同時に車の扉が開き、中からタキシードに身を包んだ男が颯爽と現れた。
                     襟元は艶のあるシルク、ベストとシャツは輝く白で統一し、足元の黒のエナメル靴にも一点の曇りもない。
                     どこの絵本から飛び出してきたのかというようないでたちに、目の覚めるような銀髪と右耳を飾る一カラットのダイヤモンドが似合う男ときたら、世界中でただひとりだ。
                    「――チカ!」
                    「センちゃん!」
                     度肝を抜くような登場を果たした男の足元に、セレブの証であるレッドカーペットが敷かれていないのが不思議でしょうがない。
                     まばゆいばかりのネオンを弾く黒のタキシードと、根元まで綺麗に染まった銀髪という取り合わせは久しぶりに見ても腰が抜けそうなほどに派手だ。
                     足早に近づいてくるチカは以前と変わらぬ笑顔で、だけど、少し頬が痩せていた。
                    「……久しぶりだね。今夜、かならずここで会えると信じていたよ」
                     どうしてここにいることがわかったのだろう。チカにはもしや超能力でもあるのだろうか。
                     ――それとも、俺の知らないあいだに身体に発信機でも埋め込まれてたのか?
                     超能力よりもそっちのほうがよほど現実味があるが、両手を包み込むチカの目には自分しか映っていないようだ。突然の出来事に目を剥いている周りのひとびとは、彼にしてみたら背景の一部なのだろう。まるっきり動じることなく、南の頬にやさしくキスをして、「おいで」と囁いてくる。
                    「きみのために今夜は腕をふるったんだ」
                     呆気に取られる南をリムジンに誘い、好奇の視線を遮断してぱたんと静かに扉が閉まり、「出していいよ」というチカの声とともに車が滑るように走り出す。
                    「元気、だったか」
                     掠れた声に、三か月ぶりに顔を合わせたチカは「どんなふうに見える?」と笑いながら首を傾げる。
                     その表情には、前にはなかった落ち着きとある種の寂しさが感じ取れて、真横に座った南は穴が空くほどにまじまじと見つめた。
                    「痩せたみたいだな」
                    「ちょっとだけね。きみと別れて暮らしているあいだ、なにを食べてもおいしくなくて」
                     小声で言いながら、チカがそっと身体をすり寄せてくる。どことなく遠慮の残る仕草も、前にはなかったものだ。
                    「そういうきみは? 元気にしてた?」
                    「いや」
                     嘘はつけない。見栄を張ることもできない。離れて寂しかったのは、こっちも同じだ。
                    「……俺も、寂しかったよ。ごめんな、あんなふうに飛び出して」
                     ぽつりとした声でそう告げると、チカは切れ長の目元をほんの一瞬潤ませ、急いで肩口に額を押しつけてくる。
                    「ずっと会いたかったよ。会いたくて会いたくて、気が狂うかと思った。でも、むりをしたら、また同じことの繰り返しになる気がしたんだ。きみはやさしいから、きっと僕に合わせてくれてしまうでしょう。それがどうしてもこころ苦しい。……でも、きみと別れるなんて僕にはとても考えられない。そんなことになったら死んでしまうよ」
                    「バカ……、俺なんかのためにそこまで思いつめることないだろ」
                    「ううん。ほんとうだよ。センちゃんだからこそ、なんだよ。僕にとってきみは命よりも大事な存在。この先も、僕はセンちゃんと暮らしていきたい。だから、ライフスタイルもSMという趣味も、ここで一度考え直してみることにしたんだ。橘くんを引き取る話は、センちゃんが出ていってすぐに断った。ゼルダにもずっと出てないし、毎日家でひとりでおとなしくしてたよ。……奴隷なんかよりも、きみのほうがずっと大事なんだよ」
                     真面目な声音を聞いていると、高校時代の頃に戻ったような気がする。
                     いまでこそベリーショートの頭がプラチナシルバーに染まり、恐ろしく金のかかったマンションで金色ライオンの口からざばざばと湯があふれる薔薇風呂に浸かるという暮らしを楽しむチカではあるが、出会った当初は隣町の大病院の跡取り息子にふさわしい礼儀正しさを持ち、柔道部の主将だった南の信頼できる右腕として、つねにそばに控えていてくれたものだ。
                    「毎日毎日、センちゃんに会えることだけを考えていたよ……。ほんとうはね、どこに住んでいるかも知ってた。会社に訪ねていこうと思えばそれもできたけど、やっぱり、きみの意志を無視しちゃいけないと思ったから、今日まで我慢したんだ」
                    「どうして今日なんだ」
                    「だって、僕らは約束したでしょう?クリスマス・イブに綺麗にライトアップされた東京タワーをふたりで見たら、とっておきのレストランに行こうねって。あの約束をセンちゃんが覚えていてくれていることを信じて、ひたすら今日を待ち焦がれたよ。クリスマスなら、神さまもきっと僕の願いを叶えてくれるだろうと思った。きっときみが戻ってきてくれるって、信じてたよ」
                    「チカ……」
                     見た目は激変しても、チカのまごころは昔のままだ。
                     感傷的な気分に背を押されて、熱くなる目頭を押さえようとした瞬間、ふいに車が停まる。とたんにチカが笑顔でのぞき込んできた。
                    「さあ、着いたよ。センちゃん、降りて」
                    「え? ここ、どこなんだ。前のマンションか?」
                    「神田だよ」
                    「神田ァ? なんでまたそんなところ……うわっさみィ!」
                     慌てて車から降り、冷たい横風にぶるっと背中を震わせた。
                     確かに、神田に来たらしい。目の前に神田川が暗く流れるこの一帯には古くからの建物が並び、どれもちらちらとした灯りを川面に投げかけている。
                     ここから勤め先のメディアフロントはそう離れていない。とはいうものの、チカは会社に用があるのではないらしい。
                     リムジンが停まったのは、ぼろけた木造アパートの前だった。
                     戦前に建てられたんじゃないかという古びた建物はいまにも崩れ落ちそうで、窓から漏れる数少ない灯りはほかの建物のものと比べていかにも弱々しい。
                    「こっちこっち」
                     手招きするチカがタキシードの裾をはためかせ、ボロアパートに入っていく。
                     いったい、ここでなにをしようというのか。季節はずれの肝試しでもやるつもりなのか。おそるおそるあとをついていくと、少し先を行くチカは二階に通じる階段をぎしぎし軋ませながらのぼっていく。
                    「なんなんだよ。こんなボロいところでなにするつもりなんだ」
                     事情がさっぱり掴めない南に、角部屋の前に立ったチカが「ふふ」と笑い、内緒話をするように人差し指をくちびるの前に立てる。
                    「今日からここで、僕らは新しい生活をスタートさせるんだよ」
                    「はあ?」
                    「さ、どうぞ」
                     ギーッとものものしい音を立てて開いた扉は、一発蹴ればがたがたになりそうなほどに薄い。
                     中をのぞいてみて、これまた驚いた。いまどき、こんな狭い部屋が都心にあろうとは。畳が三枚並んだ部屋には丸いちゃぶ台と水仙が飾られた一輪挿しに、二枚の座布団が置かれているほかには、なにもない。
                    「なんだ、この部屋……」
                    「すごいね、三畳ってこれだけしかないんだね」
                     目を丸くする南とは正反対に、早々に靴を脱いで部屋にあがるチカはにこにこしている。窓の桟は使い込まれて黒光りし、付け足し程度にある流しも水道の蛇口しかついていない。
                    「トイレと台所は共同なんだよ。でもほら見て、一応押し入れはついてるんだ」
                     わびしい部屋にまったく似合わないタキシード姿のチカががらりと襖を開けると、真新しい布団が積んである。
                    「お布団と畳だけは新しいから安心して」
                    「は……」
                     窓を閉めていてもすきま風が入るらしい。かたかたと薄いガラス窓が鳴る音にチカがくすりと笑い、「それじゃ次は」と再び押し入れを開ける。狭い部屋に箪笥など置いたら圧迫されるだけだから、どうやら押し入れにあれこれしまい込んでいるらしい。
                     そこから出した水色の洗面器を南の前に置き、もうひとつ黄色の洗面器を自分の前に置いてチカが立ち上がりながらコートの袖を落とした。
                    「センちゃんも着替えて。早く行こうよ」
                    「どこにだよ」
                     まだ呆けている南に、チカが楽しげにウィンクしてくる。
                    「銭湯に行くんだよ」
                     それでわかった。
                     豪奢な生活を捨て去る決意をしたチカは、かの名曲『神田川』を地でいこうとしているのだ。

                    「あなたはもう、忘れたかしら……」
                     低く、甘い歌声を探してのれんをかき分けると、銭湯を出たすぐ右の柱に、チカが寄りかかっていた。
                     ボロアパートを出る前に着替えた、南とそろいの紺のフリースジャケットとジーンズという格好は、しなやかなシルクと贅を尽くした皮革製品をこよなく愛する彼にしてはめずらしいシンプルさだ。
                     その首に、赤い手ぬぐいをマフラー代わりに巻いているのを見ると、可笑しくて可笑しくてたまらず吹き出した。
                    「あ、センちゃん。待ってたよ」
                    「寒いんだから中で待ってればよかったのに」
                    「だめだめ。寒さを堪えてきみを待つのが楽しいんだって」
                     そういうことだったのか、と南は苦笑いする。
                     白い息を吐き出して笑うチカと一緒に銭湯の男湯に入り、三か月離れていた寂しさを埋めるようにあれこれと話したついでに、背中の流しっこまでしてしまった。
                     いまどきの銭湯と言えばジャグジーにサウナ、岩盤浴にマッサージ付きとメニューがてんこ盛りの「スーパー銭湯」が幅をきかせているが、今夜ふたりで入ったのは昔なじみの富士山に帆掛け船が描かれたペンキ画が壁を飾る風呂だ。
                     客として来ているのも近所に住んでいるご老人ばかりらしく、皆、一様にチカの銀髪にびっくりした様子を見せていたのが可笑しかった。
                     熱めの湯にしっかり浸かり、髪と身体を洗い、もう一度湯に浸かったところで彼のほうが「先に出てるね」と慌ただしく出ていってしまったので、湯あたりをしたのかと心配していたのだが、どうやら『神田川』の歌詞をきちんとなぞりたいらしい。
                     彼の短い髪に触ると、冷たい。
                    「おまえってホント、変なところで凝る性格だよな」
                    「そうだよ。だからセンちゃんのことも隅々まで知りたくて困る。出会ってもうずいぶん経つのにね。未だにきみには惹かれっぱなしで、毎日どきどきさせられるよ」
                     肩をぶつけてくるチカと笑い合い、ちいさな石けんを洗面器の中でかたかた鳴らしながらアパートに戻った。この石けんだって新品ではなく、わざわざ使いかけのものを用意していたのだから、チカの用意周到ぶりには恐れ入る。
                     貧しくても南との暮らしを徹底的に楽しむために、ボロアパートも探しに探したのだろう。いまどき、三畳一間を見つけるほうが大変だ。
                     部屋に戻ると、ぼんやりした電球と電気ストーブを点けた。
                     この光景をもしもあの真柴が見たら、クリスマス・イブなのになにをやっているんだと笑うかもしれない。だが、南には誰が笑おうともどうでもよかった。チカと狭い部屋にふたりきりでいられるのだ。
                     男ふたりに三畳というのはさすがに窮屈だが、しばらくぶりに顔を合わせたのだと思うと胸が高鳴り、肩が触れ合うほどの狭さが逆に嬉しい。
                    「テレビ、ないのか」
                    「ラジオならあるよ。点けようか」
                     どこかの質屋で買ってきたのだろうか。古ぼけたラジオのスイッチを入れると、クリスマスらしく「きよしこの夜」が流れ出す。
                    「ケーキもあるんだ。食べよう」とチカが部屋の隅に置いていた箱を出し、ちいさなショートケーキを皿に載せてくれた。ついでに、急須と湯飲みを使って紅茶を入れてくれる。
                     なにからなにまで質素にする徹底ぶりに、自然と笑い声が漏れていたのだろう。
                    「なに笑ってるの」
                    「いや、ついこのあいだまでは薔薇風呂に浸かってたのにな。まさか、クリスマスにおまえとふたりでこんな場所でケーキを食べられるとは思わなかった。ん、旨いよ、これ」
                    「よかった。安くておいしい店を必死に探したんだよ」
                     チカは風呂上がりで艶めかしいくちびるについたクリームをぺろりと舐めている。
                    「あのマンション、どうしたんだ。……真柴さんにちょっと聞いたんだけどさ、荷物をまとめてるんだってな。もしかして、俺の荷物? あのマンションを引き払うのか?」
                    「まさか、違う違う。きみの了承なしに勝手にいじらないよ。でも、マンションは処分するかも。……きみがいなくなってさぁ、僕はなにもかもが虚しくなったんだよ」
                     寂しげに笑い、チカは湯飲みに口をつける。
                    「センちゃんの笑顔がなかったら、どんなに綺麗で広い部屋に住んでいてもつまらないんだよ。よくよく考えてみると、僕はこれまで結構恵まれてきたんだよね。だから、金銭感覚が鈍っているところもあって……きみに嫌な思いをさせたかもしれない。ごめんね」
                    「そんなことない。俺だって、チカに会わなきゃライオン風呂なんか一生入れなかったんだ。天蓋付きベッドもそうだよ。いまだから言うけどさ、俺、あのベッドが結構気に入ってたかも。シルクを下げてただろ。綺麗だったよな」
                    「だったら、ここで蚊帳でも釣ってあげようか?」
                    「バーカ」
                     ふたりして吹き出した。すきま風が入り込んでも、身体を寄せ合っていれば暖かい。ふと窓の外を見ると、ちらちらと白いものが降っていた。
                    「あ、雪だ」
                    「ほんとう? ホワイトクリスマスになるなんて思わなかったよ。一生の記念になるね」
                     顔に似合わずロマンティックなことが好きなチカがはしゃぐ横顔に微笑み、「チカ」と囁くと、「うん」と彼も振り向く。
                     その首の傾げ方がちょうどいい角度だったので、そっと顔を近づけると、チカも瞼を閉じる。
                     触れ合ったくちびるから、ほんのりとした熱が伝わってくる。どうしてこの男と三か月も離れていて平気だったのか、自分でもわからないほどのせつなさがこみ上げてきて、チカにすがりついてしまった。
                    「ん……」
                     くちびるを重ね、頬を擦りつけ、たまらずに舌を搦めると、チカがうなじを支えてくれた。
                     くちゅりと音のするキスを飽きずに繰り返し、ふいにチカが顔を離すと、つうっと銀色のしずくがふたりのくちびるを伝う。
                    「チカ……ヤバい、俺……なんか止まらなくなりそ……」
                    「ん、僕も。三か月もきみとしてなかったなんて信じられない。ほら、触ってみて」
                     右手を掴まれ、ジーンズの上から硬く盛り上がったそこに触れさせられて、びくりとおののいたのがわかったのだろう。
                    「さっき一緒にお風呂に入ってるとき、あともう少しで勃つところだったよ。頭の中で念仏を唱えてなんとか我慢してたけど」
                     うわずった声に南も笑い、手を伸ばして電球のスイッチを引っ張った。カチリと音がしてちいさな豆電球だけが灯るなか、チカが素早く立ち上がって押し入れから布団を取り出す。
                     無言でシーツを整え、枕を並べたところで視線が合った。
                     熱っぽい目が全身を舐めるように絡みついてくる。これだけ強い情欲を目の当たりにしたのは、いつ以来だろう。
                    「千宗……千宗……」
                     頭をかき抱いてくるチカに押し倒され、そこから先は無我夢中で互いに服を脱がせ合った。チカのシャツのボタンをはずそうとしても、指が汗で濡れてうまくいかない。
                     普段、もっとソフトな抱き方をしてくれるチカも、今夜は本能が剥き出しだ。頭でなにか考えるよりも先に手が出るらしく、力ずくでシャツを引き剥がされ、ボタンがひとつ弾け飛んだ。
                     逞しい胸板を押しつけ、少しの抵抗も封じる乱暴な仕草に、ぞくぞくするような快感がこみ上げてくる。奴隷を相手にしているときは、もっと洗練された態度だ。ならば、この荒々しい行為は情欲が抑えきれない証拠で、恋人にしか見せないものなのだろう。そう思うと、胸の奥が甘く痺れていく。チカの凄味ある本性を見た気がして、触られていないうちからどこもかしこも鋭敏になっていくようだ。
                    「千宗の乳首、ずっと触りたかったよ……。ここ、どうしてた? 僕と離れているあいだ、自分で触った?ほかの男に触らせたりしてない?」
                    「し、……てない、……そんなこと、――ぁ……」
                     引き締まった胸でいやらしく尖る乳首を、長い指がきゅっとつまんでくる。チカの指はいつ見ても綺麗に整っている。女の指のようななよやかさはなくても、爪のカーブはオーバル型だし、それなりにはっきりした節も男らしい。そういう指に執拗に胸を弄られるのが、どれだけ感じるか直接言ってやれたら。
                     感覚だけじゃない。視覚的にも、快感を与えることをチカは自然なまでにやってのけるのだ。
                     指の腹で痛いほどによじられ、こねられて、赤くふくらんだ先端をチカが大きくのぞかせた舌でつついてきて、ひくんと身体がのけぞった。
                    「あ……あぁ……」
                     たったそれだけの愛撫でも涙が滲むほどに感じてしまう。渇いた身体はチカの愛撫のひとつひとつを貪欲に吸い込み、南でさえ触れないずっと奥のほうを潤ませる。
                     指できつく揉み込まれた乳首を今度は舌で舐られ、たっぷりと吸われた。チカのくちびるから響く音が部屋中に跳ね返るようで、腰が疼くほどに恥ずかしい。ちいさなそこをしつこく舐め回されると、じんとした甘い痺れが腰のあたりに広がる。
                    「ああ、もうこんなに赤くなっちゃった。いやらしくていいよ、千宗はほんとうに。僕が毎日可愛がって開発してあげたんだもんね。ほら、自分でも触ってごらん。きみが気持ちいい触り方をしていいから」
                    「そんなの……わからないって……」
                     チカが自慰めいたことを強制してくるのは、これが初めてじゃない。つねに恥ずかしさが勝ってしまい、そのたび「嫌だ」と断っているのだが、「してよ」と甘く囁かれると理性がもろく崩れてしまうのが自分でも情けない。
                    「大丈夫。僕しか見てない」
                     こう言うのもチカの常だ。
                     ――おまえが見ているから恥ずかしいんだろうが。
                     そう言おうとした矢先に、腿のあたりにチカの硬い熱がもったいぶるように押しつけられ、つい胸に手が伸びてしまった。
                    「そう、千宗は自分の乳首をそんなふうに触るんだ?」
                    「ッん――ぁ、あ」
                     楽しげな笑い声を鼓膜に染み込ませ、ぎこちなく乳首を弄った。自分で触るのと、チカにしてもらうのとではやはり違う。同じようにしているつもりでも、力加減が違うのだろうか。
                     こうじゃない、ああじゃないと恍惚の表情で弄り回す様子がチカをおもしろがらせたようだ。
                    「自分でするのがそんなにいい?」
                    「ちが、う……おまえにしてもらえるほうが、ずっといい……」
                    「どうして。僕はまあ、男の抱き方はうまいほうだからね。たとえばの話、きみじゃなくてもいかせられる自信はあるよ」
                     こんなときに、なんてことを言うのだろう。胸を弄る指の上からチカの指が重なり、微妙な具合で力を加えてくるから甘ったるい声が次々に漏れてしまう。
                    「教えて、千宗。きみはもともと乳首を弄られるのが好きなの? 生まれつきの淫乱? 僕に会う前からきみには男と寝る素質があったってことかな。もしかしたら、誰を相手にしても感じられる?」
                    「バカ、違う、……おまえがこうしてくれた、んだろ……たくさん弄ったのは、おまえじゃないか」
                    「じゃあ、僕に出会って変わったのかな」
                    「――そうだよ……あ……っん……!」
                    「嬉しいよ。その言葉が聞きたかったんだ。きみは虐げられる才能が先天的にあったわけじゃない。僕に出会ったことで、淫らになったんだよ。それがどんなに嬉しいか、わかる?」
                     戒めみたいにぎゅっと乳首をひねられた。鋭い痛みの裏側にひそむ快感に、背筋が震える。
                     薄暗がりの中、チカが舌なめずりして引き起こしてきた。
                    「僕に寄りかかってごらん」
                     開いた彼の両足のあいだに抱き込まれると、硬い熱が尾骨にあたり、どうにも落ち着かない。
                     羽交い締めにされた状態で、両腿を大きく割られた。そうすると、いやでも自分のそこをまともに見ることになってしまう。オレンジ色の豆電球の下で、ぬらぬらと先端を光らせた性器がたまらなく淫らだ。
                    「ここ、こんなに大きくしてたんだ。もうびしょびしょだ。ね、触りながら楽しい話をしてあげるよ」
                    「ん――ッ、は、……」
                     そそり立つ性器に指の輪っかを通し、ゆっくりと上下させていくチカが耳たぶをやわらかに噛んでくる。
                    「きみと離れているあいだ、僕がどうしていたか聞きたいでしょう。教えてあげるよ。最初の一、二週間は気が狂うかと思った。夜も眠れなくて、一日中部屋の中でずっとぼうっとしてたよ。きみの着ていたパジャマにくるまっても落ち着けなかった。ほんとうにもう二度と会えなかったらどうしようかって……そればかり考えてた。次の一週間は、次にもし、きみと会えたら、なにを話そうかと考えたよ。僕のSMという性癖をなんとか理解してくれようとしているきみに、むりはさせたくない。だけど、SMをやめろと言われたら僕はやめられるのか、真剣に考えてみた。……どうにもね、困ったことに答えが出ないんだよ」
                    「……チカ……やだ、そこ、やめろって……」
                    「ああ、ここ? 好きだよね、千宗ここを弄られるの」
                     ペニスの先端の割れ目はひくひくとうごめき、透明な蜜をあふれさせてチカの指をも濡らしていく。
                     そこに爪を立てて開かれると、ふつりと染み出すしずくがこぼれ落ち、全身がよじれるような快感にいまにも射精してしまいそうだ。
                     抱き合っているとき、チカが滔々とまくし立てるのは毎度のことだ。しかし、三か月離れていたあいだに、彼の中でなにかが変わったらしい。以前と比べ、落ち着いた口調になったと言えば聞こえはいいが、より凄味を増したような気もする。
                     潤滑剤も使っていないのに、ぬちゅぬちゅと音を立てて扱かれた。聞こえる音といったらそれぐらいだ。知らないあいだにラジオのスイッチも切られており、身体じゅうをまさぐる手だけではなく、吐息や温度といったものすべてでチカを感じた。
                    「答えが出ないまま、きみと無事に会えたらどう抱こうかなと考えたよ。いままでの僕は際限なく喋り散らすばかりで、少し考えなしだったよね。その点は反省してる」
                    「……な、ッに、……あ……」
                     チカが声を落としたとたん、すうっとすぼまりに指が這い、先走りのぬるみを使って少しずつ侵入してきた。じわじわと意識を浸食するようなやり方が、いままでのチカと違う。
                     言葉が少なめになったぶん、すぼまりを押し拡げたり、硬くしこる乳首の先端をこりこりとねじる指先にこれまでになかった強引さが加わった気がしてしょうがない。
                     確かにチカは前から押しが強かったが、南の反応を試しつつさまざまなことを仕掛けている節があった。しかし、今夜の愛撫はそういったものが感じられない。愛情をなくして冷たくなったかと言えば違う。
                    「……いろいろ考えた結果、僕はね、やっぱり僕のままであるべきかなと思うんだよ」
                    「え……? あ……チカ……っ!」
                     敏感なくびれをきゅうっと締め付けられるのと同時に、チカの中のスイッチというスイッチがいっぺんに入ったようだ。
                    「千宗に会ったら、徹底的に犯そうと思ったよ。二度と僕のもとを離れようなんて思わないように、首輪をつけるか鎖で縛り付けておくか。大丈夫、僕もきみ相手に痛いことはしない。絶対にしないよ。でも、三か月離れてよくわかったんだよ。僕のここをこんなに硬くさせるのはきみしかいないでしょう」
                     ぐっとうしろから押しつけられる熱の塊に、ぶるっと大きな震えが走る。
                    「千宗に会うまで、僕は誰かと交わるのが好きじゃなかったんだよ。ほんとうのことを言うと、ちゃんとしたつながりを持ったのはきみが初めてなのかも。他人の身体に触れて、挿れるってことがいとわしく思えた時期もあったんだけどね。きみと会ったことですべてが変わったんだよ。僕のここを一日中触らせたくなる。喉の奥まで咥えさせて、顔面に射精してやりたくなるよ。僕の精液でべたべたになったきみが涙ぐむところを想像したら、一日じゅう勃ちっぱなしだよ。ほら、こっち向いて」
                    「んぁ、ッ」
                     指を咥え込まされたまま身体の向きを変えられ、深い快感が突き抜ける。向かい合ったチカの顔はいままでに見たどれよりも熱っぽく、目には淫靡な輝きが灯っていた。
                     三か月離れていたことが、彼の本気に火を点けてしまったらしいと気づいたところで、いまさらどうなるのだろう。
                    「僕の濃いアレを飲みたいって言わせたいね、このやらしいくちびるで。なんでそんなに真っ赤に濡らしてるの。キスしてほしい? それとも、ここに挿れてほしい? ねえ千宗、僕はきみに触っていたいんだよ。こうしてずっとくっついていたい。朝から晩まで乳首を弄ってあげたいよ。仕事していても僕の感触を思い出すぐらいにしつこくいたぶってやる。なにをしていても僕が欲しくなるぐらいにしてやりたい。ああそうだ、今度はここの毛も剃ろうか」
                    「そ、るって……ッあぁ、やめろ、噛むなバカ……!」
                     ぞっとするほど淫猥な笑みを浮かべたチカが無防備な胸の尖りをきつく噛み潰し、痛みと快感に泣きじゃくった。ついさっきまでの穏やかさが嘘のような展開に、胸が激しく波打つ。
                    「覚えてる? 前にきみにぴったりなディルドーをつくってあげたでしょう。あれをね、持ち歩けるサイズにしたらどうかなと思うんだよ。もちろん、僕のサイズだからまともに咥え込んだら、とてもじゃないけど歩けないぐらいに感じると思うよ。でも、それがいいと思わない? スーツの前を濡らしてしまうぐらいに感じるきみが見てみたいよ……ねえ、想像してごらんよ。たとえば会社で会議に出ていても、きみのあそこには僕の形が入ってて、ちょっと身動きしただけで奥に突き刺さるんだよ。ほかのひとは真面目なきみがそんないやらしいことをしているなんてちっとも知らないわけだよ。秘密を知っているのは僕だけ。スーツを脱がせたらきみの身体がどうなってるか、知っているのは僕だけなんだよね。そうそう、せっかくだから乳首の感度をもっとよくしてあげる。綺麗な細工がされたねじ式のクリップがあるから、今度それをはめてみようよ。きみの乳首って弄っているうちに熱くなって、やわらかくなって……ちっちゃなぐみみたいになって噛みたくなるんだよね。噛まれるのが好きでしょう? 噛んであげるともっと濡れるもんね。お尻、振っちゃうぐらい好きなんでしょう。あ、もうほら、いまも揺れてるよ。ねえ、ほんとうに可愛い……きみってなんて感じやすくて可愛いんだろう。僕がはめたら、気持ちよくてそれだけで射精しちゃうんじゃないかな。でも、すぐにはいかせてあげない。ディルドーはあくまでもディルドーでしかないもんね。仕事の途中だろうがなんだろうが、最後には僕のここが欲しいって言わせたい。言ってごらん千宗、僕を」
                    「欲しいよ、……チカ、挿れてほしい、だめなんだ、もう我慢でき、ない……」
                     甘く蕩けてしまいそうな粘膜を何度も指で擦られ、限界だ。涙声でせがむと、尻がぐっと持ち上げられ、力の加減なしにチカが下から突き挿れてきた。
                    「く……――ッ!」
                    「あぁ……やっぱりきみの身体がいちばんいい……」
                     うっとりとした声で囁く男の太い肉棒が身体の奥までずぷりと貫き、少し動いただけで涙があふれ出すほどの快感が走り抜ける。
                     つながったあとのチカは、いつになく濃厚に腰を遣う。焦れったい動きでとろとろになった粘膜を擦り立てて南を泣かせ、張り出した亀頭で過敏すぎる入口を執拗に抉ることまでした。
                     熱く湿る襞はチカに淫らに吸い付き、まとわりつき、南自身をも身悶えさせる。
                     無意識に自分から腰を引き、息を吐いてゆっくりとチカの勃ちきったそれを再び飲み込んでいった。
                     大きくふくらんだ亀頭からくびれまでを収めるのが、つらい。だけど、この形にくり抜かれてしまいそうだと思えば思うほど、ずしりと重みのある深い官能が身体じゅうを包み込んでいく。ペニスははち切れそうなほどに硬く勃ち、チカを受けいれるたびにひくんひくんと先端を物欲しげに揺らして透明なしずくを肌にこぼした。チカがそれをいたずらっぽく弾いて、指に移ったしずくを舐め取る。
                    「……ぅん……っチカ……、いい、すごく……」
                    「いいよ、……僕もすごく感じる。きみのあそこが熱すぎてとけちゃいそうだよ。今度は外でしようか。公園でする? 海を見ながらでもいいよね。とにかく誰かが周りにいるところがいいな。恥ずかしがるきみにぴったりうしろからくっついてさ、腰を突き出してもらって……こんなふうにゆっくり挿れてあげるよ。夜なら大丈夫、男同士でくっついてても怪しくないよ。大きく動いたらばれちゃうから、少しだけ動かすのはどう? 僕はほら、鍛えているから我慢できるけど、きみはどうだろうね。ぐちゅぐちゅって音が周りに聞こえちゃうほど、お尻を振っちゃうかもね。そういう千宗もいつか絶対に見たいな。想像しただけで、可愛くて可愛くて頭がおかしくなりそうだよ。ねえ、僕のがきみの中で大きくなってるの、わかるでしょう? わかるよね?」
                     言っているそばから頭の中で妄想のかぎりを繰り広げているのだろう。チカが身体の位置を変えて、背後から抱え込んでくる。
                     それから、じりじりと埋め尽くすように挿入された。焦らすように先端を引っかからせ、深いところまでずくりと埋め込まれていくあいだ、頭の中は真っ白だった。
                     やわらかに潤む内側を熱い肉棒がせり上げていく感覚が久しぶりすぎて、どこまで感じるのか自分でも怖くなるほどだ。火が点いたような熱い吐息や、口の端からしたたり落ちる唾液がまるで犬みたいだった。
                     背後から突かれるのと同じタイミングで腰をうねらせてシーツをかきむしり、甘いすすり泣きがこぼれた。
                    「あ……ん……んぅ……」
                    「夜景を見ているきみのうしろから、たっぷり犯してあげるよ。そういう場合、やっぱり下着はもともと穿かないのがいいよね。途中で何度もいたずらしてあげられるし。海には電車で行こうよ。そうしたら、景色を見るふりしてきみのここを触ってあげられる。声を出したら勘づかれるから気をつけなきゃね。お望みならシャツの上から乳首も擦ってあげるよ。でも、やっぱりアンダーシャツは着せられないな。きみのここがつんと尖るところがわかるぐらいじゃないとね。そうやって散々焦らして……我慢できないってきみが泣いたら、うしろから抱きついてひくひくしっぱなしのここにねじ込んで……」
                     言葉が途切れた。チカがぐっと背中を丸め、精力的に突いてくることで声が止まらなくなってしまった。
                     むず痒いような痺れがそこから全身に広がり、気が狂いそうなほどよがってしまう。こうなったら、壁が薄いことなど気にしていられるか。
                    「い、く……――ッん、っく、もう、あっ、あぁっ」
                    「隣に聞こえるよ、千宗。ここはボロいんだから、壁が薄いんだよ。きみがいやらしくおねだりする声がアパートじゅうに響いちゃう」
                     くすくすと笑う声も熱に浮かされている。尻の狭間に重たい陰嚢を擦りつけるチカは太棹の根元まできつく咥え込ませ、南が羞恥を押し殺してせがむまで、浅い挿入できつい締まりを楽しんでいた。
                     狭い部屋はふたりの熱っぽい吐息でむせ返るようだった。煤けた天井も、ざらざらした壁も、チカのマンションとは違いすぎるけれど、抱きすくめてくる腕の強さは以前となにも変わらない。
                     尻を高々と抱え上げられる姿勢で、胸の尖りがシーツに擦れてひりひりする。そこに自然と指が伸びたのをチカも見逃さなかったらしい。いきなり手を振り払われたと思ったら、力強くリズミカルに揉み込まれ、蜜が漏れる感じがひときわ強くなっていく。
                    「もう、いきそう?」
                    「ん、ぅ、ん」
                     せっぱ詰まった感じで頷くと、つながったままチカが正面から覆い被さってきた。
                    「いくときの顔が見たい。僕の顔を見ながらいって。たくさん出してごらん」
                     間近で笑う端正な男の額が汗ばんでいるのを見ると、言葉にできないいとおしさが胸に満ちていく。
                     やっぱり、チカはチカだ。
                     言葉数が減ったかと思ったのはつかの間だったし、どうあってもSMという性癖を諦めることはできないのだろう。そのことに、どこかほっとしてしまう自分がおかしいのかもしれないけれど、こうでなきゃチカじゃない。
                     胸の裡が伝わったのだろうか。眉を跳ね上げてチカが微笑み、ひとつ息をついたあと、大きく揺すり立ててきた。
                    「だめだ、……ってそれ以上、もう、チカ、あ、あぁっ……んー……っ!」
                    「千宗、愛してる。きみさえいれば、僕はなにもいらないんだよ。ほんとうだよ」
                    「あ……ぁぁ……」
                     熱のこもる奥を突き上げられ、すすり泣く南のそこからびゅくっと白濁した精液が飛び散った。痛いぐらいに張りつめた下肢がチカの手の中でひくひくと引きつれてしなる。すぐにチカも何度か激しく腰を押し込み、低い呻きを漏らしながらくちづけてくる。夢中で舌を搦めると、甘く淫猥に吸われて、意識までどろどろに蕩けていく。
                    「ん――ふ……」
                     熱くしたたる感覚を身体の奥に感じて無意識に締め付けると、尻の奥深くまでねじ込まれたチカの巨根がびくんと反応し、敏感になりすぎている肉襞を擦り、たっぷりとした精液を吐き出しながらゆるやかに動く。
                     三か月ぶりだからか、思いのほかチカの射精は長く、息も荒い。飽きたらずに何度もくちづけ、汗で濡れた頬や額にもくちびるが押し当てられた。ちゅっ、と可愛らしい音がくすぐったくて首を竦め、南も彼の首に手を回して同じことをしてやった。
                    「……すごく熱くて湿ってる、千宗の中、気持ちいいよ」
                    「おまえの、せいだろ……途中からいきなり激しくするから……」
                     熱い額をぶつけて笑い合った。狭い部屋が幸いして、布団が必要ないほどの暖かさだ。
                     しっとりと汗ばんだ肌を押しつけ合っていると、胸に巣くっていた寂しさはゆっくりととけていき、代わりに安堵と、いとおしさと、終わらない渇きがやってくる。
                     濡れそぼる南の中が荒々しい行為の余韻でひくつき続けるのを楽しむみたいに、チカは呼吸を整えながらゆるゆると出し挿れしていた。彼ほどの巨根は一度達したところで、そう簡単に硬さを失わない。多少やわらかくなっても、返ってリアルな肉感に南が胸を波立たせると、チカが微笑み、残滓を絡ませながらぬぷりと押し込んでくる。
                     ちょっとした動きひとつで、とろっとした感触が腿のあたりまで伝ってくるのがなんとも恥ずかしい。男の自分が同性のチカに中で出されるという事実は、何度体験しても耳が赤らむほどの羞恥に襲われるのだ。
                    「今日はこのまま朝までしちゃおうかなぁ。だって、クリスマスだもんね。サンタさんからのプレゼントを味わい尽くさなきゃ」
                    「プレゼントって……俺のことか」
                    「そうだよ。きみの身体、きみの顔、声、性格。きみの存在そのものが、僕の人生における最大のプレゼントだよ」
                     相変わらずとち狂ったことを真面目に言うチカの正気を疑っていたら、今日という日はなかったように思う。そもそも、あのバー・鍵で運命的な再会を果たした直後に、彼の驚くべき性癖を知ったのだから、もしも自分に勇気というものがなかったらとっくに逃げ出していたはずだ。
                     ――勇気、か。そうだ、もしも神さまがほんとうにいるとしたら、俺がもらったプレゼントは勇気かもしれない。ずば抜けた容姿と、突飛な性癖を持っているチカを愛するための勇気だ。
                     ふいに笑うと、チカが「なぁに」と耳たぶを噛んでくる。「重いって」と言いながらも、抱き締められるしあわせを感じて南も笑顔だ。
                    「……俺はたぶん、どう頑張ってもおまえの望むような犬にはなれないけど、どんなことがあってもおまえのそばを離れないって誓うよ。おまえを愛することで、俺は強くなれるような気がするんだ。チカ、俺はもう絶対に迷わない。おまえのこの先になにがあろうと全力で守ってやる」
                     確かな力がこもる言葉に、チカがはっと目を瞠る。
                     思えば、自分の気持ちをきちんと打ち明けたことはいままでになかったんじゃないだろうか。それからふいに、とろけるような笑顔を見せて、チカが抱きついてきた。
                    「千宗が好きだよ。こころから大好きだよ。僕がどんなに嬉しいかわかる? これから先、きみとしたいことがたくさんあるんだ。でも、嬉しくて嬉しくてなにをしたらいいかわからないよ」
                     無邪気な言葉に、声をあげて笑ってしまった。
                     これが、チカのよさだ。どこか憎めない純粋なこころが残っているからこそ、SMという極まった性癖を持っていても惹かれ続けてしまうのだ。そうとわかっているなら、まだ熱の引かない身体を押しつけて微笑めばいい。
                    「じゃ、俺がなにをすればいいか、教えてやろうか」
                    「教えてよ。きみの言うことなら、どんなことでも僕はしあわせ」
                     甘く囁くくちびるは色っぽく、キスできそうな近さにある。
                    「それじゃまず、俺にキスしてくれ」
                     低く掠れた声にチカが笑いながら頷き、顔を近づけてきた。

                     

                     クリスマスの朝が訪れる頃には、腰ががくがくしていた。
                    「あー、まともに歩ける、かな……」
                     壁にすがりながらよろよろと立ち上がるうしろで、チカが喉奥で笑いながら布団を畳んでいる。
                    「お腹空いちゃったね。共同台所でなにかつくろうか。簡単だけど、おみそ汁とごはんとお漬け物でどうかな。あ、たまごもあるよ」
                    「そうだな、うん」
                     三畳一間の窓をからりと開けると、冬のまぶしい陽射しがきらきらと降り注ぐ。神田川も朝陽に美しく照らされ、身体が引き締まるような冷たい風が気持ちいい。
                     しあわせというのは、まさしくこんなことを言うのだろう。清貧な暮らしは気持ちまでも引き締めるようだ。たとえ貧しい暮らしでも、チカとふたりならばどこででもやっていけそうだ。
                     だが、ぐうっと鳴る腹の音が清い決心を鈍らせる。いましがた、粗食は精神を美しく鍛えるものだと考えたばかりだが、眩暈がしそうな空腹には勝てない。
                    「漬け物とたまごもいいけど、もうちょっとガツンと力の入るものを食べないか」
                    「ガツンと?」
                     言うなり、チカの目がきらっと輝いたように見えたのはけっして気のせいじゃない。
                     即座に立ち上がって携帯電話でどこかに短い電話をしたあと、「僕も、そう思う」とこくこく頷くチカが昨日の銭湯で使ったタオルを取り出し、細くよじり合わせる。それを見たら、無意識に顔が強張り、後ずさってしまってしまうのも致し方ないことだろう。
                    「なにすんだ、おまえ……またなんかやろうってんじゃ……」
                    「ううん、さすがに僕もちょっといますぐはむりだよ。そうだな、きみのご所望とあればお昼ぐらいにはなんとか復活……」
                    「いやいやいや今日一日ぐらい休め。な? いくらなんでも腰をおかしくするだろ」
                     慌てて押しとどめた隙に、くるりとタオルが目のあたりに巻かれてぎょっとしてしまった。
                    「チカ! おい!」
                    「大丈夫、安心して。きみに変なことは絶対にしないって誓う」
                     彼の名前こそ、「誓」の文字が入っているのだが、こういう点においてはまったくもって信じられない。
                     それでも、チカがやさしく手を掴んでくれたことでなんとか落ち着きを取り戻し、彼に従うことにした。
                    「危ないから、気をつけて階段を下りてね」
                    「どこに行くん、だ……うわっ、ちょっと待て、ここの階段、急で怖いって」
                     タオルで目隠しされている状態ではボロアパートの階段がとんでもなく幅の狭いものに思えて、一段降りるのだけでも腰が引ける。
                     チカにリードされ、冷え込む外に出た。すぐにもキィッとタイヤの軋む音が響き、「乗って乗って」と車に押し込まれた。
                     しっとりしたシートは革でできているらしい。覚えのある感触を指に残し、隣に座っているだろうチカを振り向いたが、当然なにも見えない。
                    「お、おい……これ、もしかして昨日も乗ったリムジンじゃ」
                    「ごめん、いまは話している暇がないんだ。とにかく着替えよう。シャツ脱いで、こっちを着て。ネクタイは合うかな、……うん、ぴったりだ。やっぱりきみの男らしい顔にはネイビーがよく似合うよね。次はスラックス。どうするセンちゃん、自分で脱ぐ?」
                    「脱ぐ脱ぐ。そんぐらい自分で穿くったら穿く」
                     チカの中にもしも速度計があったとしたら、恐ろしい勢いでメーターが上がっているはずだ。
                     南にはまったく追いつかないほどのスピードでジーンズを引っぱがし、スラックスを押しつけてきたあとは、チカ自身も広々とした車内で着替え出す。
                     とはいっても、こっちは未だなにも見えない状態だ。
                    「最後はネクタイを締めて、僕とおそろいのカフリンクをつけて……はい、できあがり」
                     頬に軽くくちびるが触れたと思ったら、タイミングよく車が停まった。
                    「まだだよ、まだもうちょっとだけ我慢してね」
                     チカに手を引っ張られ、よろけながら車を降りた。なにやら靴の裏にふかふかしたものを感じる。厚手の絨毯の上を歩いているんだろうか。それから、どこか狭い場所に押し込まれた。どうやらエレベーターに乗っているらしく、身体が浮き上がる感覚がする。
                    「……はい、どうぞ。ゆっくり前に進んで……そう、そのへんで止まろうか」
                     言われたとおり、おぼつかない足取りで前に進み、「チカ?」と首を傾げた。
                    「ここ、どこなんだ……」
                    「いま教えてあげるよ」
                     視界を覆っていたタオルがはらりとはずされ、眼前に広がる光景に思わず絶句してしまった。
                    「な、なんだ、ここ……チカ、おまえ……どういうことなんだ!」
                     目の前の大きな窓の向こうにはくっきりとそびえ立つ六本木ヒルズに多くの森ビル、そして数えきれないほどの大小のビルに家々。寺も見えるし、広々とした庭園の緑も見える。
                    「あっちには富士山が見えるよ。向こうは秋葉原。うしろのほうに行くと、お台場の景色が見えるから、あとで一緒に見よう。だけどいまはほら、朝食の時間」
                     朝の爽やかな光の中で、すっきりしたチャコールグレイのスーツに身を包んだチカがさっと右手を挙げると、クラリネットのなんとも美しいのびやかな音色が聞こえてくる。
                     はっと振り向けば、八人のクラリネット奏者が、朝に似合うしらべを奏で始めたところだった。
                    「モーツァルトのクラリネット協奏曲が、僕はとくに好きでね。ドイツに留学していた頃もよく聴いていたよ。この曲を聴きながらクリスマスの朝食をきみと食べられるなんて、夢のようだよ、ほんとうに」
                     ――俺のほうが悪い夢を見ているんじゃないのか。
                     真っ青な南の手を取り、チカは迫力のある眺望が楽しめる窓際にセッティングしたテーブルへと誘う。白いクロスには染みひとつなく、銀の一輪挿しに生けられた深紅の薔薇も鮮やかだ。
                    「それでは、朝食をご用意させていただきます」
                     そばに控えていた黒スーツの男が深々と一礼する。丁寧な物腰は昨日今日の付け焼き刃ではなく、長いことどこかの老舗レストランで鍛えてきたことを窺わせるものだ。
                    「チカ、いったいこれはどういうことなんだ。こんなところを独占していいのか?」
                    「いいんだよ。だって今日はきみと僕の新しい関係を始める日でもあるんだよ。とびきり特別な日には、東京全体を見下ろす場所がふさわしいと思うんだよ。ねえ、センちゃん」
                     ふっくらとしたくちびるに抜群の色気を乗せて、頭のてっぺんから爪先までびしりと決めたチカが甘やかに笑う。
                    「『ティファニーで朝食を』って映画があったけど、僕らの場合は」
                    「『東京タワーで朝食を』か……」
                     呆然と呟き、南は東京の広い空を視界に映した。
                     チカのスケールが大きいことはわかっていたつもりなのだが、まだまだ自分も修行が足りない。
                     まさか、クリスマスの朝食を東京タワーで食べることになろうとは。
                     しかもうっとりするようなクラリネットのしらべをバックミュージックに、どこかの一流ホテルから引っ張ってきたのだろう名シェフが腕をふるうふんわりオムレツにこんがり焼けたトースト、新鮮なサラダにとろりと熱いスープと、至れり尽くせりだ。
                    「きみが清貧を望むなら、いますぐにもあのアパートに戻るよ。ほんとうに。でもね、とりあえずはこの朝食を食べてからにしよう。やっぱり、朝はおいしいごはんで始めたいよね。そのあとはいったん元のマンションに戻って、お風呂に入りたいな。薔薇の花びらをたくさん浮かべて、きみと洗いっこがしたい。泡だらけになって綺麗になったらふかふかしたタオルで身体を拭いてあげる。ああ、そうしたらやっぱりあのベッドでちょっと寝ていこうかな……あの天蓋付きベッド、きみも好きだって言ってたもんね? 寝るっていっても、ちょっとだけだから。ちゃんと起きて、あのアパートに戻るから。あ、そういえばクリスマスの今夜はゼルダで大がかりなショウがあるんだよね。どうするセンちゃん、興味があるならちょっとだけ見てみる? 今夜は確か真柴さんの特別公開調教で、橘くんも出るはずだよ。いやもちろんきみにショウに出ろなんて言わないし、僕だってステージにはあがらないよ。ほんとうだって、約束する」
                     そわそわした口調で朝からシャンパンのボトルを開けているチカに、呆れて言葉も出ない。
                     やっぱりゼルダの魅力が忘れられないのか、アパートに戻る気もまったくないだろと言う代わりに、ふつふつと笑いがこみ上げてきてどうにも我慢できなかった。
                     東京タワーを貸し切りにするなんて、チカというのはほんとうにどうなっているのだろう。しかもこの高さでは火気厳禁のはずなのに、シェフはすました顔でできたてのオムレツを運んでくる。
                     そういえば、アパートを出る前どこかに電話をかけていたっけ。あれはきっと、この指示を出すためだったのだろう。だが、あそこで自分が「ガツンとした食事をしたい」と言わなければ、せっかくの計画もふいになってしまったはずだ。
                     ――ほかの奴だったらそうかもしれないけれど。でも、チカにかぎっては絶対にぬかりないんだよな。どんなときでも俺を喜ばせようとしてくれている。奴隷がいても、SMの世界から離れられなくても、俺をいちばんに考えてくれる男ならそれでいいじゃないか。
                    「負けたよ、おまえには」
                     大笑いする南にチカも楽しげに笑い、きめ細やかな泡をたてたシャンパングラスを傾けてきた。
                    「きみの瞳に乾杯」
                    「ぶっ飛ばすぞ」
                     そこでまたふたりして吹き出した。笑っても笑ってもしあわせな気分があふれて、胸を満たしていく。以前よりもチカと深く結びついた結末を、もしも今夜会えるなら真柴に話してやりたいと思う。きっと、うんざりした顔をした次には、堪えきれずに一緒になって笑い出すはずだ。その場に、橘もいると楽しいんじゃないだろうか。彼にも久しぶりに会って、真柴との暮らしがどんなものか聞いてみたい。落ち込んでいるんだったら慰めてやるし、めいっぱい励ましてもやる。こんな素敵な朝にはどんなこともうまくいくように思えて、調子がいいよなと可笑しくて仕方がない。いざその場になったら、チカも真柴も主人としての顔を素早く取り戻すのかもしれないが、それはそれ、いまはいまだ。
                     リムジンに乗って東京タワーに乗り付けた銀色の髪の男は夜になったら魔法がとけて、髪の色はそのままに普通の男になった。そして、神田川のそばに建つボロアパートで情熱的に愛し合い、夜が明けたらまたもや薔薇とシャンパンが待つ光り輝く世界に戻ってきた。もちろん、そのあいだ片時も南の手を離すことなく。『神田川』の歌詞を地でいくならば、この場合はやはり、チカの底なしのやさしさが怖いと言うべきところだが、そこもまた惹かれるゆえんなのだから、もう文句はない。魔法がとけたのか、それともまだかかっている最中なのか判別がつかないけれど、この際どうだって構わないではないか。なにをしたって、どうしたって離れられないのだ。何度喧嘩をしても、最後には磁石のSとNのようにぴたりと近づくその答えは、互いに微笑む目のの中にある。チカにとっては南がすべて、南にとってはチカがすべてであって、たったいま、世界はふたりのためにあるのだ。


                    世界はセンちゃんでできている

                    0

                       うんざりするけれど、じわりと肌を潤す蒸し暑さがどことなく深い官能を感じさせる。
                       日中からまったく気温が下がらない都心特有の夏の夜に、南千宗は額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、赤く輝く東京タワーを目指して六本木の坂をゆっくりとのぼっていた。
                       今年の暑さといったら凄まじいのひと言に尽きる。夜の六時過ぎ、陽が沈んでもまだほのかに明るい空の下、行き交うひとびとは皆、涼しげな格好をしているが、なかには自分と同じようにネクタイをきっちり締めるサラリーマンも多く、一様に汗を滲ませている。むろん、南も例外ではない。
                      「あちー……」
                       口を開けば、それしか出ない。薄手のサマーウールでできたジャケットを右手に提げ、ワイシャツの袖も大きく肘までまくりあげているが、背中は汗でぐっしょりだ。
                       週末を明日に控えた金曜の晩、めずらしく早めに仕事が終わったのでいそいそと家路についているというわけだ。早いところ坂をのぼりきって、マンションに帰りたい。
                       ――まずはビールかな。いやそれともやっぱり風呂が先かな。
                       こんなとき、誰でも想像することを楽しく思い浮かべていると、スラックスの尻ポケットに突っ込んである携帯電話が鳴り出す。
                      「もしもし」
                       少し先で白っぽい光を放つ、夏仕様の東京タワーを見上げながら電話に出ると、『センちゃん?』と張りのある甘い声が聞こえてきた。
                      『いま、どこ? まだ会社かな』
                      「いや、家に帰る途中。あと五分ほどで着くよ」
                      『ほんとう? じゃ、もうすぐセンちゃんの顔が見られるんだね、嬉しいな』
                       信号待ちをしている最中に聞こえてきた能天気な言葉に吹き出してしまい、隣に立つ女性のふたり連れが可笑しそうな顔でこちらを見ている。
                      「なに言ってんだ。チカは相変わらずだよな。そんなに長く離れてたわけじゃないだろ」
                      『センちゃんこそなに言ってんの。僕はね、お昼にきみを送り出してからいまのいままで、ずっときみのことだけを考えて過ごしてたんだよ。ごはんを食べているあいだだって、部屋を掃除しているあいだだって、ベッドのシーツを替えているあいだだって、僕のこころに住んでいるのはきみだけ』
                      「おまえなぁ……」
                       幼い頃から柔道バカと呼ばれ、高校では主将まで務めた無骨な自分に対して、ここまで言えるのは世界広しといえどひとりしかいないのではないだろうか。
                      「暑くなるとチカの言葉も激しくなるんだよなぁ……」
                      『なあに、なんか言った?』
                       ぽそりとした呟きは通りを走り抜ける車のクラクションでかき消されたと思ったが、羽柴誓史、通称チカの耳は侮れないようだ。しっかりと聞き返されてため息をついたことに気づいたかどうだか知らないが、『ふふ』と楽しげな笑い声が鼓膜に忍び込んでくる。
                      『きみってひとは、自分がどれだけ魅力ある男だかわかっていないでしょう。いま、センちゃんが考えていることを当ててみようか? ――柔道部出身の男臭い俺のどこにチカは惚れてるんだろう、華奢というのでもないし、とくべつ綺麗だってわけでもないのに……なんてことを考えてるんじゃないの』
                      「そのとおり。いまさらおまえの気持ちを疑うわけじゃないけどさ、どうして俺なんかに惚れたのか不思議でしょうがないよ」
                       行き交うひとが振り返るような美形でなし、色気もないことは自分がいちばんよく知っている。だから、チカの言葉に怒るはずもなく、よくわかっているじゃないかと吹き出してしまうぐらいだ。
                       すると、電話の向こうのチカは感に堪えぬふうの吐息を漏らし、『あのね……』とより深みを増した声で囁く。
                      『僕が惚れているのは、まさにその正直なところなんだよ。男らしく実直で、誰よりも度量の広いセンちゃんのあそこがどんなに熱く締まるか、世界中のひとに大声で言いふらしたいぐらいだよ』
                      「お、おい、チカ」
                       今夜も華々しいスタートを切ったチカはぎょっとする南の制止も振り切って、いきなり核心に切り込んできた。
                      『早く帰っておいで、千宗。千宗の乳首に早く触りたい。たくさん舐めて、弄って、きみを狂わせたい』
                       真っ青になるべきか、真っ赤になるべきか迷っている暇さえ与えてもらえず、南は無表情になってしまう。
                       ――狂ってるのはおまえのほうだ、チカ。
                       携帯電話から漏れ出る声が周囲に聞こえることはないだろうが、チカの囁きはあまりに強すぎる。ついついうつむいてしまうのは、坂をのぼっているせいだけではないはずだ。
                      『シーツを替えているときにね、眠っているきみにいたずらしてあげたことを思い出したよ。ねえ、千宗。最近のきみって寝ぼけている最中でもちゃんと感じるんだよね』
                      「寝ぼけてる最中って、なんだ、それ……」
                      『いやほら、起きているあいだのお楽しみはお楽しみだけど、きみの寝顔を見ているとそれはそれで我慢できないんだよね。だから、たまに寝ているきみのあそこを弄ってあげることがあるんだよ。そうすると――ちょっとね、最近、反応がよくて、すぐに先走りがあふれてくるんだよね、あれってどうなんだろう、やっぱり夢の中でも気持ちよくなってるのかな。そのときの相手って僕だよね? 間違ってもほかの誰かじゃないよね?もちろん、そんなことにならないよう、僕は誠心誠意この先もきみを愛し続ける自信があるけどさ。ああ、その話じゃなくていまはきみのお尻を可愛がってあげているときの話だっけ。ごめんね、僕はどうも脱線しちゃうことが多くてだめなんだよね』
                      「……なあ、あの、チカ……」
                      『センちゃんだけに告白するね。いつもだったら指だけで我慢するんだけど、今日はちょっとだけ挿れちゃいました』
                      「い……っ!」
                       扇情的な言葉が耳に飛び込んできた拍子に身体が大きくよろけ、つんのめってしまった。
                       なにを挿れたのか、聞きたいのは山々だが、そんなことを言えば電話の向こうの声はますます熱を帯びてどうしようもなくなる。
                       熱い。なんだか頭の中が熱くて、ぐずぐずととけてしまいそうだ。
                       いまや全身をだくだくと流れる汗はけっして暑さのためだけではなく、九割がたがチカのせいの気がする。
                      『ごめんね、でもほんの先っぽしか挿れてません。意識のないきみを犯すのはやっぱり胸が痛くて……でも、ちょっといけない気分になったかな。だって僕が挿れたらきみ、寝ぼけていても可愛い声を出してすがりついてきてくれて、ひくひくさせるあそこで締め付けてくれちゃうもんだから僕としても乳首を弄ってあげたくてキスしたくて我慢できなくてだけど奥まで挿れたら怒られるかなとか泣かせるかなとか思ったんだけどガチガチになっているきみのペニスを扱いたらたっぷり濡れるから』
                      「い――いい加減にしろ、それ以上言ったら俺は会社に戻るぞ!」
                       ずらずらと並べ立てられる露骨な言葉に、ついに堪忍袋の緒が切れた。
                       歩道の真ん中で立ち止まり、携帯電話に向かって怒鳴る南の両際を気味悪そうな顔でひとびとが通りすぎていくが、気にしていられるか。
                       眠っているあいだに、なんということをしでかしてくれたのか。自分でも覚えていない痴態を晒していたのかと思うと恥ずかしくて恥ずかしくて、涙が出そうだ。
                       あまたの店がひしめく六本木でその名を広く轟かせる、SMの老舗クラブ・ゼルダのトッププレイヤーであるチカを頭ごなしに怒鳴りつけたところで、羞恥心が収まるわけではなし。
                       はあはあと息を切らす南にさしものチカもまずいと思ったのか、焦った様子だ。
                      『ごめん、こういうことは家に戻ってきてから、だよね。ごめんごめん、街中であそこを勃たせる千宗も可愛いんじゃないかと思ったらなんか頭がおかしくなっちゃって』
                      「おまえがおかしいのはずっと前からだ……」
                       唸りながら顔を赤らめ、足を速めた。このまま、ふたりで暮らすマンションにまっすぐ帰るのは危険かもしれないが、だからといってほかに行くあてもない。
                       それに、この暑さも限界だ。喉はからからに渇いているし、早く風呂に入って汗を流したい。
                      「家の中だろうと外だろうと、そういう……やらしいことはあんまり言うなって」
                      『わかったわかった、もう言わない。だから早く帰ってきて。すぐに帰ってこないともっといやらしいこと言うよ。ねえいまどこ? どのへん?』
                       適当な言葉を返すチカの声がそわそわしているのがわかると、どうにも本腰で怒れなくなってしまうのだから、自分というのもたいがい甘っちょろい。
                      「もうすぐ先にマンションが見えてきた。ビール、冷えてるか」
                      『冷えてるよ。グラスも冷やしておいた。ねえ、もうマンションの下?窓からのぞいたらきみが見えるかな』
                      「どうかな」
                       気が狂ったような言葉を臆面なく振りまく男だが、最後の一歩で突き放せないのは、こんなふうに純粋な愛情を寄せてくれる面があるからだ。
                       ――それがなかったらおまえを嫌いになるかといったら、また違う。でも、SMという性癖を仕事に生かすチカと、スポーツ誌の編集者という俺とじゃ考え方が大きく違うんだ。その違いがこの先、大きな悩みの種にならないといいけど。
                       上の空で考え、豪奢なマンションのエントランスに足を踏み入れた。戸数は少ないが入口には二十四時間態勢で警備員が詰め、住民は専用のIDカードを提示し、外部からの人間も全員セキュリティチェックを受けるという物々しさだ。
                       財布に入れてあるIDカードを警備員に見せたあと、専用の鍵を使ってエレベーターに乗り込み、目的の階を目指す。普通、エレベーターといったら階数のボタンを押して扉を閉じるだけだと思っていたが、政財界の重鎮や芸能人が住んでいると噂されるマンションだけあって、さまざまな点で秘密と安全を守る造りになっているのが特徴的だ。
                       ――政財界のお偉いさんに混じって、SMプレイヤーが住んでいるっていうのもおかしな話だよな。
                       ついさっきのとんでもないやり取りも忘れて南は笑い、笑顔のままで十二階に下りた。
                       しんと静まりかえるエレベーターフロアから廊下をのぞくと、ずっと離れた先で扉が開き、銀色の頭がちらりと見えている。
                       チカだ。自分が帰ってくるのを待ちきれず、出迎えてくれたらしい。
                      「おかえり、センちゃん」
                      「ただいま、チカ」
                       苦笑いしながら、両手を差し出してにこにことしている男に鞄を預けた。自分の帰りをこんなにも待ちわびている男を、どうして本気で怒れるのだろう。
                       根元から綺麗に染まった銀色のベリーショートも、右耳できらめく一カラットのダイヤのピアスも、チカならしっくりはまる。
                       その派手ないでたちを見るにつけ、――ほんとうになんで俺みたいな平凡な男を好きになったんだか、と可笑しくなるのだ。チカなら、けっして目をそらすことのできない強い磁力があるから、自分ばかりかほかの人間がこぞって惹かれるのもよくわかるのだが。
                      「外、暑かったでしょう。まずはビール呑む? お風呂も沸いてるよ」
                      「んー、そうだな、そうするか。風呂の先にやっぱ一杯呑もうかな」
                       紺色の真面目なネクタイをゆるめる南の逞しい身体をうっとりした目つきで眺めるチカは、さらりとしたガーゼのシャツに砂色の麻のパンツという洒落た組み合わせだ。切れ長の目に笑みを滲ませ、南の一挙一動を追っている。
                      「汗ばんだセンちゃんの顔ってほんとうにいいよね。なんでそんなに男らしいんだろう……」
                      「おい、帰ってきたばっかなんだからだめだって」
                      「わかってる。いまはまだしない。明日は週末だし、時間はたっぷりあるんだもんね」
                       気恥ずかしい台詞に顔を赤らめたものの、チカもひとまずいまのところは激しい展開に進むつもりがないらしい。手をつないで、リビングに引っ張っられた。
                       鬱陶しい暑さの広がる外と違い、ほどよく冷えた室内に南はほっとひと息つき、ふかふかした革張りのソファに腰を下ろした。
                      「ちょっと待ってて。いま支度するから」
                       そう言ってキッチンに消えていくチカの背中に、「悪いな」と言い添えてぐっと伸びをする。
                      「あー、疲れた……家に帰ってくるとほっとするよ」
                      「今日も一日、ほんとうにお疲れさまでした。ソラマメもゆでてみたから、食べて」
                      「おっ、旨そう。いただきます」
                       窓の外にはきらきら輝く東京タワーの胴体が見えるという絶好のロケーションで、チカが運んできてくれたビールを呑めば、文句なしにしあわせだ。渇いた喉に、キンキンに冷やしたビールが染み渡っていく。
                       泡をくちびるにつけて、「旨い」と顔をほころばせると、床に座ったチカがかいがいしく酌をしてくれる。
                       漆塗りのちいさな盆に乗った瓶ビールを互いに傾け、うだるような夏の宵を過ごすのもなかなか楽しい。
                       つまみは青々しいソラマメだ。さっとゆでて塩だけで味付けしたソラマメは、口の中で爽やかにとけ崩れる。
                      「チカも呑めよ」
                      「ん。じゃ、一杯いただきます」
                       江戸切り子の美しいグラスの縁ぎりぎりまでビールをそそぎ、遅まきながら乾杯をした。
                       チカが深い紅色のグラス、南のは濃い藍色のグラスだ。触ると指が切れそうな深い彫り込みがほどこされたペアグラスは、この夏のボーナスで奮発して買ったものだ。
                       チカの美的感覚がすぐれていることは、その容姿を見ればよくわかる。一介のサラリーマンである自分にはチカと張り合うほどの力はないけれど、それでもせっかくのボーナスだ。なにか綺麗なものを買って喜ばせてやりたいと思っていたところへ、他部署がつくっている情報誌でこのグラスが紹介されているのを見かけたのだった。
                      「これ、やっぱりいいよね。ビールってジョッキよりもこういうちいさなグラスで呑むほうがずっとおいしい」
                      「でも、一気にいけちゃうから、つい呑みすぎるよな」
                      「そうそう、そうだよね」
                       笑い合う声が高い天井に跳ね返る。ところどころに大ぶりの花弁が美しい百合が飾られている広々としたリビングは、四十畳以上もあるだろうか。ふたりで過ごすには広すぎる部屋だが、足下に寄り添うチカを見ていると、そんなこともまったく気にならない。銀色の髪からして、毛並みがよく、希少価値の高い獣を飼っているような気分だ。
                       ――そいつに食われているのは、俺のほうなんだけどな。
                       内心可笑しく思いながら細かな泡をたてるビールを飲み干し、南は請われるままに今日一日のできごとを話してやった。
                       ゴールデンウィーク進行のあとにくるお盆進行も無事終え、いまは少しのんびりしている時期だ。一方、チカはクラブ・ゼルダでの勤めがしばらく休みらしい。ここしばらく立て続けにショウを行ったため、『少し休養するよ』と言っていた。
                       多くの奴隷をさまざまな言葉で嬲ったあげくに、パドルやその他諸々の道具でいたぶるチカの仕事は、確かに疲れるものなのだろう。南にはまったく理解できないけれど、奴隷の快感と苦痛と羞恥心を鍛えるプレイヤーは肉体面だけでなく、彼らのメンタル面を管理することも必要とされるとのことだ。
                       それにも増して、多くの客を前にして行うショウはなにかと気を遣うため、そう頻繁にはできないものだと言う。
                      『万が一集中力を欠いて、奴隷に怪我をさせてしまったら大変だしね。高度なショウを続けていくためには適度な休養が大事なんだよ』
                       以前、なにかの折りにそんなことをほざいていたチカに、南は首をひねり、『でもよ』と返したものだ。
                      『怪我までいかなくても、奴隷だったら、ちょっと痛いぐらいのほうが感じるんじゃないのか。だっておまえの奴隷って……その、……なんていうか、……マゾ、だろ』
                      『そうだよ。僕が見ているのはゼルダでもえり抜きのマゾヒスティックばかりだって自信があるね。それはさておき、確信を持って与える痛みと、そうじゃない痛みというのがあるんだよ。前者は奴隷の服従心を高めるために必要な要素だけど、後者は十分気をつけないといけない。相手は僕らを信頼したうえで、なにもかもさらけ出してくれるわけでしょう。こころばかりか、素肌まで見せてくれる相手に力加減を間違ったら、大事故につながるんだよ』
                       そのことについては、なにを言われているかわからないでもないから、そうだよな、と頷いた。
                       チカが言っているのは、SMという特殊な世界のことだけじゃない。互いに信頼して肌を重ねる時間に悪意がひそんでいたら大変なことになるのは、普通のセックスでも同じだ。
                       とはいえ、プレイヤーとしての心情を芯から理解できるわけでもないので、ショウが休みでチカが家にいてくれるのは嬉しいという程度に留めておくのが無難だろう。
                       ソラマメをつまみつつ、大瓶のビールを一本空けた頃にはほろ酔い気分になっていた。
                      「それじゃ、風呂に入るかな。どうするチカ、一緒に入るか」
                      「えっ、ほんと? センちゃんがそんなこと言うなんてめずらしい。なにかいいことあったの?」
                       酔った勢いの言葉に、チカが嬉しそうに飛びついてくる。
                       日頃、照れ屋の自分がこんなことを言うのも確かにめずらしいのかもしれない。
                       愛情過多のチカと一緒に暮らしてもうずいぶん経つが、男同士だということや、もとは同級生だということを思い返すと照れくささが勝ってしまい、なかなかチカの希望どおりに甘えることができないのだ。
                       だが、酒が入ったらべつだ。理性がうまいことショートしたときぐらい、自分らしくもない言葉ですんなり寄りかかってみるのもひとつなんじゃないだろうか。
                      「でもね、その前にセンちゃんに見せたいものがあるんだよ。こっちに来て」
                      「なんだ?」
                       手を引かれ、リビングを出た南の前を白いシャツがすたすたと歩いていく。
                       数年前にチカが原油取引の儲けでぽんと買ったというマンションは都心にありながらも、驚くほど広い。意識して部屋数をかぞえたことはないが、リビングにキッチン、マスターベッドルームのほかにゲスト用の部屋やバスルームなどをあわせたら、七、八室あるんじゃないだろうか。たぶん、一度も足を踏み入れたことのない部屋だってあるに違いない。
                       そんなことを考えながらふらふらとチカのあとをついていくと、ゆったりした白シャツは一枚の扉の前でぴたりと足を止めた。
                      「どうした、チカ。この部屋になんか……」
                       そこで言葉が尻すぼみになったのは、振り向いたチカの微笑みによからぬものを感じ取ったからだ。
                      「今日一日、きみがいないあいだに改造してみたんだよ」
                      「改造ってなにを……」
                       ごくりと息を呑んでしまうのは、こんな展開をもう何度も体験しているせいだ。
                       ――ヤバイ。チカがこういう顔をしているときは、かならずとんでもない状況が用意されているんだ。
                       そう思ってもぎっちりと掴まれた手は動かないし、空きっ腹に呑んだせいで身体もふらつき、動きが鈍い。
                       室内だけでなく、廊下も冷房が効いている超一級のマンションで脂汗を流す南に向かって、さも楽しげな顔でチカが扉を大きく開いた。
                      「どうぞ、センちゃん」
                       おそるおそるのぞき込んだ部屋に、すうっと血の気が引いていく。
                       たぶん、もとはゲスト用の部屋だったのだろう。だが、こんな装飾が普通のマンションにあっていいのだろうか。
                       ――いや、ダメだろ。絶対にないだろ、こんなの……。
                       だらだらと冷や汗が背中をしたたり落ちる南の視界に映るのは、剥き出しのコンクリ壁だ。美しい装飾がなされたほかの部屋とはうって変わり、冷たい印象を与えている。
                       その壁から垂れ下がる、二本の重たい鎖に視線が釘付けになった。
                       鈍い光を放つ鎖の先には、幅広の革の手錠が取り付けられている。位置から見て、立ったまま両手をくくりつけるためにあるようだ。腰の位置あたりにも、革のバンドが垂れ下がっている。殺風景な部屋を照らす照明も剥き出しの強いライトで、鎖や手枷を淫靡に輝かせていた。
                      「なんだ、これ……おまえ……」
                      「ひとつずつ説明してあげるね。あの手錠と腰帯の使い道はきみでもなんとなくわかるよね。あそこにくくりつけられることで対象者は身体の自由が奪われる。手が動かせないっていうのは想像以上にスリルがあるものなんだよ。追いつめられた心境の中で、きみは腰も揺らすこともできない。なんでかって、僕が千宗のあそこを舐めてあげるときに勝手に動かせないようにするためだよ。きみ、僕のフェラチオが大好きでしょう? 口ではどんなに嫌だと言っても、裏筋をしつこく舐めてあげると最後には濃いのを滲ませてくれるもんね。もちろん、手で隠すことはできないよ。足下を固定しないのは、千宗のもっといやらしいところをまんべんなく晒すため。ほら、途中で挿れてほしくなったときに足が固定されているとつらいでしょう。ああ、大丈夫。手首を拘束している鎖は長さが調節できるから、立ったまま正面から僕を受け入れることもできるけど、少し鎖を伸ばしてうしろ向きになってもらうことも可能だよ。千宗はねぇ……こんなに常識ある顔をしていて、犬みたいな格好でするのが好きだもんね」
                       頬をつうっとなぞっていく爪の硬さが、夢であってほしい。嘘であってほしい。
                       どこの世界のバカが、自宅に拷問部屋をつくるのだろうか。
                       ――そんなバカは、いままさしく俺の隣にいるじゃないか。
                       悪夢のような、というたとえはこの場にふさわしくない。悪夢そのものだ。初めこそはチカも「対象者」と曖昧にぼかしていたが、いつの間にか「きみ」と言っているあたり、ここでいたぶられるのはどうも自分らしい。
                       ほかよりも寒々とした印象だけに淫靡さが強く漂う部屋で、チカの説明は延々と続いた。
                      「まだまだあるから聞いていて。腰帯を取り付けた壁の一部は開閉式になっていて、簡易ベッドの役目を果たすんだよ。幅は五十センチ程度で、普段は折り畳みベッドの要領で壁にしまい込まれているんだ。でも、必要なときに前に倒してきみをそこにまたがらせれば、奥までじっくりと見てあげられるっていうわけ。考えてもごらんよ、身動きできないのに前からもうしろからも僕に視姦されるんだよ。ぞくぞくするでしょう。あ、そういえば言ってなかったけ。僕は視姦がなによりも好きなんだよね。快感に振り回されて泣きじゃくるきみを見ているだけでだめになる自信があるよ。そうそう、この簡易ベッドには足枷がついているから、きみの両脚を大きく拡げて固定するすることもできる。この場合も、どこも隠せないからね」
                       口もきけず、硬直する南の前で、チカが壁の一部をぱたんと倒し、しっとりした手触りのよさそうな黒革を張った簡易ベッドを見せびらかす。その楽しそうな顔といったら、お気に入りのおもちゃを手にしている子どものようだ。
                       思えば、今日のチカはずっとうきうきしっぱなしだった。電話で話していたときに、いつもより簡単に火が点いたのは、一刻も早くこの秘密を打ち明けたくてしょうがなかったのだろう。彼の足下には大型の黒い木箱が置かれているが、中になにが入っているか確かめる気力もない。
                      「このベッド、使い方によっては三角木馬の代わりになると思うんだよね」
                      「さ、ん、かく……も、く、ば……」
                      「そう、子どものおもちゃでもあるでしょう。あれみたいに、きみをここにくくりつけて足を拡げさせたうえでバイブレーターを挿れてあげようと思ってね。きっと恥ずかしさのあまり、きみは泣くと思うんだよね。でも感じてしまってどうしようもないと思うんだよね。それから、こっちの木箱に入っているのは各種調教道具。千宗の乳首をもっと敏感にさせるニップルクリップにニップルキャップ、分銅がついたものもあるし、鎖の彫りに凝ったものもあるんだ。とても綺麗なものだから、あとでひとつずつ見せてあげるよ。それに、実際に使わないとは思うけど威嚇用の鞭とか」
                      「威嚇用?」
                      「雰囲気を盛り上げるためのものだよ。ほかには革のマスクもあるし、ポールギャグもあるし」
                      「ポール、なに? なんだって?」
                      「ポールギャグ。見たことない? 口の中にピンポン球に似たものをはめ込んで、くちびるを閉じられなくする道具。ベルトは革でできているから皮膚を傷つけることはないよ。まあ、言うなれば猿ぐつわのようなものだよね。声が漏らせない代わりにどうしても唾液がこぼれちゃうのは止められないけれど、それもまた素敵だと思うな。それからええと、ディルドーにバイブレーターもサイズいろいろ取りそろえました。副作用がなくて効き目のいい媚薬もあるし、締め付けのいい貞操帯もある。千宗さえ耐えられるなら全身マスクもいいなと思ってそれも用意してみたし……あ、全身マスクの場合はね、孔が空いているのが鼻だけね。呼吸ができないのはまずいから。でも、乳首と性器、アナルのところにはジッパーがついていて、いつでも好きなときに触ってあげられるから安心して。それと、壁に大型の鏡も取り付ける予定なんだ。そっちはまだ少し先になるけど、千宗の淫らな姿を全面に写すような特注サイズを注文してあるから、楽しみにしていてね。……それから……」
                      「まだあるのか……」
                       知らない単語をいちいち聞き返すという愚行をしでかしたせいで、よけいに、ぐったりしてしまった。自分というのは、いつか好奇心に滅ぼされるに違いない。
                       とんでもない光景に酔いもすっかり醒めて力なく呟く南の前で、チカが床にひざまずく。
                       それにつられてふと視線を落とすと、床の一部が妙な形に盛り上がっていた。黒い光沢のある布で覆われているため、なにが隠されているのかわからないが、こころを和ませるものでないことはチカの笑顔から見ても間違いないようだ。
                      「ほら、見て」
                      「……うわぁぁぁっ!」
                       チカがぱっと布を取り去ったとたん、思わず大声をあげてしまった。
                      「なっなっなに、なんだそれ、その黒くて長いのは……っ」
                      「もうひとつ足りません。黒くて長くて太い、よね? これ、千宗なら見覚え、あるでしょう?」
                       にんまり笑う顔に問われたが、がくがくと首を横に振るしかなかった。誰がそんなものに覚えがあると言うのか。
                       その奇妙な代物は、床に固定されていた。ぶ厚い鉄板の中央からぐんとそそり立ついかがわしい形状を見つめているうちに、身体じゅうの血という血が熱く煮えたぎり、眩暈まで起こしそうだ。
                      「材質は人間の皮膚に近いものにしたかったから、よくなめした革を使っているんだ。色が黒いのは、まあ愛嬌だと思って。このほうがほら、きみの濡れたあそこを出たり挿ったりするとき、よりいやらしく見えると思ってね。感じてるときの千宗のあそこって、うっすら充血してほんとうに淫らなんだよね。……ああだめだ、思い出したら勃ってきた……。視覚的効果も忘れてないよ、僕は。これの中は鉄芯とシリコンを使っているから、弾力も僕自身にかなり近いはずだと思うね。ただまあ、体温だけはどうにもならないけど。この型を取るまでにずいぶん苦労があってねえ……、きみを楽しませられるものになるよう、かなり長いこと試行錯誤したんだよ」
                       しみじみ語る男の頭の中身を疑うには、すべてが遅すぎた。
                       床から生える黒い物体は、チカの性器をかたどっているのだ。頑丈な鉄板の真ん中に生えたそれにまたがった者が腰を落として咥え込んだときにずれて動かないよう、四隅をがっちりと床に固定している。
                       張り出したエラの形も、根元に向かって太くなっていく竿の長さも、すべて南の記憶にあるまま。
                       いったい、どういう方法でこれをつくったのかと聞けば、きっとチカは嬉々とした顔で話してくれるだろうが、冗談じゃない。誰がそんなもの聞くか。
                       ――こいつが怖い。こんなものを自宅に用意する神経もそうだけど、そもそも、これをつくったのは誰なんだ。どこのどいつなんだ。
                      「これをつくったのは、業界内でも有名な造型師でね。伝説の造型師とも言われているんだよ。性器をリアルに表現することに命を懸けているひとで、サイズや質感の誤差がかぎりなく低いんだ。きっときみも満足すると思う」
                       南のこころの声を聞き取ったらしい、会得顔で語るチカが腕を組みながら、正面に立ちふさがる。
                       サイズはともかく、質感の誤差が低いというのはどういうことだろう。
                       ――直接触らせたのか。俺に断りもなしで、他人に触れさせたのか。
                       そんなことが頭の隅をちらりとよぎるが、いいや待て、いま頭を痛めるのはそこじゃない、これを本気で自分に使わせるのかどうか確かめなければいけないと思うのだが、なにをどう言えばいいのか。
                      「千宗」
                      「な、なんだ」
                       低い声に怯えてしまうのが、我ながらどうしようもない。いつの間にかチカが目の前に立ち、腰に両手を巻き付けてくる。
                       目を瞠り、南は引き寄せられるままだ。これからここでなにが起こるのか、ある程度予想がつくようになってしまったという事実も悲しい。
                      「一生のお願い。一度だけでいいから、僕の願いを叶えて」
                       やさしく囁かれるほど、身体が強張っていく。
                      「僕の目の前で、あれを咥え込んでみて」
                      「じょ……冗談言うな! おまえ自身ならともかく、なんであんなものを受け入れなきゃいけないんだよ!」
                      「なにごとも経験だよ。ここにはきみと僕しかいないから、どんなにはしたない姿を晒しても平気だよ」
                      「おまえが見るから恥ずかしいんだろうがこのバカ! ……ぁ……ッ!」
                       怒鳴りつけたのもつかのま、待ちきれない様子のチカにうしろ髪を掴まれ、力ずくでくちびるをむさぼられた。
                      「んん……ン……」
                       説明しているあいだから、チカのほうも昂ぶっていたのだろう。むりやりくちびるを割って入り込んできた舌に絡め取られ、きつく吸われることで膝ががくがくと震え出す。
                       いつもなら反応を試すようなキスから始まって、ゆっくりと首筋、胸へと落ちていくのに、今夜は違う。長い舌で口腔を執拗にまさぐられ、息が詰まりそうだ。
                       南が息苦しさに喘ぐと、その瞬間だけキスの力が弱まるが、すぐにまた強く舌が絡み付いてくる。髪を引っ張られてのけぞらされているから、伝わる唾液をすべて飲まされた。
                      「チカ……」
                       いきなりの強いキスにくらくらして、ろくに言葉も継げない。そのあいだにも尻を掴まれ、揉み込む手つきがいやらしい。
                      「あ……っ」
                      「千宗のここに、あれを挿れてよ。僕にそれを見せて。絶対に気持ちいいから大丈夫。痛いことはなにもないから、……ね? 言うことを聞いてくれたら、ほら、きみの大好きなここ、もっと弄ってあげるから」
                       ゆるめたネクタイをえりわけ、シャツの下に忍んでくる指先が器用に乳首の周囲をなぞり、尖りを浮き立たせていく。
                       そこが弱いと知っていて、わざといたぶるチカを突き飛ばせたらいいのに。だけど、頑丈な親指と人差し指で先端をやさしくつままれると、抵抗することすら頭から抜け落ちてしまう。
                      「……いやだ……触る、な……」
                      「可愛いね、千宗は。少し弄っただけなのに、もう下もぐちゅぐちゅになってる。聞こえる? ほら、ここの音」
                       扉に押しつけられた格好で乳首や下肢をいいようにもてあそばれる南の視界に、床から生える黒いものが映る。
                       ――あんなものを受け入れるなんて絶対に冗談じゃない。……でも、嫌だと言ってチカが許してくれるんだろうか。痛くないと言っていた。チカのものにかぎりなく近いサイズだと言っていた。たぶん、ほんとうに受け入れるとなったらローションで濡らしてくれるんだろうし、ちゃんと頼めばあそこもここも触ってくれるかもしれない、だから――。
                       だから、なんだというのだろう。
                       濃厚な愛撫に喘ぐうちに、チカの頼みを聞き入れそうになっている自分に気づいて動転してしまう。だが、彼の一風変わった性癖を断固拒否していたら、いまのふたりの生活というのはなかったはずだ。
                      「僕は千宗のいろんな姿が見たいんだよ。いやらしく腰を振る姿が見たい。泣きそうな顔で、ディルドーを受け入れる姿が見たい。でも、きっと気持ちよくて泣いちゃうはずだよ。途中まで挿れたら、ご褒美に乳首を舐めてあげるから――ねえ、してみようよ」
                      「でも、あんなの、挿れて……おまえのよりも、よかったらどうするんだよ……」
                      「まさか、そんなことになるはずないでしょう。どんなによがっても、最後には僕を求めるはずだよ」
                       いやに自信たっぷりに返され、腹が立ってきた。確かにチカの身体は自分にぴったり合うが、伝説の造型師の才能が上回っていることだって考えられないわけではない。
                       ――ひょっとしたら、ディルドーのほうが気持ちいいかもしれないじゃないか。
                       なにごとも、試してみなければわからないものだ。編集者という仕事においても、自分の知らないことは体験してみるにかぎる、ということをモットーにしている。
                      「どうしたの、黙り込んじゃって。もしかして怖じ気づいた? 千宗ともあろう者が、たかだかディルドーひとつに怯えちゃった?」
                      「勝手なこと言うなよ。誰が怯えてんだ。あれぐらい、俺だって」
                       首を傾げるチカに勢いよく啖呵を切ったはいいが、こみ上げる羞恥心にその先が続かない。
                       熱っぽい視線を全身に感じて、覚悟を決めた。ここまで来て、引き下がれるか。
                       ――チカの挑発に煽られるなんて、俺もどうかしてる。だけど、許してくれというのも嫌だ。俺だって男だ。一度ぐらい、あんなものを受け入れてもなにかが変わるわけじゃない。
                       くちびるを噛みながら、シャツのボタンに手をかけた。だが、その手をそっと止められ、「向こうに行こう」とうながされた。
                      「シャツは脱がないでいいから。ネクタイもそのままにしておいて。僕はね、きちんとした格好のきみが崩れるのを見たいんだ。それから、スラックスも膝まで下ろせばいいよ。全部脱ぐのは抵抗があるでしょう」
                       譲歩だかなんだかわからないことを囁くチカが、ベルトをゆるめてくる。すとんと落ちそうになるスラックスを慌てて掴んだものの、仕方なくそれを膝まで下ろし、ついでにシャツの裾に隠れさせて下着も引き下ろした。
                      「どう、したらいいんだよ……」
                       床に膝をつき、チカを見上げた。幸いにも膝にあたる部分にはやわらかな毛皮が敷かれ、擦りむく心配はない。
                      「これを使って、うしろを自分で拡げてごらん」
                       正面にしゃがみ込んだチカが、とろりとした液体で満たしたボトルを手渡してくる。毎晩、彼に抱かれるときに使ってもらうローションを、まさか自分の手に拡げて塗り込めることになろうとは。
                       ぼうっとする南の両手にローションが垂らされる。指のあいだから漏れるほどに、垂らされた。ぬめぬめと濡れる感触が淫らで、手を握り締めることもできない。
                      「手をうしろに回してごらん。……そう、僕には音だけ聞かせてくれればいいから」
                       言われたとおり、右手を背後に回し、窮屈に締まるそこにそっと触れてみた。
                       ――こんなところを自分で弄るなんて。拡げるなんて、とてもできない。でも、それができなかったら、先に進まないんだ。
                      「……は……ッ」
                       前屈みになり、南は顔をしかめながらゆっくりとアナルを撫で、おそるおそる指をもぐり込ませていった。
                      「あ、あ……」
                      「指、挿った?」
                       挿ったが、慣れない感触がおぞましくて泣き出してしまいそうだ。いつもチカにしてもらっているときよりも、ぎこちない動きがいとわしい。
                       熱く湿るすぼまりに触れるだけでも気持ち悪くて、冷や汗が浮かんでくる。
                      「挿った……けど、だめだ、……これ以上……」
                      「だめだよ、続けて。いま、第一関節まで挿れてるの? だったら、もう少し奥まで挿れてごらん。そうしたらきみの好きなところにあたるはずだから」
                       なにをバカなことを言うのか。自分の身体でもないのに勝手なことを言いやがって、と反論しようとしたが、身体をふらつかせた拍子に、微妙に動かしていた指がぐっと奥に忍び込み、ひどく疼く場所をかすめたことで思わず喘いでしまった。
                      「あっ……?」
                      「わかった? そこだよ、千宗の感じるところは。傷つかないように、そうっと擦ってごらん」
                       涙混じりの目を瞠る南に、チカが笑いながら囁く。
                       どうしてそこが感じるとわかるんだろう。これは自分の身体で、中を探っているのも自分の指だ。節がはっきりしていて、深爪気味の指。
                       なのに、チカの声が全身に染み渡り、南自身の意志よりも強い支配力を持って自在に指を操るようだった。
                       ――こんなところを弄って感じるなんて、俺はどうかしてる。
                       自棄気味に自分をなじっても、もう止まらない。指を一本飲み込ませるのでやっとという場所に秘められた熱を知ってしまった以上、そこから広がる快感を無視することはできないのだ。
                      「ん、うん……」
                       噴き出す汗でワイシャツがぴたりと張り付き、胸の尖りがことさら目立つ。だが、そんなことも気にならないほど、身体の奥深いところで生まれる熱に没頭していた。
                       ローションで濡らした指を二本に増やし、なんとか力を抜いてゆるめようと懸命になった。
                       性器を弄って感じるならともかく、本来快感を覚える場所ではないところで喘いでしまうのがつらくて仕方ないが、チカの鋭い視線の前では嘘をつくことができなくなる。
                      「気持ちいい?」
                      「ん……」
                       強い羞恥に顔をそらして頷き、二本から三本に増やして、もう少し拡げた。いやらしい染みができてしまったシャツの裾がひらひらと腿をかすめ、勃ちきったペニスにも触れていく。充血した先端からは透明なしずくがしたたり落ちて、自分で見るのも恥ずかしい。
                      「ああ、チカ……もう、っ俺……」
                      「そろそろ挿りそうかな……。ゆっくりでいいから、ディルドーにまたがってごらん」
                       やさしい声に従ってしまう自分が自分ではないみたいだ。だけど、身体は見事に意志を裏切る。バランスを崩しそうなのが怖くて、南は一度床に手をつき、四つん這いの姿勢でそっとディルドーをまたいだ。
                       すぐ近くに、チカの靴の爪先がぼやけて見える。このマンションはすべて大理石張りだから、寝室以外では普通に靴を履いていることが多いのだ。
                       両脚のあいだで怖いぐらいにそそり立つ黒い張り型を見て、いまさらながらに震えが生じる。
                       ほんとうにこんなものを受け入れられるのだろうか。生身のチカが時間をかけて気遣ってくれるのとはわけが違う。どんな角度で、どんな強さで受け入れるか、すべては自分しだいだ。
                       思わず救いを求めるような目つきでチカを見上げたが、腕組みして睥睨してくる男は口元に笑みを浮かべているだけだ。
                      「こ、んなこと、してるって、誰にも……」
                      「言わない。絶対に秘密にする」
                       人差し指をくちびるにあてたチカが鷹揚に頷いたのをきっかけに、腹をくくった。
                       そろそろと腰を落とすと、ローションで濡れた艶めかしい感触が尻の狭間にあたる。
                      「ッ……」
                       どうやったら、こんな大きなものが挿るんだろう。エラもくびれもはっきりしていて、すべてを収めるまでに相当時間がかかりそうだ。
                       痛みを軽減するために無意識に両手でアナルを押し開き、腰を突き出す格好で先端を飲み込んでいった。ぬぷっと絡む音がするのは、たっぷりまぶしたローションのせいだろう。
                      「……ッく……う……」
                       むりやり拡げられる苦痛に顔を歪める南の前で、チカはやけに真剣な顔だ。
                       少しずつ受け入れ、ようやく真ん中まで飲み込んだときだった。素早くかがんだチカがシャツを開いて乳首をねじってきたことで身体の力が抜け、腰を落とした弾みでディルドーがずくんと根元まで突き刺さった。
                      「あ……ッバカ、……やめろ、あぁ……ッ!」
                      「その勢いで腰を振ってごらん」
                       嫌だと頭を振るたびに、身体の真ん中を強い熱が走る。串刺しにされた状態で、わずかでも動くと強烈な快感が電流のように脳天を突き抜け、涙があふれた。赤く腫れる乳首をぐりぐりと揉み込まれる快感が下腹にも響き、否応にも腰が揺れてしまう。
                      「すごい、千宗……。きみってそんなにいやらしい顔ができたんだね。やっぱり素養があったのかな」
                      「そんな、……っちが、……っこれは……あ――ぅっ……いやだ……抜いて、抜けよ、いやだ、こんなの……!」
                      「だめだよ。せっかく挿ったんだから、ちゃんと感じて」
                       乳首から手を離して立ち上がるチカに思わずすがりついたことで、ようやくバランスを取り戻した。そしてそのまま、我を忘れて腰を振った。
                       シャツもネクタイも着けたまま。スラックスだってまだ穿いている。なのに、黒々としたディルドーでむりに拡げたうえに、とろけそうに熱い奥深くを抉りたくて深々と咥え込んでいるのが自分でも信じられない。
                       ――嘘だ、こんなのは絶対に嘘だ。チカじゃなくて、革の張り型を喜んで受け入れるなんて、俺はどういう淫乱だ。
                       だが、身体の中に感じるのはチカの性器をかたどったものだ。体温こそないけれど、硬さも太さも馴染みあるものだけに、違和感はいつしか薄れ、ほんとうにチカに抱かれている気になって乱れてしまう。
                       下から貫かれるせいか、圧迫感が凄まじい。しかも、自分から動かないかぎりどうしようもないというのも、また泣けてくる。ちょっとでも力加減を誤ると、血の通っていない真っ黒なディルドーに思わぬ強さで突かれてしまうのだった。
                      「い、――あ、っ……ッ気持ち、いい……チカ、すごい……」
                       床から生えた無機質な男根に犯され、快感と混乱で泣きじゃくる南の髪を撫でながら、チカが見下ろしてくる。その目に深い嫉妬のような感情を認めた瞬間、「舐めて」と硬く盛り上がった股間を押しつけられた。
                      「僕のものを感じながら、ここを舐めて。犬みたいにしゃぶってごらん」
                       朦朧とした意識でジッパーを引き下ろし、とうに張りつめていた性器に触れたとたん、じわっと目が潤む。
                       じかに触れると、やっぱりチカがいいと思う。
                       匂いも、熱も違う。ディルドーなんかとは比べものにならないほどの質感だ。間近で見るチカのそれは興奮のせいで赤黒く充血し、先端の割れ目からとろっとしたしずくをこぼしている。筋も太く浮き上がり、どくどくと脈打つ様子が研ぎ澄まされた容姿と裏腹に淫猥すぎる。
                       ――これが欲しい。
                       素直にそう言えたらいいのだけれど、根強く残る常識がどんな状況に追い込まれても露骨に求めることを固く阻む。
                      「ん……むっ……」
                       両手はチカの腰を掴んでいるから、顔だけ寄せて、口いっぱいに頬張った。すぐにチカも腰を突き動かしてきて、先端で喉奥を突いてくる。
                       夢中で先端のくぼみを吸い、じわりと滲むしずくを綺麗に舐め取っても、あとからあとからあふれ出てきて間に合わない。竿に舌を這わせ、浮き上がる筋を舐めあげた。懸命な奉仕にチカも感じるらしく、目縁を赤く染め、頭を掴んで突き挿れてくる。なめらかな丸みを帯びた亀頭が頬の裏側を擦り、舌の上に濃い味を残して何度も抜き挿しされた。
                       その動きに、自然と南の腰の動きも合わさっていく。熱く勃起するチカの形を舌で確かめ、ひくつく場所を黒いディルドーに犯されるという倒錯した構図に、頭の底が白くとけていきそうだ。だけど、こんなものでいくのは嫌だ。
                      「いく、……いきそう……チカ……頼むから、……」
                       尻の奥でぬちゅぬちゅと音を響かせながらディルドーを出し挿れする南に、額に汗を浮かべたチカが微笑みかけてくる。
                      「ディルドーはお気に召した? なんだったらこの先、ずっとそれで感じてもらおうかな」
                      「いや、だ……そんなの、……チカがいい……っ」
                      「どうして? それだって僕だよ。だいたい、そこまで腰を振っておいて、僕がいいなんて説得力がないけど。それとこれと、違いがあるなら教えてよ」
                      「バカ……これがいいんだよ、……チカのほうが、いいんだよ……」
                       違いを口にできるほど、冷静になれない。
                       たったいままで咥えていた太竿でぬるぬると頬や瞼を擦られ、おかしくなりそうだ。濡れた亀頭がくちびるの脇をかすめていく瞬間がたまらない。もう一度しゃぶろうとくちびるを開きかけたところを、いきなり両脇に手を差し込まれ、ぐっと引き上げられた。
                      「……ッぁ……ああっ、チカ……っ!」
                       突然身体の真ん中から楔が抜けた衝撃でペニスがびくびくと震え、漏らすような感覚で精液が滲み出す。
                       普通の射精とは違う複雑な官能に突き落とされた瞬間を、チカも見逃さなかったのだろう。足首でもたつくスラックスを引き剥がし、両脚を大きく割って深くねじ込んできた。
                      「……ッあ――」
                       待ち望んだ鋭い熱に、我慢できなかった。チカの手が触れる前に白いしずくをまき散らして達してしまい、恥ずかしさに泣くしかなかった。
                       だが、チカのほうはひどく驚いた顔の次に、たとえようもない色気を滲ませた微笑みを浮かべた。汗ばんで小刻みに震える南の内腿を高く抱え上げ、より深く交わるために腰を押し込んでくる。
                      「……そんなに僕がいい? 教えて、千宗。ディルドーよりもやっぱり僕がいい?」
                      「ん、ん――、チカのほうが、いい、チカのほうが熱い……」
                      「僕のこれ、好き? 太いのが好きだって言って。奥まで欲しいっておねだりして。言ってくれたらめちゃくちゃにしてあげる」
                      「あっ……チカの、太いのが、いい、好き、だから、もっと、胸も触れよ、……もっと奥まで……っ」
                       うわずった声で口走りながらチカに腰を押しつけると、両手で尻を揉みしだかれた。息を吸い込むとすぼまりはきつく締まり、吐き出すとわずかにゆるむようだ。それを無意識のうちに繰り返し、硬く、きわどくねじり刺さる楔の感触を全身で感じた。ディルドーにはない、チカ自身の熱が身体の真ん中にあるのが、たまらなく気持ちいい。張り型でひどく擦った粘膜を、いまはみっちりとはまった肉棒でじくじくと嬲られ、声を掠れさせた。途中、「見て」とうながされて、曇る視界にチカを映した。
                      「僕がきみの中に挿ってる。こんなに深く、挿ってるんだよ。感じる?」
                      「ん……」
                       濃い繁みをまとわりつかせた肉棒が出たり挿ったりする光景を視界に焼き付けるあいだも、真っ赤に腫れ上がった胸の肉芽をしつこく舌で転がされ、すすり泣いた。苦痛に近い快感は感度を鋭くさせるようで、しまいには乳暈にふっと息を吹きかけられるだけでも感じてしまうほどだ。
                      「可愛い、……千宗は感じやすくてほんとうに可愛い。ねえ、僕らがつき合いだした頃よりもきみの乳首は大きくなったよね。触るとすぐに硬く引き締まって、ずきずきするぐらい感じるんでしょう。あそこの締まりも前よりずっといい……熱くて、やわらかくて、気持ちいい。いまも、わかる? 僕を引き留めてるのがわかる? ほら、ひくひくしてるよね。……引っかかってる。ねえ、僕らの身体はこんなにぴったり合っているんだよ。こんなに可愛い男は世界中のどこを探してもいないよ。きみは、僕の運命だよ。これからはここで毎日可愛がってあげる。もちろん、きみの嫌がることはしないよ。どんなことをするのでもかならず千宗の意思を尊重するから、いつか――いつか絶対に僕の可愛い犬になって」
                      「んっ……あぁ……チカ、だめだ、いく……」
                       とろけて湿る襞を擦って出ていく屹立が、一層硬さを増していく。
                       顔じゅうにキスを降らせてくるチカの呼吸が浅くなり、本格的に腰を遣われて声も枯れ果てた。
                       床に毛皮を敷いているせいで背中は痛くないが、奥へ奥へと突き上げてくる力に負けそうで、ぎりぎりと肩に爪を食い込ませてしまう。
                       熱の孕む奥を抉られ、悲鳴に近い喘ぎをあげたとしても、すべてチカのくちびるの奥へと消えていってしまう。肉厚の舌でくちびるの表面を執拗に舐められ、狂おしいまでの快感がじわじわと意識に染み込んでいく。チカが顔を離し、唾液がつうっと糸を引いていくのも束縛される甘い喜びをかき立ててくれるようだ。
                      「あぁっ……!」
                       どくんと脈打つ感触とともに、熱く生々しいしずくで身体中を満たされた。
                      「千宗……千宗……」
                       欲情に嗄れた声と一緒に、快感を惜しむような感じでチカがゆっくりと抜き挿しし、どこもかしこも濡らされていく感覚にじんと瞼の裏が痺れた。
                       広い背中にしがみつくと、泣きたいぐらいにこの男が好きなのだという実感が湧いてくるのが、自分でも不思議だ。こんなことをされているのに、けっして嫌いになれない。それどころか、彼の極まった強さに引きずられてしまう一方だ。
                       チカの情を受け止めるたびに、身体だけでなく、こころも塗り替えられていく気がする。いまはまだ、ディルドーを受け入れるだけですんでいるが、この先いつ自分が首輪をつけた聞き分けのいい犬になってしまうのか、予想もつかない。
                       どんなにチカが好きでも、その力に引きずられたとしても、奴隷と主人という関係になってしまったら対等ではなくなってしまう気がする。
                      「俺は、……チカの恋人なんだからな……。犬とは、違うんだぞ……」
                       荒い息の下でようよう言い返したのが意外だったらしい。身体をつなげたままのチカはややあってから吹き出し、力のかぎりに抱きすくめてきた。
                      「そうだね。……そうだよね、きみは僕の恋人。犬じゃない。奴隷じゃないよね。僕のたったひとりの恋人なんだよね」
                       キスを甘くねだるように顔を近づけられてしまえば、南としても応えないわけにいかない。達した直後に怒ろうとしても、意識は端からゆるくほどけてしまう。
                       ――しょうがない。これも惚れた弱みってやつだ。
                      「……次はもっとやさしくしろよ」
                      「うわ、もう一度していいの? ほんとうに?」
                       身体の中でまだ硬さを残しているチカが頬を擦り寄せてくる。
                       ほんとうならば、こんな怖い部屋じゃなくていつものベッドでしてほしいと言いたいところだが、「約束どおり、やさしくするよ」と頷くチカの嬉しそうな顔を見るかぎり、恐ろしい目に遭うことはなさそうだ。
                       ひとまず、今夜のところは。

                      「……それにしても、よくこんな部屋をつくる気になったよなぁ……。もしかして、おまえが装飾したのか?」
                      「いやいや、いかに僕がSMの道を究めることに日々邁進していたとしても、さすがにこれは無理。専門の業者を呼んでやらせたんだよ」
                       チカの言葉が真実ならば、この広い世界、床に張り型を設置する専門のバカがいるらしい。
                       だけど、それで思うさま感じてしまった自分がいるのも、また事実だ。
                       あれから二度もいかされて、空腹感が限界まで高まっている。
                      「風呂の前にメシだ、メシにしよう」
                       とりあえず下着だけ身につけ、ぐしゃぐしゃになったシャツやネクタイを拾い集めていると、まだいくらか湿っているディルドーに触れるチカがひとり微笑んでいるのが見えた。その横顔になにやら不穏なものを感じて、「チカ?」と呼びかけると、「ん?」と彼も振り返る。
                      「どうしたんだよ。そんなのに……触って」
                      「ああ、いや。思っていた以上に僕の形に近いなと思ってね。……じつは、このディルドーにはもうひとつ役目があってね。ちょっとした計画があって、そのために」
                      「計画?」
                       ますます疑わしい気分が高まるなか、ともあれ汗の引いた身体にシャツを羽織り、スラックスも穿き直したうえで、真面目な顔を向けた。
                      「どういうことだ、計画って。なんのことなんだ」
                      「きみも知っているだろうけれど、橘くんがいまちょっと大変なことになっているんだよ」
                       橘、という名前に思い浮かぶのは、挑みかかるような目つきが魅力的なまだ年若い男だ。もとを正せば、クラブ・ゼルダの客で、チカの奴隷でもあった橘美散がいったいなぜここで話題に出てくるのだろう。
                       なんだか、嫌な予感がする。
                       不審な顔をしている南の前で、チカも気遣わしげな笑い方をし、裸の胸に薄いシャツをさらりと羽織る。プレイヤーとして、日々多くのひとに見られることを意識している男の身体は鍛え抜かれ、とくに胸筋や二の腕の逞しさといったら見事だ。
                      「橘くんはいまのところ、バイヤー兼プレイヤーの真柴さんのもとで鍛え直されていることはきみも知っているとおり。最近、ようやく男根調教に入ったところなんだけど、ここにきて彼が激しく抵抗するようになっちゃってね。あんまりにも聞き分けが悪いものだから、鎮静効果も狙って一時的に僕が預かることになったんだよ」
                      「はっ?」
                       いま聞いたばかりの言葉がまるっきり理解できない。
                       かつてチカが、『僕はSMプレイヤーなんだよ』と打ち明けたときよりも大きな衝撃に襲われ、呆然とするしかなかった。
                       ――橘を預かるって、どういうことなんだ。この家に入れるのか?
                      「もちろん、預かるのは一週間かそこらだよ。僕はなんといってもセンちゃんとの生活を優先させたいから、そのあいだになんとかするつもり」
                      「なんとかって――なにを……」
                      「橘くんのアナル拡張だよ」
                       ここにきて初めて青ざめるというのは、反応が鈍すぎるだろうか。だがしかし、チカのくちびるからこぼれる言葉というのはつねにどれも激しすぎて、いちいち驚いていたらきりがないのだ。
                       ――でも、でも、これはあんまりだ。ひどすぎる。
                       アナル拡張という、常識から大きくかけ離れた言葉に口を開いたり閉じたりしたが、まともに言い返せなかった。それを了承の印と勘違いしたのか、チカが顎をしゃくる。その顔からは少し前の甘さが消え去り、クラブ・ゼルダで辣腕をふるうスタープレイヤーとしての自信がかいま見えるようだ。
                      「いまの橘くんに必要なのは、真柴さんを受け入れるだけの勇気と柔軟性を持つことだよ。それともうひとつ、見られて恥ずかしいと思うこころもね。というわけで、僕なりにメニューを考えてみた。預かっているあいだ、橘くんには一日中裸で過ごしてもらう。うちにいるときは、僕とセンちゃんが彼のご主人様になるんだよ」
                      「お、俺が」
                      「ああ、もちろん三人でいやらしいことをしようってわけじゃないから安心して。首輪をつけただけの橘くんを見るだけで、いいから。僕はともかく、きみのような常識人に痴態を見られることで、橘くんの羞恥心というのも相当向上するはずだよ。それと、毎日、このディルドーで彼のアナルを馴らしてあげようと思うんだよ」
                      「……おまえ……もしかしてそのためにこれを……」
                       思いも寄らぬショックを受けてちいさくなる声が、無骨なコンクリ壁に吸い込まれていく。こんな状況にあっては、壁に取り付けられた手錠も床に据え付けられたディルドーも間抜けて見える。
                      「勘違いしないで。あくまでも僕のこころはきみだけのもの。でも、僕の形をしていたら、部屋に設置するのを千宗も許してくれるかなと思ったんだ」
                      「んなアホな……だって、橘に……い、い……挿れるのは……真柴なんだろ。なんであいつの形じゃないんだよ」
                       掠れた声に、チカはぎゅっと眉根を寄せて不機嫌そうだ。
                      「冗談でしょう、そんなのは絶対にだめ。いくら作り物とはいえ、真柴さんの性器と同じものが僕らの部屋にあってもいいの? 僕は嫌だよ。今回のことがあのひとの頼みだとはいえ、そこまではできないよ。だいたいね、真柴さんの性器をかたどったものだったら、間違ってもきみに挿れさせない。目にも触れさせない」
                      「だったら、おまえの形に似せたものを橘に挿れさせるなよ!」
                       鋭い声で怒鳴りつけたとたん、チカがびくりと身体を震わせた。その驚いた顔に、――俺がそこで怒ることを想定していなかったのかと思ったらますます頭に血が上ってしまう。
                       いままでずっと、チカの性癖についてはあまり口を挟むまいとしてきた。自分のできる範囲内で理解し、譲歩しようとしてきたつもりだ。
                       だが、橘を預かるという案にはまったくもって賛成できない。チカと同じように主人として痴態を見守るなんてこともできないし、真柴の形をしたディルドーが家の中にあるなんて考えただけでも虫酸が走る。だからといってチカの形をしたあのディルドーで橘を感じさせるのかと思うと、激しい嫉妬で神経という神経が焼き切れてしまいそうだ。
                       プレイヤーとしての仕事を家に持ち込まないから、いままで許せてきたのに。
                       ――でも、ここで嫉妬しているなんてことを明かしたら、チカはつけあがるに決まってる。そんなのはだめだ。絶対にだめだ。
                      「いいか、……いままで俺はおまえの趣味をうるさく言わないようにしてきたけど、今回のこれだけは絶対にだめだ。橘を預かる案は断れ」
                      「でも、……だけど、真柴さんも困っていて……僕としてもプレイヤーの意地があるから今回の件は絶対に成功させたくて……」
                      「真柴と俺とどっちが大事なんだよ、バカ野郎! そんな意地なんか捨てろ! 真柴が困ってるから引き受けるんじゃなくて、おまえが望んで橘を引き取りたいんじゃないのかよ!」
                      「違う! そうじゃない!」
                       チカも即座に言い返してきたが、激昂するあまり南は手にしていたネクタイを思いきり投げつけた。
                       普段、温厚な自分がここまで怒るとは思っていなかったのだろう。焦った顔のチカが腕を掴んできたが、怒りに任せて振り払った。
                       今日、このマンションに帰ってくる途中、SMという性癖を仕事に生かすチカと、スポーツ誌の編集者という自分との考え方の違いについて思惟をめぐらせたっけ。
                       あのとき、自分たちの違いが大きな悩みの種にならないといいがと考えたが、まさかこんな形で現れるとは、しかもこんなに早くに溝が深まろうとは思いもしなかった。
                      「待って、センちゃん。橘くんを預かるのはせいぜい一週間だよ。きみを困らせることはしないから、お願い。真柴さんも本気で困ってるんだよ……ディルドーも使わないから、お願いだから、今度だけ」
                      「だめだ! いったいおまえは何度今度だけってせりふを口にしたら気がすむんだ? ――あいつを預かるなら、俺が出ていく」
                      「センちゃん、待って――待ってよ!」
                       必死に引き留める声に捕まるよりも早く、南はシャツの胸を強くかき合わせて部屋を飛び出した。
                       胸が痛くて痛くて、どうしようもなかった。

                       

                       

                      後編:世界はチカでできている



                      profile

                      書いた記事数:71 最後に更新した日:2018/08/16

                      calendar

                      S M T W T F S
                         1234
                      567891011
                      12131415161718
                      19202122232425
                      262728293031 
                      << August 2018 >>

                      selected entries

                      categories

                      archives

                      recent comment

                      links

                      search this site.

                      others

                      mobile

                      qrcode

                      powered

                      無料ブログ作成サービス JUGEM